歴史的な女性の髪形といえば、まず平安時代の長い髪を思い浮かべるひとが多いのではないでしょうか。じっさい平安時代では、女性は打垂髪もしくは垂髪という、長い髪が美人の条件とされていました。清少納言も『枕草子』のなかで、髪の長い人を「うらやましくおもえるもの」としてあげています。現代風にいえば、「あの人は小顔でうらやましい!」「おっぱいが大きくてうらやましい!」と同じような感覚で、「髪が長くてうらやましい!」と書き残しているわけです。

 

2メートルものロングヘアーが美しい

では、どれほど長かったのでしょうか。平安時代中期に成立した『うつほ物語』では、「御髪のいと長げなりしをかい超して見たまへりしかば、いとうるはしく多くて、七尺ばかりにぞありし」と、髪が艶やかでふさふさとあり、その長さは7尺(210センチ)とあります。また、平安時代後期に成立した王朝物語のひとつである『夜半の寝覚』でも、「六尺ばかりなる末つき、扇をひろげたるやうなり」と、広げた扇のように艶々と隙間なく髪があり、その長さは6尺(180センチ)の長さとあります。

 

ほかの平安文学をみても、そこに表現される美しい髪の長さは、6尺以上で表現されることがほとんどです。平安時代、髪は長ければ長いほど、美しいとされていました。もちろん、ただ長ければいいというわけではなく、艶やかでふさふさしているとか、広げた扇のように艶々と隙間なく髪があるという、艶やかさなども大切でした。

 

艶やかさというのは、現代の女性でも追い求めているので、わかる気がします。また、女優の仲間由紀恵さんや栗山千明さんのような長い髪であるロングヘアーの女性も多くいるので、長くて艶やかな髪の人が美人というのは、今のわたしたちにも理解できます。ですが、2メートル近い6尺とか7尺の長さというのは、いくらなんでも長すぎます。いったいどうして、こんなに長い髪のひとが美人と考えられるようになったのでしょうか。

なぜ髪が長いことが美人の象徴となったのか

平安時代後期に成立したとされる『大鏡』は、藤原道長の栄枯盛衰を中心に描かれた歴史物語です。このなかで、藤原氏一門のなかでも、とくに美人とされた藤原芳子について描かれている部分があります。そこでは、藤原芳子が牛車のなかにいてもなお、髪の先が住居の柱に巻きついていたほどに、髪は長かったというんです。具体的な長さは書いてはいませんが、牛車のなかという家の外にいても髪の毛先が家のなかにあるということは、6尺とか7尺の長さどころではないでしょう。

 

藤原芳子の髪の長さの真偽はともかく、やはり長い髪が美しいという意識が存在したからこそ、この逸話は生まれたと考えることができます。そして、栄華をほこった藤原氏であるからこそ、藤原芳子を髪が長いという表現をもって、意図的に美人だと表現したのかもしれません。現代風にいえば、藤原家に対する「忖度」なのでしょう。しかし、いったいどうして、それほどまでに髪が長いことが、美人と象徴になったのでしょうか。