聖書はキリスト教の経典として、またユダヤ教やイスラム教などの経典の一部として、それぞれの宗教に影響を与えている。特にキリスト教では、聖書は神の言葉であり、聖書が書かれた目的は「あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである(ヨハネ20:31)」とされる。

 

聖書は、一つの物語からなる書物ではなく、有名な創世記「初めに、神は天地を創造された(創世記1:1)」という天地創造の物語から始まり、ヨハネの黙示録「主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように(ヨハネの黙示録22:21)」で終わる旧約聖書39巻と新約聖書27巻の全66巻から構成される書物である。旧約聖書の世界はエジプト・シリア・メソポタミアなど古代オリエント文化に属し、ヘブル語で書かれ、新約聖書の世界は、ローマ帝国に支配されたギリシア・マケドニア・ローマなど地中海文化に属し、主にギリシア語で書かれているなど、聖書は多くの異なる時代や地域に生きた著者たちによって書かれ、何世紀にもわたり編纂されている。しかしながら、聖書の各物語にはある共通の主題が存在している。すなわち、「神が人類の救いを計画し、その救いをキリストにおいて実現した」である。なお、旧約・新約とは、モーセを介した神と人類との「旧い」契約とイエスを介した神と人類との「新しい」契約を意味している。そのため、聖書はキリスト教を信ずる人々にとっての信仰と生活の規範のよりどころとして、たんに宗教上の教義としてだけではなく、人々の倫理観・道徳観と関連し、日常生活に影響を与えることとなる。そして、それは美粧に対しても例外ではなく、聖書のキリスト教社会の化粧への影響は大きい。

 

では、キリスト教における信仰と生活の規範である聖書における美粧、特に化粧はキリスト教社会でどのように扱われてきたのだろうか。本研究では、聖書を概観することでキリスト教社会における化粧との関わりをみていきたい。

2. 聖書世界の化粧観

 歴史的にキリスト教社会では、慎ましく謹直な生活態度が規範とされてきたといわれる。すなわち、化粧などで美しく身を飾ることを大きな罪としてとらえ、自然のままの姿でいることを善とする思想がキリスト教社会の主流をなしている。キリスト教社会での化粧についての見解は、リチャード・コーソンが『メークアップの歴史』で次のようにまとめている。

 

紀元3世紀から4世紀頃、カルタゴの神学者テルトゥリアヌスは「肌を薬物で痛めつけ、頬を紅で汚し、目を黒く隈取る女は神に逆らう者。自然物は神の御業であり、人工物は悪魔の仕業」と批判し、アレキサンドリアのクレメンスは「かつらを被ったまま神の祝福を祈ると、神の祝福はかつらにとどまり、かつらを被った人まで浸透しない」と批判する。また、聖シブリアヌスは「悪魔たちが眉を彩り、頬に偽りの紅をさし、さらに髪の毛の自然な色を変え、頭や顔全体の外観を変えてしまう方法を最初に教えた。神が造られたものを、作り変えたり直したりできようか。それは完璧に仕上げられたものを作り変えたり直したりして、神に暴力を加えること以外の何物でもない。自然は神の創造物であり、人工物は悪魔が造ったものであることを彼女たちは知らないのか」と批判し、ミラノの司教アンブロシウスは「化粧をすることは詐欺行為である。化粧は人をだまし、惑わし、人を喜ばすことはできない。そして神をも不愉快にする。神の造られた顔を捨て、売春婦のような顔にしてはならない」と批判し、さらに聖ヒロニムスは「女性たちは鏡をみながら自分を彩り、神の苦労を無視してまで生まれたときより美しくなろうとする。彼女たちはキリスト教徒の目には醜聞の対象となる」「耳にペンダントをつけ、白粉をぬり、首や頭に真珠を飾ったりしないようにしなさい。髪の毛の色を変え、カールし、リボンで結ばないようにしなさい。さもないと地獄の却火を招く」と批判する。

 

