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小中学生のためのネトウヨ話

今日本で何が起こっているのか?を小中学生にもわかるように解説するブログです。

ネトウヨとは「ネット右翼(うよく)」の略です。
逆の「左翼(さよく)」とネットの中から戦っています。

文春オンラインにて慰安婦問題を問題化した臼杵敬子氏の寄稿『「挺対協」”嫌韓”を作った組織の30年#1~4』について、慰安婦問題の何がそもそもの問題なのか考えてみたいと思います。

 

「慰安婦を利用した。私を裏切って、国民を裏切って、全世界の人々を裏切ってだました」

 こう挺対協(現・「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」)の不実について告発した元慰安婦李容洙(イ・ヨンス)氏の記者会見によって韓国社会は大揺れに揺れている。

 韓国メディアでは連日、挺対協と、元代表で先の韓国総選挙で国会議員となった尹美香(ユン・ミヒャン)氏の疑惑が報じられた。この内部分裂が意味するところは、慰安婦問題が“偽物の人権”を掲げる団体に長らく支配されていたということだ。

 

 挺対協の罪は大きい。時にウソの理屈を振りかざし韓国人の中にある反日感情を刺激し、不条理な発言を繰り返すことで日本人の中に“嫌韓”という意識を根付かせた。

 はたして挺対協とはいかなる組織なのか。

 彼女らの実態をよく知る日本人がいる。

 その女性の名前は臼杵敬子氏という。ライターとして女性問題に関心を深く持っていた臼杵氏の人生は、1990年に韓国太平洋戦争犠牲者遺族会の被害者たちと出会って一変する。臼杵氏はその後の半生を、遺族会を支援するための活動に費やした。90年代から議論が始まった日韓歴史問題を、最も間近で見つめてきた日本人の一人であるともいえよう。

 臼杵氏は支援活動のなかで多くの元慰安婦との交流を持ち、2007~2017年春までは、元慰安婦を巡回し福祉支援を行うという外務省フォローアップ事業の民間担当者としても尽力してきた。

 ある意味では韓国人より元慰安婦に寄り添ってきた女性である臼杵氏の、最大の障壁となったのが挺対協だったーー。

 本連載では臼杵氏が見た、なぜ慰安婦問題が歪んでしまったのか、その真実について回想してもらう。そして挺対協とはどのような組織だったのかを、当事者として批評してもらおうと考えている。

 

 

①本当に慰安婦問題はあったのか?

 

私は1984年に玉水(ペ・オクス)さんという元慰安婦のかたを取材したことがありました。『レディキョンヒャン』という韓国の女性雑誌に彼女の記事が出ていて、編集長から紹介してもらったのです。

 ペさんは16歳のときに「いい仕事がある」と騙され、身売り同然でミャンマー奥地まで連れて行かれ慰安婦となった女性でした。

 彼女は辛い経験を語りながらも「日本兵も可哀そうだった」と涙を流しました。アジアの奥地で日本軍が壊滅していく中、なんとか生き延びた女性がペさんだったのです。

 ペさんは戦後ベトナムで生活していましたが、ベトナム戦争後「外国人は粛清される」という噂を聞き出国を決意。子供5人を連れ難民として韓国に戻ってきました。

 

これについては別記事があります。

 

 

 

第二次世界大戦中にビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で働き、その様子をつづった朝鮮人男性の日記が、韓国で見つかった。

 安名誉教授は「米軍の記録が第4次慰安団を指すのは確実だ。慰安団の存在は、組織的な戦時動員の一環として慰安婦が集められたことを示している」と指摘する。ただ、安名誉教授は、韓国で一般的な「軍や警察による強制連行があった」という意見に対しては、「朝鮮では募集を業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的になかったはずだ」との見方を示した。

 

つまり、上の文春の記事では「騙されて」との「騙したのは誰か」が意図的?に抜かれており、うっかり読めば日本人や日本軍が「騙した」かのように見えてしまいます。これが日本国内メディアが誘導する「日本人や日本軍が慰安婦を騙して連行した」かのような誘導記事ではないかと強く懸念します。

 

 私は金学順さんを第1号証言者とすることを回避する、という決断をしました。92年6月1日の初公判では、金田きみ子さんに証言をお願いしました。彼女は慰安婦として7年ものあいだ日本軍に従軍していた女性です。その証言は明確で、日時や場所など全て裏付けがとれるものばかりで真実相当性が高いと考えました。

 

これも別記事を見ると

従軍慰安婦問題を考える (抜粋)

「1938年春、一六歳と一八歳の二人の友人が、金田きみ子を「いっしょに工場にお金を儲けに行こう」と誘った。

紹介者の日本人の家を訪ねると、その家には、床の間に日本刀が飾ってあった。紹介者の日本人は、「工場に勤める大勢の人を募集に来た。お金がたくさん儲かる。」と言った。二人の日本人男性(軍人ではない)に連れられてソウルに来た。日本人の警官か軍人の家と思われる建物に着くと、すでに一〇人くらいの女性が集められていた。
 列車を降りると、
ジープ二台、トラック一台が来ていた。ジープに軍人が各二人、トラックに五人くらい乗っていた。金田きみ子ら女性たちはトラックに乗せられ、トラックとジープは枯れ草の中を走り、ペータンの部隊に着いた。」
 

金学順、文玉珠らと共に日本政府を相手に慰安婦として最初に訴訟を起こした三人の内の一人ですが、金学順、文玉珠とは違い(証言集に)証言が掲載されていません。
裁判の原告になって以降に発売された証言集に同女の証言が取り上げられていないことを考えると、証言に統一性がなく取り上げようがなかったのではないかと考えられます。

信憑性は無いと考えて良いでしょう。

 

と、こともあろうかジープが出てくるということは米軍の慰安婦であったとも考えられ、裁判の第一号証言者としてその後いなくなるような人物を「真実相当性が高い」などという臼杵敬子氏などが「歴史的事実」のように述べる「慰安婦問題」とはそもそも何なのか」と思わざるを得ません。