「校則でポニーテールが禁止されているのはなぜだろう」と、鹿児島市の高校に通う女子生徒が問題提起したことが話題となりました。女子生徒は中学時代の担任の女性教員に尋ねたところ、返ってきた答えは「男子がうなじに興奮するから」だったといいます。はたした、男子がうなじを見て興奮するということはあるのでしょうか。

髪を上げはじめた歴史

江戸時代にいわゆる「日本髪」の結い方が発達するのですが、そのなかで後頭部の髪を鳥の尻尾のように大きくふくらませる髪型がでます。当時の「整髪剤」は、動物の脂や蝋燭の蝋などが主原料。鳥の尻尾のように大きくふくらませる髪型だと、この「整髪剤」が着物の襟につきます。すると、着物の襟が汚れるわけですが、今のように洗濯ができるわけではないので、汚れないようにと着物の襟を抜いて着る着方(今の和服の着方)になり、うなじが目につくようになるわけです。

 

 

うなじの魅力とは?

セクシャルに感じる体の部分を専門的には「性的部位」とよぶのですが、「和服」で肌を露出する部分というと当時は足首か手か首より上しかなかったわけです。性的部位というのは、見慣れてしまうと性的部位ではなくなってしまうので、顔や手はセクシャルに感じることはありません。いわゆる「見えそうで見えないチラリズム的」状態にくるぶしやうなじがあるからこそ、興奮させてしまうんです。

 

洋服は和服以上に肌を露出するため、うなじに男性の意識が集中することは少なく、まだうなじ以上に性的な部位になり得る部分があるため、あまり洋服姿でうなじについて言及されることはありません。

 

 

 

江戸時代の魅せるうなじテクニック

結果的にうなじを見せることになった日本髪や着物の着付けは、たしかにうなじのオシャレを生み出します。

 

これが形式美化したのが、芸者さんたちのうなじを含む首への白粉です。「小股が切れ上がった」の小股は、この化粧によって白粉の塗ってある部分とそうでない部分が脚/股のように見えるからです。うなじ(首)をいかにすらっと見せるのか、後頭部の髪結い方(ほつれ毛を作らない)ということが大事だったわけです。

 

現在のうなじの魅せ方との違い

若いひとのあいだでは、いわゆる「花魁浴衣」のようなものが結構前から流行っていますが、うなじを「性的部位」にさせるために、じつは意味がないわけです。また、髪を盛ったりして浴衣を着たりします。つまり、若いひとのあいだでは、うなじを見せることを大事なんだろうなという意識はあるものの、具体的にどうすればいいかはわかっていないのかも知れませんね。

 

 

 

うなじを見て興奮することはあるのか?

では、「色っぽいうなじにグッとくる」という気持ちは今も昔も変わらないのでしょうか。男子=中高生自身がうなじをみて興奮することはないでしょう。もちろん、うなじが一般的に興奮させるような部分であるという認識はあるでしょう。ですが、だからといって男子中高生が女子のうなじをみて股間を膨らませることはありません。

 

だいたいにおいて、校則を作ったのはオジサンたちです。オジサンたち自身が興奮するから若者もきっとそうだと思って校則化したのでしょう。法律や校則、それから明文化されていない暗黙のルール含めて規範といいますが、それらを決めるのはマジョリティであり、その場を支配している人たちです。

 

電車のなかで化粧をするなとか、電話をするな(声がうるさい)とか、飲食するなというのは日本的な電車内規範です。それは、疲れたオジサンたちが通勤電車内を自分たちの心地のいいように維持しようとした結果、こういう規範を作り上げます。

 

変えていくためには、そのルールおかしいと思っている人たちが場を支配していく(法律や校則を作る立場になっていく)しかないわけです。

 

うなじを見て興奮するのに年齢は関係あるのか?

 

TOKYO MX「5時に夢中!」が3月8日の放送で取り上げた記事の内容に、50代男性の方の見解が紹介され、「80年代はポニーテール姿のアイドルが多く、うなじに興奮した」と放送されました。うなじを見て興奮するのに年齢は関係あるのでしょうか。

 

おそらく、年齢差はあります。何に性欲をかき立てられるかは絶対的なもの(普遍的な対象があるわけ)ではなく、文化や社会によって変わってきます。

 

例えば、日本人男性は「おっぱい」に性的な魅力を感じますが、ブラジルなど南米だと、ミス・ブンブンコンテストがあるように「お尻」です。これは、文化が違うからです。

 

うなじも同じで、中高年と若者は生きてきた(生きている)文化や社会が同じ日本とはいえ違うので、中高年はうなじ、うなじというわけです。

 

ただ、若者はうなじで興奮することはないものの(もっと興奮できる性的部位があるので)、うなじが興奮に値する部位であるということは知識として学習させられているので、「うなじは魅力的だ」と答える人が多くなるわけです。