パンクロックやニューウェイブのアーティストたちが目の敵にしていたのが、60~70年代の大物ロッカーたちだった。中にはWHOやドアーズのように、ラジカルなパンクロッカーから先輩扱いされるアーティストもいたが…。ストーンズが特にやり玉にあげられることが多かったのは、金の匂いがしたこと、それに現役バリバリだったことが原因だったと思う。
意気盛んだったジョン・ライドンの発言に対して、リーダーであり、バンドのスポークスマン的役割でもあったミック・ジャガーは、パンクロックをほぼ完全否定した。ただし、『ロックは使い古された表現で、もう何も期待できない。世界を変える力なんかない。パンクロックだって同じだ』と。それは、60年代後期のヒッピー全盛時代にも彼の口から出た発言だった。そして、その発言はその後のストーンズを決定づけることにもなった。
80年代初期のディスコブーム、それに乗っかる形で解体していく大半のニューウエイブ勢を横目で見ながら、ストーンズはストイックとも言える、一見地味な作品をリリースし続けていた。今日紹介するのは、86年発売の『DIRTY WORK』。
ストーンズのファンが選ぶ代表作は、70年初期~中期の作品が多い。ブルースの影響が濃い『レット・イット・ブリード』、ニューオリンズの香りが漂う『スティッキー・フィンガーズ』、その続編の『メインストリートのならず者』。この3枚はほとんどのストーンズファンのフェイバリットではないかと思う。確かに分かりやすいし、名曲も多い。
しかし、久々にストーンズを聞き直してみて思ったのは、その後の作品がもっと凄いんじゃないだろうかいうこと。どこがどう凄いのか?
結論から言うと、ストーンズの音楽は『音の文学』だと思う。ミック・ジャガーの歌がそう思わせることが一番の原因だが、黒人音楽を異化してしまうキースのギターがあってはじめて、ストーンズの音楽は成立している。キースのギターに耐えられるヴォーカルは、そういないだろう。いや、ミック・ジャガー以外にはいないのではないかと思う。要は文学を歌うことのできるヴォーカリストなのだ。
『DIRTY WORK』には、分かりやすい名曲はない。その理由は明確だ。70年代初期にロックが持っていた全体性は、対ベトナム戦争に象徴される反社会を前提にしたものだった。しかし、今やその旗手だったストーンズが槍玉にあげられるという現実。それ自体が、ロックには社会に対して何の力も持ちえないことを皮肉に証明していた。
このアルバムには贅肉がない。もっと言うと、社会からもパンクロッカーからも否定されて骨格だけになったストーンズの1986年が刻まれている。ジャケットは、まるで黒人が着るような原色のスーツとシャツ、パンツをまとったメンバーが、しかし黒人にはないようなだるくて厳しい表情でソファを囲んでいるというもの。そして、その音楽は、黒人音楽をベースにしながら…という、従来のストーンズのものではなくなっていた。
1曲目のイントロで、ハイハットとバスドラの上に絡みはじめるキースのギターは、黒人音楽を完全に抽象化してしまっている。そして、そこにストーンズの本質はあると思う。抽象化されたこのギターなくして、ミック・ジャガーの歌は成立しえないのだ。
異化された黒人音楽から抽象化された黒人音楽へ!ストーンズが凄いのは、80年代中期の浮かれた時期に、その革命を自然にやってしまったことにある。当時は、誰もこの作品がそれほど凄いものだとは思わなかった。僕もそうだった。