15世紀に入り、オリビア・マイヤードは「顔を彩り、しっぽを上げている淑女、またしっぽをつけている娘たちに悩まされている紳士諸君。そのような姿で人々が楽園にいけると思うか」と批判し、この頃の『騎士ラ・トゥア・ランディの話』では「神が造られた本来の顔を化粧して変えることなく、神が造ったままにしておきなさい」「神は女性という人間をご自身のイメージでお造りになられ、そのことで愛をお与えになった。なのに女性たちはなぜそのことを忘れ、なぜ化粧し毛を抜いて、神から与えられた容貌を変えるのか」「自分を美しく見せ、他人の目を喜ばそうとし眉毛や額の毛を抜いたため、地獄に落ち、熱く熱した針が女性の眉毛やこめかみや額に刺された」と記している。ルネサンス期の修道士フィレンツオーラは「自分の理想とする美をもたらすのは神のみであり、人工的な補正化粧は、我慢ならない忌まわしい行為」とし、エリザベス女王時代のフィリップ・スタッブズは「イングランド女性は、顔に彩色するためにオイルやアルコールや軟膏、化粧水などを使用し、それによって美しさが増すと考えている。しかし、そのことで魂が歪められることに気づかない者は、神の不満と義憤を招き、その声に大地は震え、その面前で天は溶解して消え去るであろう。我々すべてを造られた神よりも、なお美しく自分を作り上げることはできない」と批判する。また、この頃の『ロビン・コンシェンスの話』では、世俗女ブラウド・ビューティーの「もし神がこの顔をベリーのような茶色に造ったのなら、白く化粧し紅をつける。もし神がチェリーのように赤く造ったのなら、壁の白堊でこの血を干上がらせる。もし神が太く造ったなら縮こまってみせる。色白でさっぱりし、きれいですっきりしているのはなんて素晴らしいことなのだろう」という言葉に対し、これを「悪魔のおしゃべりと行動」として、「髪を染めて燃え上がらせるのが大流行している。本当にあなたは恥ずかしげもなくやっている。聖書では、髪をそんなに痛めつけることは認められてはいない。恥と思い頭を隠しなさい。髪を染めるのは不自然な行為なのだ」 と記している。また、ビショップゲイトのセント・ポトフ寺院修道院長スティーヴン・ゴッソンは「逆立った髪をした燃えるような頭。その針金のような毛髪は雄牛の角のように曲がっている。化粧をしたその顔は、どこからきたのか。新しい流行すべてを考え出すのは虚飾の主である悪魔にほかならない」と批判する。

 

17世紀中期に入ると、新大陸に移住を行うプロテスタントたちの増加していった。そのようななか、イギリスの牧師トマス・ホールは、新大陸であるアメリカに移住したプロテスタントたちが「長髪は悪習で恥ずべき行為」として教会内での長髪を禁止し、長髪を続ける者を「神と人間とに同時に背かれるであろう」、また「男性の髭は全面的に支持するものの、長髪は否定し、女性の化粧とつけホクロを悪魔の仕業とみなしていた」ことを伝えている。そして、「身体に化粧をしたり彩ったりする人工的な行為は罪深く、忌まわしい」「髪や顔に化粧し、彩る技術を淫らな女に最初に教えたのは悪魔である。顔の化粧は神の創造物のなかにはなく、悪魔との結合によって生まれたものの一つである」「聖書には聖人が化粧をし、つけホクロをしたとはどこにも書いていない。なぜならそれは醜い行為である」と化粧批判をまとめている。

 

王政復古期に入ると、ロンドンのジョン・ダントンは聖書の「正直な婦人は化粧できないだろうかと神は自問された(エゼキエル書29:40)」を引用し、「化粧は無慈悲にも堕落へと追い込む」と批判する。

 

18世紀後期に出版されたレディス・マガジンでは、「神が造られた顔を女は化粧で別の顔にしてしまった」という化粧批判を記している。

 

このように、キリスト教社会では、数多くの化粧に対する否定や批判をみることができる。しかしながら、キリスト教聖職者や各時代に出版された書物すべてが化粧を非難し、禁止しようとしていたわけではない。次は、化粧を勧めた主張である。これについても、リチャード・コーソンの『メークアップの歴史』をもとにまとめておく。

 

