『故実叢書』の「女官装束着用次第」の女官のように、官位があり、ご主人様に仕えながらも、ときとして公式の席に臨む女性たちは、添え髪で髪を長くしていました。

 

ですが、ご主人様に仕えている以上、いつも髪を長くするわけにはいきませんよね。食事の給仕をしたり、ご主人様の身の回りのお世話をしたりするときに髪が長いと邪魔になるからです。

 

髪飾りの原点

平安時代中期に成立した日本文学史上最古の長編物語といわれる『うつほ物語』のなかでは、「髪丈にあまり、装束あざやかなる下仕へ、釵子、元結して、二十人出で来て御前に参る」と、食事に奉仕する女官たちは、釵子(=さいし)とよばれる2本脚の金属製のかんざしを使って髪上げをしたことが描かれています。この釵子は、現代風にいえば「カチューシャ」です。また、髪を頭上で元結(=もとゆい)によって束ね、髻(=もとどり)という髪形にしたことも描かれています。元結とは、髪の根を結い束ねるのにつかわれた紐のことです。古くは組紐または麻糸が使われていたらしいのですが、紙縒(=こより)が使われたりもしました。

 

もともとは髪を束ねるのに使う道具であった釵子や元結ですが、それらは次第に髪飾りへと変化していきます。とくに元結は入元結(=いれもとゆい)という紙を巻いて芯にした丸い棒状の物などに変化し、これを一重にして結んだうえに水引で二カ所結んだりするようになります。髪を結うことで、近世になると「伽羅油」などの整髪用の油が登場することになります。伽羅油は、胡麻油にハゼ・ウルシなどの実からとったろうそくの原料となる生蝋(=きろう)や、フトモモ科の常緑樹である丁子(=ちょうじ)のつぼみや葉などからとった油を加えて練ったものです。

 

元結は、添え髪をつけたすときにも、また髪が長くて邪魔なときに結い上げるときにも使われました。平安時代の女性たちは、艶やかでまっすぐな長い黒髪が美しいとされていたので、髪を結い上げることはもちろん、何かで飾るということはほとんどありませんでした。ですが、髪が長くて邪魔だからという理由で必要に合わせて使用していた元結や釵子が、次第に髪飾りへと変化していくんです。