大相撲力士・大の里といえば、いまだに髷が結えない(髪が伸びきっていない)力士として有名ですよね。2024年の春場所も快進撃でした。そんな大の里の髪ですが、一般的には「ざんばら頭」と言われることがほとんどです。ですが、似たような言葉に「ざんぎり頭」もあります。

 

いったい、「ざんばら頭」と「ざんぎり頭」の違いはなんなのでしょうか。これについて、2024年4月26日の東京新聞で解説しました。

「ざんばら」と「ざんぎり」

「ざんばら」とは、結っていた髪などがくずれて、ふり乱れている様子のこと。「ざんぎり」とは、月代をそらないでうしろへなでつけ、髪をえりもとで切った髪形です。言葉の意味だけで言えば、結っている髪がほどけていることが「ざんばら」で、髪を結わずに今で言うオールバックのような状態が「ざんぎり」です。

どうしても「散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」のイメージに引っぱられますが、言葉の古さは同じくらいです。

そのあたりで考えると、大の里の髪型はそもそも髷を結ってはいないので「ざんばら」でもないのかもしれませんが、「ざんばら」と「ざんぎり」のどちらかを選ぶなら、「ざんばら」かもしれません。

 

「ざんばら」も「ざんぎり」も、どちらも江戸時代にはある言葉です。なので、明治時代より前からあった言葉と言って問題ありません。「ざんばら」か「ざんぎり」かは、本当に難しいところです。大の里は髪を切っているわけではなく、また十分に長さがないため結えない状態なので。

もしかしたら正しいのは「短髪」なのかもしれませんが、入門前に髪を切ってそこからいまだ伸びていないという状態を言い表すということで考えれば、「ざんばら」よりは「ざんぎり」かもしれませんね。

ただ注目しておきたいのは髷姿があたりまえだった江戸時代までにおいて「ざんぎり」は、不名誉なことであり、私刑のひとつでもあったことです。そのことが、相撲の世界で「ざんぎり」を使わない理由かもしれません。

「ざんばら」「ざんぎり」にまつわる面白いエピソード

たとえば、岩倉具視は1871年にアメリカ・ヨーロッパを訪問しますが、日本を出発し、シカゴに行くまでは髷姿です。
 

シカゴで、アメリカに留学していた息子の具定と会ったとき「お父ちゃんが人間的に優れてるからアメリカの女の人にモテモテや」と具視が話したところ、息子から「その髷姿が変やからみんな見てるだけやで」と言われ、恥ずかしさのあまり断髪します。

 

あとは、伊藤博文らいわゆる長州ファイブが秘密裏に出国しようとした際に、船長が渋ったため髷を切り落とし、このまま出国しないと周りからなぜ髷を切り落としたのかと詰問され生きていけないと迫り、船長に船をださせたとか。