発言小町に「他力本願のシンデレラになりたかった」というトピックスがありました。

 

人生、長いこと虐げられる側でした。童話の世界では報われるけど、私には王子様が来なかった。


でも私の周囲にはシンデレラが沢山います。病気、毒親、貧困、借金、発達障害など、色々な負を抱えて「人生、もうどうにもならない!」となった時に颯爽と現れた王子様。生活も経済的に安定して、愛される事で自信もつき、「人生捨てたもんじゃないわ!」に変わったシンデレラを何人も見てきました。

そのシンデレラ達は美人だったわけではなく、内面が美しい女性かと聞かれると、正直「?」と思う部分もあります。人生を変えるために行動をしていたわけでもなく、愚痴を言いながら、私と同じ他力本願。呆然と血の池に浮かんでいたから、お釈迦様が蜘蛛の糸を垂らしてくれた。そんな感じでした。

「その女性は優れた人だから、優れた男性に惚れられたのよ」と言われても、いまいち納得できません。なら独身は欠陥があるから独りなのか。ロクでもない女だからDV男となんか結婚するのかと思うからです。結婚なんて運だと思うんです。努力すれば絶対に幸せな家庭を築けるとか、そんな単純な話じゃないと思っています。

グダグダ書きましたが。お釈迦さま、私も蜘蛛の糸を垂らして欲しかった。こんな美人でもない出来の悪いシンデレラにも、王子様が現れて欲しかった。「人生って捨てたものじゃないわね!」と、私も言ってみたかったです。

 

どうやらトピ主さんは、シンデレラになって幸せになりたかったようです。

 

 

 

 

 

ウォルト・ディズニーのシンデレラ

ところで私たちの思い描くシンデレラは、おそらく同じ様なイメージが頭に思い浮かぶと思います。それはきっと、ウォルト・ディズニーのシンデレラのイメージではないでしょうか。

 

シンデレラにかぎらず白雪姫などは、最後にはイケメンの王子様が白馬に乗って登場し、ヒロインたちを貧しい境遇や継母等からのいじめられている状況から救い出します。そして、めでたし、めでたしのハッピーエンドになるわけです。私たちは幼い頃から、このウォルト・ディズニーの作品を見ることで、めでたし、めでたしのハッピーエンドのストーリーの影響を強く受けているんです。

 

ちなみに、ウォルト・ディズニーが広めているのには、外見が美しい人は内面も美しく、外見が醜いひとは内面も醜いというステレオタイプもあります。シンデレラや白雪姫は美人ですが、彼女たちをいじめる存在は不美人に映像化されていますよね。こういった作品を子どもの頃に繰り返し見ることによって、ステレオタイプ化してしまうのです。

シンデレラの恋愛スタイル

John Alan Leeが「A Typology of Styles of Loving」という論文のなかで、恋愛スタイルについてあきらかにしています。

 

それによれば、エロス(美への愛)、ルダス(遊びの愛)、ストルゲ(友愛的な愛)、プラグマ(実利的な愛)、マニア(熱狂的な愛)、アガペ(献身的な愛)の6の恋愛スタイルがあるとされます。その特徴を一言で言うと、エロス(美への愛)は見た目重視の一目惚れタイプ、ルダス(遊びの愛)は恋愛をゲームのように考えるため関係が短期間で終わるタイプ、ストルゲ(友愛的な愛)は幼なじみや親友のような関係から恋愛に発展するタイプ、プラグマ(実利的な愛)とは学歴・職業・年齢・家柄などのステータスを気にするタイプ、マニア(熱狂的な愛)は独占欲が強く嫉妬しやすいタイプ、アガペ(献身的な愛)は自分より相手に尽くすことを優先するタイプです。

 

では、シンデレラをこの恋愛タイプに照らし合わせてプロファイルしてみましょう。ここでは、1937(昭和12)年に「世界名作物語」に収録された、水谷まさるによる翻訳のシンデレラを分析してみます。

 

わかりやすいのは、王子様です。

 

りっぱな6頭立の馬車が、御殿へついた時、番兵は驚いて知らせに行きました。

 

『どこのお姫さまか存じませんが、それはそれは美しいお姫さまが、只今ただいま、6頭立の馬車でお越しになりました。』

 

