★「なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。」(マルコによる福音書9:19)

 イエスが不在のとき、癒しの技を頼まれた弟子たちでしたが、うまくいかず、騒ぎになっていました。戻ってきたイエスが、ことの成り行きを知って、弟子たちにぶつけたのが上記の言葉です。この後、イエスが代わって癒しの業を行い、騒ぎは収まったのですが…。
 まだまだ未熟な弟子たちです。この騒ぎの後で、弟子たちはイエスに、「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」と尋ねています。それに対してイエスは、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と答えます。このことを、弟子たちはちゃんと教えてもらっていなかったのだとしたら、上記のイエスの言葉には、「そんなにイライラしなくてもいいのでは?」と思ってしまいますが。

 イエスといえば、「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」(マタイ5:39)という言葉が有名です。なので、どんな時にも心が乱れない、悟りを開いた人のようなイメージがあります。しかし、聖書のあちらこちらに、感情的なイエスの行動が記されています。
 たとえば、十字架への道が始まる直前には、ひどく恐れてもだえながら、「わたしは死ぬばかりに悲しい」「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください」と弱音を吐いています。また十字架上でも、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と、絶望的な言葉を叫んでいます(マルコ15:34)。
 これらの箇所を、「イエスは神の子ではなく、やはり人間だった」と読み解くこともできるでしょう。しかし逆に、「だからこそ、やはり、イエスは神の子だったのだ」と読み解くこともできると思うのです。なかなか、聖人君子になったり、悟りを開いたりできない私たち。そんな私たちが抱える〈弱さ〉を、神の分身であるイエスが共有してくださった、共に味わってくださった。ありのままの私たちを、神自らが、追体験してくださったと言えるのではないでしょうか。そのことによって、弱い、ありのままの私たちを赦し、受け入れてくださっているのだと思うのです。

 日本の南北朝時代の禅僧で、関山慧玄(かんざんえげん)というかたの死に方が、素晴らしかったそうです。~彼は永らく病床にありましたが、ある日、「どうやらお迎えがまいったようじゃ」と言って、みずから旅支度をし、「どれ」と、杖をついて寺を出て行きます。弟子たちはじっと見送っていましたが、三十歩ほど歩いた所で、関山は杖にもたれてじっとしています。弟子たちがかけつけてみると、彼はそのまま死んでいました。(『ひろさちやの般若心経88講』(ひろさちや・著、新潮文庫)より~ 禅宗のお坊さんらしい、迷いのない立派な最期ですね。
 ところが、明治時代の名僧、橋本峨山(はしもとがざん)の最期は、正反対だったそうです。~息をひきとる間際になって、峨山は弟子たちを全部呼び集めました。「おまえたち、よく見ておくがよいぞ。ああ、死ぬということは辛いもんじゃ。死にとうないわい」 そう言いながら、峨山は死んでいったのです。~(前掲書より)
 「どんな死に方が立派だとか、そんなことに、こだわらなくてよい。ありのままの死に方でよいのだ」と、峨山は示したかったのでしょう。これは、「こだわりを捨てる」という禅宗の教えによるものだと思いますが、さきほどのイエスの態度とも、共通する面があるのではないでしょうか。

 『歎異抄』では、「この世は、矛盾と苦悩に満ちた場所(火宅)である。なので、108個もある煩悩から逃れようと努力しても、うまくはいかない。しかし、自力解決の道が閉ざされたときこそ、そこで、他力(阿弥陀如来)による救いの手が見つかるのだ」と教えています。火宅の中、煩悩を抱えながら生きていくしかない私たち。そんな私たちが、この世に向きあい、しっかりと生きていくためには、他力の存在に気づき、信じてすがることが大切だと言います。それが、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」という称名を唱えることです。阿弥陀仏の存在に気づき、助けを求めて名前を呼んだ瞬間、たちまち阿弥陀様が心の中に入ってきて、この世を生きていく安心感を与えてくださる。こういった考え方は、キリスト教での「悔い改め」や「祈り」が意味するところと、ずいぶん近いのではないだろうか。そんなことを、最近、よく考えるようになりました。