夏の風物詩といえば花火大会。全国各地で開催されています。ですが、じつは京都では花火大会が開催されていないのを知っていますか?
京都の花火大会
京都で花火大会がないといっても、それは京都市内に限った話。京都府内だと花火大会はいくつか開催されています。
- みなと舞鶴ちゃった花火大会(京都府舞鶴市)
- 京たんば花火大会(京都府船井郡京丹波町)
- 千日会観光祭(京都府京丹後市)
- 亀岡平和祭保津川市民花火大会(京都府亀岡市)
- 清流美山の鮎まつり(京都府南丹市)
- 宮津燈籠流し花火大会(京都府宮津市)
- TANGO やさか納涼祭花火大会(京都府京丹後市)
- あやべ水無月まつり(京都府綾部市)
- 間人みなと祭(京都府京丹後市)
どうですか。開催場所のほとんどが京都市外であることが分かりますよね。いったいどうして京都市内では花火大会がないのでしょうか。
京都御所御苑内小御所炎上事件
京都市内で花火大会がなかったわけではありません。昔は、五山の送り火の当日、丸太町から三条のあいだの鴨川で花火大会がおこなわれたこともあります。
それは、1954年8月16日のことでした。読売新聞社主催で五山の送り火にあわせて花火大会がおこなわれました。そのときの落下傘型打上げ花火の残火が、なんと京都御所まで飛んでいったんです。翌日の京都新聞には「安政年間に造営され古都京都が誇る御所内小御所が大文字送り火の昨夜全焼した。原因は同夜加茂川原で行われた読売新聞社主催の花火の飛火からとみられている。」とあります。
宮内庁の資料には次のように記載されています。
火災当時の消火活動の内容を記録した資料によると、小御所屋根からの出火を巡回中の皇宮警察職員が発見し、直ちに消火活動が行われ、皇宮警察や京都市により、数多くの消防車が参入しました。当日は、連日の炎天により桧皮葺屋根が乾燥していたとみられ、火の回りがとても早く、小御所はたちまち炎に包まれ、大きな火柱が上がった そうです。
小御所とは、東宮御元服、立太子の儀式、和歌御会始め、御楽始めなどの儀式が執りおこなわれ、江戸時代には幕府の使者や所司代の拝謁もおこなわれた建物です。慶応3年(1868)12月9日、朝廷は王政復古の大号令を発して、天皇による新政府の樹立を宣言しますが、新たに設置された三職によりおこなわれた最初の会議がここで開かれたため、小御所会議と呼ばれていることは、中学校や高校の歴史の時間に習いましたよね。
その小御所の檜皮葺屋根に落下傘型打上げ花火の残火が落下して出火し、小御所は焼失してしまったんです。皇室の建物が花火が原因で焼失したのは京都市民にとって大きな衝撃だったことでしょう。小御所は紫宸殿の北東にあったため、場合によっては紫宸殿が焼失していたかもしれないわけです。
木屋町の料亭焼失
じつは、小御所以外にも花火が原因で焼失する事件はおこっています。たとえば、木屋町三条上ルにあった料亭の屋根に打ち上げ花火の落下傘が落ち、ぼや騒ぎが起こっています。やはり街中で花火大会を行うということは、多かれ少なかれ火災のリスクはあるようです。
まとめ
はたして小御所が焼失したことがきっかけで京都市内で花火大会がなくなったかどうかははっきりしません。ですが、京都は街自体が文化財のような場所。火災で文化財を失うことを目の当たりにした京都市民にとって、花火大会は気軽に楽しめるものではなくなったことでしょう。
しかし、1855年造営の小御所は、嘉永7年(1854)の大火からちょうど100年後の1954年に焼失していることを考えると、なんともいえません。