それを聞いた王子さまは、わざわざ出迎えに出て、シンデレラの手をとって、馬車から助けおろし、広間へ案内しました。美しい広間では、今しも大勢の人が踊っていましたが、王子さまが案内して来た美しいお姫さまを見ると、みんな踊をやめて見とれてしまいました。バイオリンを弾いていた楽手達も、同じように見とれて、弾く手をやめてしまいました。

 

==(中略)==

 

王子さまと楽しく踊っているうちに、いつ知らず時間がたって、広間の大時計が12時をうち出したので、すっかり驚いてしまいました。シンデレラは、あわてて王子さまのそばを離れ、足の早い鹿のように、広間を飛び出しました。王子さまも驚いて、すぐに後を追いましたが、とうとう追いつくことはできませんでした。ただ、あんまり急いだシンデレラが、片方の足のガラスの靴のぬげたのを、拾う暇もなく逃げ出したので、王子さまはそれを拾いあげました。

 

よーく考えてみてください。シンデレラの王子様は、ガラスの靴を頼りにしてシンデレラを捜さないといけないということは、シンデレラの名前すら知らないわけです。初めて会ってダンスを踊り、結婚相手に選びましたが、名前すら知らないということは、これはもう一目惚れなんです。つまり、王子様はエロスタイプといえるでしょう。

 

では、シンデレラはどうなのでしょうか。

 

音楽がはじまると、待ちかねた王子さまは、さっそくシンデレラと踊りました。二人のステップはよく合います。二人は、風のなかの花びらのように、かるがると踊りました。それは、なんともいわれない楽しさでした。踊り済むと、シンデレラは、自分の姉さんたちが腰をかけている長椅子に腰をかけました。そして、王子さまからいただいた蜜柑をわけてやりました。

 

『まあ、ありがとう存じます。わたしたちに、こんなに御親切にしていただいて……』

 

二人は、このお姫さまから、わざわざ蜜柑をいただいたことを、たいそう光栄に思って、ていねいにお礼をいいました。シンデレラは、くすぐったいような気持がしました。

==(中略)==

王子さまは、美しいお姫さまのことが忘られません。どうかして、このガラスの靴をたよりに、探し出したいと思って、『この小さなガラスの靴に、ぴったりと合う足を持った少女と結婚する。』

 

という、お布告ふれを出しました。家来たちは、ガラスの靴を持って、これはと思う娘たちのところへ行って、はかせてみましたが、みんな合いませんでした。とうとうシンデレラの家へも、家来たちがやって来ました。姉娘たちに、はかせてみましたが、やっぱりだめでした。

 

シンデレラは、そのガラスの靴が、自分のものだと、すぐに知りましたから、『あたしに、合わないかしら?』と、笑いながらいいました。すると、姉娘たちはふき出して、『なんて図々しいことをいうんだろう!』

 

シンデレラ、内緒で舞踏会に行ったのに、わざわざ義理の姉たちと会話するってなかなかのもんです。しかも、自分から「あたしに、合わないかしら?」とガラスの靴を履こうとするんです。

 

他力本願どころか自力本願で、どちらかと言えば図々しい感じさえします。ちなみに、シンデレラも王子様とは舞踏会で初めて会ったわけです。分析の詳細は省きますが、シンデレラはプラグマタイプといえるかもしれません。

シンデレラは幸せになれるのか?

まとめの代わりに、 シンデレラは幸せになれるのかについて考えておきましょう。王子様は見た目重視で一目惚れしやすいタイプです。もし、シンデレラが美人でなくても好きになったかというとあやしいですよね。結婚したあとに、シンデレラより若くて美人が現れたらどうするでしょうか。きっと、そちらに気持ちが移りますよね。

 

反対にシンデレラはというと、王子様の経済力や社会的地位の高さに惹かれているわけですから、王子様でいるうちや将来王様になるのであれば、王子様の気持ちがほかの女性に移っても我慢できるかもしれません。ですがその結果、裕福な生活が維持できなかったりすると大問題です。

 

そう考えると、本当に王子様から愛されていない状態でシンデレラが幸せなのかというと、いろいろ難しいところがあるかもしれませんね。