平安末期の僧である法然は 比叡山で天台を学び 安元元(1175)年に称名念仏に専念する立場を確立し 浄土宗を開いた

庶民だけではなく関白九条兼実など 社会的地位に関係なく多くの者たちが法然の称名念仏に帰依した

建暦2(1212)年に亡くなるあとも 法然の説いた教えは浄土宗という一派だけではなく 日本仏教や思想に影響を与えた

入滅から486年が経った元禄10(1697)年には 最初の大師号が加謚された

法然の年忌法要は特別に天皇の年忌法要と同じく御忌とよばれているが 正徳元(1711)年の滅後500年の御忌以降 今日に至るまで50年ごとに大師号が加謚されており 明治になるまでは勅使を招いての法要もおこなわれていた

本稿は、法然の御忌における法要が確立した徳川時代のなかで、650年の様子を記録した『蕐頂山大法會圖録全』『勅會御式略圖全』の翻刻を通じて 徳川時代における御忌のあり方を浮かび上がらせることを目的とした


【資料】
姜鶯燕・平松隆円 2012 法然六五〇年の御忌 ―「蕐頂山大法會圖録全」「勅會御式略圖全」の翻刻―日本研究 国際日本文化研究センター 45号 pp.301-335