祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし

祇園精舎の鐘の音は、諸行無常というこの世のすべては絶えず変化していくものだという響きのようだ。沙羅双樹の花の色は、どんなに勢い盛んな者も必ず衰えるという道理を示している。世に栄えて得意になっている者がいても、その栄華は長く続くものではなく、まるで覚めやすい春の夜の夢のようだ。


『平家物語』の冒頭の文章です。高校生の頃に古典の授業でお覚えさせられたというひともいることでしょう。『平家物語』は、鎌倉時代前期に成立したといわれている軍記物語です。


平清盛を中心とする平家一門のめざましい興隆と栄華、そして転落し滅亡していく過程を、平治の乱から壇ノ浦における平家滅亡を中心に描かれています。

白髪を染めて篠原の戦いへ出陣した訳

さて、寿永2年(1183年)に、斉藤実盛という武将が、平維盛らと木曾義仲追討のため北陸に出陣します。いわゆる「篠原の戦い」とよばれる戦です。

 

斉藤実盛は、もとは源義朝に仕える武将でした。ですが、義朝が滅亡した後は平氏につかえ、平維盛の後見役として頼朝追討に出陣したりしています。この斉藤実盛が、維盛らと木曾義仲追討のため北陸に出陣するのが篠原の戦いなんです。

 

このとき、斉藤実盛は73歳という高齢でした。いくら、平維盛の後見役とはいえ、戦に行くには高齢過ぎます。じっさい『平家物語』によれば、斉藤実盛は白髪頭だったようです。「六十にあまッていくさの陣へむかはん時は,びんぴげをくろう染てわかやがうど思ふなり」と、老人が大将かとおもわれたのでは仕える主人に申し訳ないと、白髪を黒く染めて、篠原の戦いに出陣した様子が描かれています。「わかやがう」とは、若々しくみせていたということです。

「首実検」で髪が白くなった斉藤実盛

ところで、歴史の好きなひとならご存知かも知れませんが、今のようにカメラがなかったこの時代。一体どうやって、自分が戦で手柄を立てたかを証明したか知っていますか。じつは、戦で手柄をたてたかどうかは、殺した敵の数ではなく、どれだけ身分が高い武将を殺したかどうかで決まりました。

 

つまり、下っ端を100人たおすより、一人の大将をたおすことの方が価値があったんです。そして、自分が倒した敵のなかで一番身分が高い相手の首をはねて頭だけ持ち帰り、それを証拠として自分の殿様から褒美をもらいました。

 

この敵方の首の身元を自分の殿様が判定し、その家来の論功行賞を判定することを「首実検」とよんでいました。そして、斉藤実盛も残念ながら首をはねられてしまうのですが、首実検をするために、その首を洗ったところ、髪がみるみる白くなったことが『平家物語』には描かれています。水で洗って落ちたので、おそらく墨を塗っていたのでしょうね。