聖書のお話にこんなのがあります。


12:41それから、イエスは献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。 12:42そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。 12:43すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。 12:44みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」 (マルコ12:41~44)


例えば神社で

お金持ちがこれみよがしにめちゃくちゃ大金を

お賽銭するのと、

生活が苦しいけど少しでも日々の感謝を伝えたいと

少ない額でもお賽銭をした人だったら


どっちの願いを聞いてあげたいですか?


ここでマルコの福音書に書かれてる内容というのは


何もキリスト教だけに当てはまるものでは


無いのです。


仏教でも神道でも同じことが


言えるのではないでしょうか?


前回書いた最大限の感謝にも繋がりますが


5円や115円が悪いのではなく


どんな立場の人がどんな思いでそれをするか


なんですよね。


子供からもらうお金より


孫からもらう絵の方が嬉しいのと同じです。