「黒髪は七難隠す」ということわざがあります。

 

「女性の長い髪は、他の多くの欠点を隠す」という意味です。長い髪は飛び抜けて優れている特徴で、それが他の欠点を隠すというハロー効果を示しています。それくらい、髪が長いことはいいことであり、平安時代では髪が長いことが美人の証とされました。だとすると、反対に髪が短いことは一体なにを意味するのでしょうか。当然それは、美人の反対。不美人の証です。

身分の低い女性は髪を短くしておかなければならない

平安時代の清少納言は、髪の長いひとを「うらやましげなる」とする一方で、「短くてありぬべきもの」として、「下衆女の髪」をあげています。これは、髪が短いことを醜いとするのと同時に、身分の低い女性(=下衆女)の髪は短くしておかなければならないことを意味しています。平安時代の美人は、艶々の髪で、長くなくてはいけませんでした。なので、髪が短いことが醜いと考えられていたのは理解できます。ですが、身分の低い女性の髪は短くしておかなければならないことを意味するとは、どういうことなのでしょうか。

 

同時代の『紫式部日記』には、食事の準備をはじめようと、女房8人が同じ色の衣装を着て、髪を結い上げ、白い紙で束ねる様子が描かれています。この髪を束ねる白い紙を、元結とよんでいました。また、天皇が沐浴するときに奉仕する女房も白い元結をして髪を束ねました。当然ですが身分の低い女性、すなわち身分の高い女性の世話をする者の髪が長かったら、お世話するときに邪魔になりますよね。


つまり、髪が長いことの美意識は、たんにそれが美しいからということだけではないんです。労働をしなくてもよい、身の回りのことを自分でしなくてよいという社会的地位の高さをも、あらわしていたんです。

身分の高い女性が髪が長い理由

自分の身体よりも長いのがよいとされるのは、その長さから髪を長く垂らしたままでも障りがない範囲の行動しかしない女性だけが、現実的にすることができました。今も昔も、家事や育児、仕事をするときに髪が長いと自分の髪とはいえ「うっとうしい」とか「邪魔だな」と思うひとは少なくないでしょう。

 

「うっとうしい」とか「邪魔だな」と思ったら、ゴムで縛ったりしますよね。平安時代でも、働かないといけない女性たちは、髪が長いと邪魔になるので、短くしたり、元結で結ったりしていたんです。結果的に、自分は働かなくてもいいんだということを意味する長い髪は、社会的地位の高さをあらわす象徴として、機能していたんです。

 

平安時代きっての美人といわれている藤原芳子は、ものすごく髪が長いと『大鏡』で記されています。藤原芳子は、栄華を極めた藤原一族の女性。だからこそ、髪を長く伸ばすことが可能であり、また忖度もあってか、髪が長い女性として『大鏡』に登場するんです。

 

ところで、「うっとうしい」とか「邪魔だな」と思ったら、ゴムで縛ったりする以外にも、耳に髪の毛をかけたりもしませんか。それについても、紫式部は『源氏物語』のなかで、こう書き残しています。「耳はささみがちに、美相なき家刀自」と。

 

家刀自とは、食事の分配などを決める女性、いわゆる主婦のことです。料理をつくったり、掃除をしたりするときに髪が邪魔になって、おもわず髪の毛を耳にかけたんでしょうね。ですが、紫式部はそれを多忙な様子で身だしなみができておらず、賎しいと表現したんです。紫式部も身分が高い女性。身の回りのことを自分でしなくてよい境遇で生きていたので、そういう考え方が身についていたんでしょうね。