15世紀、説教師ラ・マルカのジャコモは説話集エクセンプラにおいて、美容術に凝った若い娘が宴会の日に悪魔に連れ去られる話を述べ、虚飾は愚かさと同時に罪の源でもあると説くものの、「結婚相手を探す適齢期の娘やひどい身体障害に悩む女性」には化粧をすることを認めている。中世初期の教会は、肌を覆っている汚さで黒ずむことよりも白粉により肌が白くなることに多大な関心を持っていた。当時、修道士に対して教会は、必要最低限の洗浄と秘蹟前日の清めの入浴だけを認め、その他の入浴は夏でも禁止していた。そのため、修道士たちは体臭を紛らわすことを意図し、1508年にサンタ・マリア・ノベラ修道院ドミニコ派の修道僧たちによって香水製造所が開設されている。すなわち、肌を白粉で美しくすることに比べれば、汚れで黒くなることはましだったのである。

 

17世紀に入り、ロバート・コドリントンは「目に化粧をしたためにイザベルが犬に食い尽くされたことには、今では異議が唱えられている。彼女の死の原因は、髪を整え窓から外をみること、この二つを同時に行ったことに意味がある。聖書のどこをみても化粧を罪としてことさらに禁じている道徳上の指示はない。ユダヤの女王エステルは、甘美な香料と豪華な衣服と美しい色彩を身につけ、王の視線と愛情を自分にもっとひきつけるために、流行のものは何でも身につけた」と化粧を勧めている。また、キリスト教聖職者の言葉ではないが、1694年に出版された婦人辞典の「美容術」の項目では「女性は神に仕えながら、同時に男性を喜ばすことはできないのだから、化粧をすべきではない」という主張に対して、「神の僕で男性を喜ばすことができないのであれば、家来は王を、子は親を、商人は客を喜ばせることができない」とする反論が記されている。もっとも「美しくする」の項目では、「神が自分の喜びのために非常に素晴らしく造り上げられた顔や肌色を、多くの人々は、絶えず手直ししようとして、結局は台無しにしてしまっている」と化粧を批判しているが。

 

18世紀に入るとジェレミー・テーラーは「女性は、男性の快楽のため神により造られデザインされたものである。ならば、女性が作られた目的を全うするように努力することは、女性の努めであり義務である」「女性たちよ、神がお与えになった美を磨き、できる限り美しくあり続けなさい。外見を洗練させることが罪であるといわれる筋合いはない」と女性が美しく身を飾ることを勧めている。

 

さらに19世紀後半のハリエット・ハバード・エアは「化粧をして、失った魅力を優美に回復させるのは当然であるばかりか賢明である。素朴で退屈で飾り気のない女性の夫に限って、決まってデライラのような女性の罠の犠牲やイザベルのような悪女の作られた魅力に屈するから」と化粧を勧めている。

 

このように、化粧を勧めている者のほとんどは聖職者ではないものの、彼らは聖書を引用して化粧を勧めている。ロバート・コドリントンは「聖書のどこをみても化粧を罪としてことさらに禁じている道徳上の指示はない」とまで述べている。聖書は、キリスト教における信仰と生活の規範である。その聖書にもっとも忠実であるべき聖職者たちが、聖書を解釈し民衆にキリストの教えを伝えている。そして、化粧を否定・批判しているはずである。はたして、本当に聖書のどこをみても化粧を罪として禁じている道徳上の指示はないのであろうか。つぎに、実際に聖書を読み直し概観することで、化粧に関する記述をまとめてみたい。

 

なお、これまで世界各国において数多くの聖書が翻訳・出版されているが、本研究では1993年に出版された『聖書新共同訳』を用いた。ここで一つ考えなければならないことは、今回用いた日本語訳の聖書と化粧を批判した聖職者たちの用いた聖書を同等と扱ってよいのかという問題である。例えば、聖書において日本語で「ズボン」という言葉は、アメリカでは「パンツ」と訳され、イギリスでは「トラウザー」と訳されるなど、国や時代が異なることにより用いられる単語が異なる場合は少なくない。しかしながら、国際日本文化研究センターのテモテ・カーン助教授も述べているが、用いられる単語は異なったとしても、それが指し示す事物が異なることはないと考えられる。また、本研究は、聖書における化粧に関する記述を聖書学的研究としてではなく、文化・風俗的研究として概観することを目的としており、化粧に関する単語がどの章節に、どのような背景で出現しているかに注目するため、言葉の差異については本研究では扱わず、問題としない。

 

【原著】
平松隆円 2006 聖書世界の美粧 佛教大学教育学部学会紀要 佛教大学教育学部学会 第6巻 pp.161-181