私の母は多分アスペルガーです。
幸運だったのは、母は芸術に対して
才能があり、それだけを追求できる
環境であるから。

基本は優しい人ですが、他人の気持ちを察することや、自分の行動が他人に与える影響などを思い計ることは、難しいです。

とある宗教の方から、神社やお寺には行くなといわれ、頑なに守っています。それでも、神様 神様と祈っている母をなんとも滑稽に思えて仕方がありません。

私は、色々あって先生と出会って
祈るということを、はじめました。
母からも祈るよう言われたけど、
親子だからかわかりませんが、
違和感を感じて仕方がありませんでした。

実際に祈ってみて思ったのですが、
神様は本来一つで、全てを受け入れて
くださる存在なんだと。
⚪️⚪️教ではない人は知りません、
なーんてことは、ないんだと。

でも、母が懇意にしている宗教の方は、自分達が本物で、後は偽物だ。と。極端にいうとサタンだと。

そう言って憚りません。

人間が、自分達が絶対に善である!って言っている時点で、私は完全アウトだと思っています。

母はきっと生きづらかったのだと思います。だから救いを求めた。その教えさえ守っていれば、自分は救われると、信じています。でも、それは単なる逃避にすぎないことには、目を背けています。

私は何度も自分の気持ちを、話していますが、イマイチ伝わらず、なんだか悶々としてしまっていて、先日の旅行も楽しかったというよりも、疲れはててしまって、寝込んでしまいました。

ある時、主人から、
お母さん、アスペさんだから無理だよ!って言われて、理由がわかってホッとしたのと、子供のころから、今まで自分をわかってもらえてた、と思ってたことが、全部
そうではなかった。ということがわかって、凄く寂しい気持ちでいっぱいです。

繋がれているようで、繋がれていなかった

そんな感じです。

愛しているから。と言葉では言っていましたが、多分言葉の意味はわかっても、その
後ろにある感情は今もこれからもわからない。そう考えると、甥が誕生した時も、
赤ちゃんは可愛い。でも、お婆ちゃんになった感慨深さとか初孫可愛さ。という感じが、母から感じられない理由が、よくわかりました。

今後私がどのように母と向きあっていけばいいのかわかりませんが、その事によって傷ついた部分を癒して手放していこうと思います。