歌舞伎役者・市川笑野氏のツイートが話題になりました。

 

【拡散希望】とても困っております! 資生堂が舞台用化粧品の製造をやめてしまい、愛用の化粧品が手に入らなくなってしまいました! どの品も歌舞伎の化粧に必要な物で、粉白粉の白さや棒水紅の色の良さ使い易さは絶品です。 伝統芸能を支える品物です! どうか資生堂さんにこの声が届いてほしいです!

 

リ・ツイートは、3万回を超えました。

 

市川海老蔵氏もこの件について、自身のブログでコメントしています。

 

資生堂さんの白粉、

 

粉白粉、との粉、水紅、

 

などなど

 

生産中止になるとか、

 

みんな困ってます、

 

なんとかならないものですかね、、

 

 

そして、中村芝のぶ氏も・・・


舞台用化粧品は現在 資生堂様だけでなく

数社様が製造販売して下さっていて

 

それぞれの会社が練り白粉 粉白粉 紅 トノコ

などを製造して下さってます

 

そうした中やはり各社の製品には使用感に違いがあり

役者それぞれが自分に合うものを探して愛用しております

 

それは普通の化粧品と同様 各自の肌に合う 合わないという事が起きてくるからでございます

 

ですから同じ会社の製品をライン使いしている役者はほとんどなく

それぞれの会社の製品の中から気に入ったものをチョイスして組み合わせて使っております

 

私の場合ですとびんつけ油はみす屋とウテナ

練り白粉は白さとコストパフォーマンスを考えて三善

粉白粉と水紅は資生堂

油紅とパンケーキは三善

 

と様々に使い分けております

 

粉白粉と練り白粉ですが

(大元の原料は同じなのかも知れませんが)

使い方は全く異なるものでございます

 

水で溶いて使うのは『練り白粉』

粉白粉は水で溶いたりはせず粉のまま

水溶きの白粉の前にハイライト的に使ったり

地塗りの仕上げに使うものでございます

 

この仕上がりの白さが資生堂さんの粉白粉は他の追随を許さないものがございまして、

 

腰元や仲居などの白さを要求されないお役には必要ありませんが

例えば今月の並び傾城(又はお姫様)などの真っ白さが大事なお役の場合は欠かせないものなのでございます

 

練り白粉だけで真っ白にするには相当に厚く塗らねばならず

表面がゴワゴワになる上に落ちやすくなってしまいます

それに化粧もしにくく見た目が不自然に

 

その点資生堂さんの粉白粉は

多少練り白粉の塗りが薄めでも

仕上げに軽くはたくだけでびっくりするほど真っ白で柔らかい仕上がりになるので

業界では『ビックリ粉』と呼ばれているくらいなのでございます

 

それからトノコには赤と黄色という二種類がございますが

この黄色の方の色味が資生堂さんの製品は非常に絶妙でして

 

仲居などの顔はこれが無くては昔ながらの色は出せないと思います

 

 

一連の「歌舞伎役者と白粉」で思い出すのは、白粉に含まれていた鉛害が、五代目中村芝翫のおかげ(?)で解明されたこと。

 

中村芝翫は明治二十年福助と名乗りし頃井上伯邸にて展覧芝居を演じたる時,突然左足が震へ出だし,身体に異常を呈したれど,当時は何病なるや少しも分らず,其後度々震出すゆゑ松本順,橋本綱常,佐藤進,榊順次郎なんどの諸先生の診察を仰ぎ,漸く鉛中毒に中りたるものと判然せし

 

1900年4月17日に、内務省より省令第17号がだされている。これは、現在の食品衛生法の前身ともいえる「有害性著色料取締規則」であった。その第1条に、有害性着色料を2種類あげている。

 

「有害性著色料取締規則」では、鉛などの化粧品への使用を禁じている。じつは、白粉には鉛が含まれていた。そのため、歌舞伎役者のあいだで慢性鉛中毒に似た症状がよくみられたという。

 

「有害性著色料取締規則」がだされた発端は、明治天皇と皇后、有栖川宮をはじめとする皇族、内閣総理大臣である伊藤博文を含む閣僚を招いて井上馨が開いた天覧歌舞伎にある。

 

1887年、時の外務大臣井上馨が東京麻布の鳥居坂の邸宅に八窓亭という茶寮を新築した。その落成披露として叡覧に供したいと、天覧歌舞伎が4日間にわたり開催された。

 

天覧歌舞伎は、1887年4月26日に初日を迎えたのだが、それから3年後の1890年2月28日に、順天堂医事研究会会長の佐藤進が「おしろいノ中毒症状ニ就テ」という研究発表をしている。

 

佐藤進は、歌舞伎役者に多かった慢性鉛中毒に似た症状の原因が、歌舞伎役者が日常的に使用する白粉にあるのではないかと考えた。そして、友人の東京帝国大学教授高松豊吉に白粉の成分分析を依頼していたのである。

 

この研究をはじめたきっかけが、天覧歌舞伎にあることは間違いない。そして、これ以降、従来の鉛を含む白粉から、無鉛白粉の開発と製造が試みられるようになる。

 

だが、それは簡単なものではなかった。

 

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