俺は外国人?
=今回の記事は延々なる独り言なので、時間の無い方は料理の画像だけで(笑)=
「謙遜」
って日常生活にそこまで必要あんのか?
とたまに思う事があります
勝利を称えられたら
「いえ私なんか運が良かっただけです」
容姿を褒められたら
「美容師の腕がいいからですよ」
「今日はたまたまそう見えるだけです」
手柄を称えられたら
「いえ、これは彼がいたからですよ、これもみんな彼のおかげです」
我々の日常会話の中にもこのような言葉は毎日といっていいほどありふれている
「いえ、僕なんて」
「いえ、私なんて」
たとえ、お世辞回避の方法だとしても
このような言葉を使う事は自分自身に対して非常に失礼な事だと思う
日本に来た外国人が謙遜を覚えると
ちょっと悲しい
パターン①
「ジェフさんは日本語がお上手ですね」
「いえいえ、そんな事ないですよ~」
↑謙遜してるー!もう十分上手いだろ!
このような会話だと、大勢の日本人からするとこの外国人の印象が
かなり良くなるはずだ
パターン②
「ジェフさんは日本語がお上手ですね」
「はい、けっこう喋れます」
「じゃぁ、この四字熟語知ってる?」
↑お前はイジワルさんか
パターン③
「ジェフさんは日本語がお上手ですね」
「はい、けっこう喋れです」
「・・・」
この程度の日本語でけっこう喋れる?なんて、高慢な外国人だ、、、これだから外国人は・・・
↑なら褒めるな
ていうか、謙遜ありきで人を褒めてそれに謙遜で返す
このような暗黙のルールに何の意味があるのか
謙虚な人というのは多くの日本人に好かれる
しかしなぜ謙虚な姿勢が好かれるのか・・・
深く考えれば考えるほど意味がわからない
結局、謙遜しないとムカツクんでしょ?
とこう思う俺は外国人なんだろうか?
何も高慢であればいいと言っているのではない
謙虚とか謙遜は
日本人の美徳としてとらえられがちだけれども
「自己否定」や「自己愛の拒絶」に繋がると思っている
俺は自分が愛せない人は他人も愛せないと思ってるので
まずは褒められたらすぐに
「ありがとうございます」
と素直に受け止めたい
まぁ、そんなやりとりを続けているうちに人も
コイツは謙遜を知らないやつだから褒めるのは無駄だ
と思われるようになるだろう
そうすれば、無駄な賛辞を受ける必要もなく、無駄な時間を浪費する事もなくなる
あと、褒める人、、、上から目線で褒めるから相手が謙遜しなかったら
「怒る」わけだ
まぁ社交辞令では謙遜も必要かもしれないが
この1歩下がるという風習が身についてしまうと
人の顔色を見るクセがつき、つまらない人間になる
しかし、この狭い日本
歌手、アイドル、俳優、政治家、スポーツ選手・・・・
有名人と呼ばれる人たち
「謙虚」な姿勢で「謙遜」しないと生き残れない
マスコミが煽り、国民の多くからバッシングを受ける
自分は何者なのか?
スイマーなら水泳で記録を残せばいい
歌手なら、もっと感動させるような歌声を披露すればいい
ボクサーなら相手を打ち負かせりゃいい
野球選手も、もっと良いプレーが出来るようになればいい
人の顔色ばかりを伺っていたら何もできない、手足を縛られた状態で
仕事しているのと同じ事
だから
偉業を残した人達というのは俗に言う
「変人」
が多い
と俺は思っている
残りの人生、自分の好きなように好きなことして生きたいですよね
ホンマに人生は1回こっっきり
死んだ後で
「あの人はええ人やった」
と言われるよりも
生きている内に
「ああ、すばらしく楽しい人生だ!」
と実感したい
I FEEL ALIVE
大好きな言葉です
最後に
晩ご飯、スープスパ♪
朝食
・茄子と豚肉の甘辛炒め丼
・わかめとキャベツのスープ
・サラダ

