髪は短くするのではなく、美しく髪を伸ばしていくということが重要でした。

「みづら」という髪型

髪が肩ぐらいまで伸びると、頭の中央で左右にわけて垂らします。そして垂らした髪を、耳のあたりでくくって垂らしました。この髪形を「みづら」とよんでいました。お笑いコンビ・ハイキングウォーキングの鈴木Q太郎さんが「卑弥呼様!」と叫ぶギャグのときにする髪形が、「みづら」です。実際に、卑弥呼が「みづら」をしていたかどうかはわかりません。というのも、卑弥呼の存在の信憑性以前に、「みづら」は古代では男性の髪形だったからです。「みづら」がどんな髪形だったのかは、『大日本名将鑑』に登場する神武天皇の木版画を見ればわかりやすいでしょう。

日本最古の男性のヘアースタイル「みづら」

『源氏物語』にも、元服前の少年の髪形として、「みづら」が登場します。「みづら」は、「角髪」もしくは「美豆良」とも書かれ、鎌倉時代になると鬢頬(びんずら)ともよばれました。髪全体を中央で二つにわけ、耳の横でそれぞれくくって垂らした姿が角のようにみえたことから、「角髪」と書かれるようになったと『古事記伝』にはしるされています。

 

平安時代の辞書である『和名類聚抄』には「美豆良」で説明がされています。「みづら」自体は『日本書紀』にも登場するので、ある意味で日本最古の男性のヘアースタイルともいえるかもしれません。

 

ところで、「みづら」がどんな髪形だったのかは、『大日本名将鑑』に登場する神武天皇の木版画を見ればわかりやすいでしょうと紹介しましたが、神武天皇と「みづら」に関して、帝塚山学院大学の及川智早氏が、面白い指摘をしています。

 

神武天皇は、『日本書紀』によれば天照大神の子孫で、初代天皇とされている伝説上の人物です。及川智早氏によれば、神武天皇の描かれ方が、1890年代(明治30年頃)を境に、その前後で違うというんです。

 

どう違うかといえば、江戸時代や明治初期では神武天皇の髪形は、髪を垂らし頭の後ろで束ねる「ポニーテール」のような髪形だったのに対し、明治30年頃から「みづら」に変わるというんです。たしかに、『神武天皇東征之図』に登場する神武天皇は「みづら」ではありません。そのほかの神武天皇を描いた絵を見ていても、髪形が安定していないのがわかります。

「みづら」は強いリーダーとしての天皇像?

なぜ、神武天皇の髪形が1890年代を境に「みづら」に変わってくるのかについて、及川智早氏は『日本書紀』『古事記』において「みづら」が登場するのは、戦いにまつわる場面であることから、欧米列強に並ぶ近代国家のリーダーとしての天皇の強さを象徴するために、意図的に「みづら」が利用されたと指摘しています。つまり、『日本書紀』『古事記』では「みづら」は戦にのぞむ髪形であり、天皇支配の正統性を示す意図のなかで、強いリーダーとしての天皇像を造るために利用されたというんです。

 

いずれにしても「みづら」自体は、古代からあった実在する髪形です。ですが、神武天皇と「みづら」に関係を見ていると、髪形はたんなる個人の嗜好のあらわれではなく、社会性が強いものだということが見えてきます。