20僕とJoe⑦ 【Duran】
Lisaと付き合った短い日々のことは、僕の中でもう穏やかで懐かしい過去のものになっていた。今の彼女が誰と付き合っていようが、彼女が幸せなら構わないと思ってさえいた。でも、いくら何でもJoeの口から出た人の名前は重すぎる。
『ジャック・メイオール』
《素朴で温厚な家族思いの父がLisaと付き合っているなんて・・・》
Joeと作ったバンド、スタンドは今や破竹の勢いで全米デビューまで果たそうとしている。色々な難問を抱えてはいるが、それは前向きな問題だ。でも…≪父とLisaが付き合っている≫それはいくら僕でも許せない…。
↓
「Joe、スタンドが日本からデビューするってのはあり得ないかなあ…?」
僕の突然の提案にいつもは動じないJoeも、内心びっくりしたみたいだった。
海岸線を走るコルベットの助手席に納まった彼は不思議そうに僕を見た。
「何故?日本なんだよ!?」
僕は少し間をおいて喋りだした。
「実はずっと前から考えていたことなんだ。CBSやモータウンってアメリカの大手のレコード会社の重役に会って、Joeもうんざりだって思ったろ?彼らが提案することと言えば、どうやったらビバリーヒルズに家を買えるか?どうやったらマドンナのようなセクシィな女とスキャンダルなしに一発やれるか?どうやったら売れなくなった時に印税で食って行けるか?要はそれだけさ!だからビクトリア・ジャパンの小田社長と初めて会った時に、僕らはこの人となら一緒にやっていけるって思った、そうだろ?彼はこう言った!【ロックって音楽は日本じゃまだまだ日の目を見ていないジャンルだ!たくさんの優秀な若者の未来を切り開く手伝いをするのが僕の仕事だ!】って。僕は彼ととことん仕事をしてみたい!」
Joeが冷静に言う。
「うん、全部わかるよ!でも何故日本でデビューするかって答えにはなってないなあ?もし日本でデビューするって事になると、当分、言葉も食事も習慣も違う日本で暮らすって事も考えに入れなきゃいけないし!」
「あたりまえの事をしていたんじゃあ、Slyみたいにこの国のロック・ビジネスの論理に潰されてしまうって事さ!」
Joeが反論する。
「Duran、おまえが今言ってるのは、極めて単純な論理さ!アメリカじゃ戦う自信がないから、ロックの後進国の日本で戦おう!ってことじゃないか?そんなのは逃げだよ!第一プリンスだってデヴィッド・ボウイだって立派にここで戦って勝利してるじゃないか?」
「いや、逃げなんかじゃないね!日本でデビューするって事は、アメリカでデビューするより大変なことだと思う。言葉も文化も違うし…。だけど、日本で成功すればスタンドの音楽は、今度はアメリカに逆輸入されるんだ。SONYのラジカセやHONDAの車みたいにネ。僕らの音楽を一番理解してくれるのはロスの若者達かもしれない?だからこそ、一度この町を離れるんだ!っていうか距離を置くんだ!」
【Joe】
≪Duranの声色の中に、ステージで彼が歌うときのような哀愁に似た響きが加わって来た。こういう時はいつも説得されるんだよなあ…?俺にはもうわかってきた。Duranはいつも人と親しくなりすぎる事を避けるんだ。その理由はよくは解らない。が、今回はよく解る。やさしい父を憎みたくないんだろう!その気持ちがスタンドの日本デビューというDuranの考えを後押ししているんだ≫
↓
昨日、Joeから聞いたLisaと父の事が気になり、唯でさえ口を聞かない父との関係はさらにギクシャクしたものになった。というより、僕ひとりがギクシャクしていた。当然だが、父からLisaとの事を母や僕に言う訳はない。しかし、恐らく父はLisaを通じて過去の出来事を知ったはずだ。
Lisaはどこまで僕のことを喋ったのだろうか?酔っ払った勢いで公園でMakeLoveした事、僕が実は父と母との愛を純粋なものだと思えないでいること、あるいは…。
人は死に瀕した時、走馬灯のように過去を顧みるというが、今の僕の脳裏にはLisaとの思い出がそんな風に駆け巡っていた。
「日本でデビューするという大胆な計画をスタンドのメンバーに話さなけりゃ…、」そう思いながら何日かたったある日、Joeから電話があった。Lisaが会いたいとの事だという。
「Joe、君には珍しくおせっかいな事するんだなあ…。一体だれがそんな気分になるっていうんだい?」
「いや、Lisaのメッセージをそのまま伝えただけさ。俺は何も思っちゃいないよ。」
「じゃあ、Lisaに会って何を話せっていうんだ!」
「それは俺にもわからない。ただ、今のままのおまえと一緒にこのまま日本に行っても何だかうまく行かないような気がするんだ。だから、Lisaと一度は話したほうがいいって思う」
Duranは思った。
《Joeが、なんとなくそう思う!って言い張る時にはいつも説得されてしまうんだ…。何故なんだ???》
何年ぶりかにLisaと会ったのは、その日の夕方だった。
↓
《昔の彼女が父と付き合ってる…、全くこの状況で何を喋れって言うんだ!そう思いながらも、Joeに説得されてLisaに会おうとしている僕の中には、幾分、彼女に会って全てを問いただしたい気持ちもあるのかもしれない》
夕暮れの近づくロスの街はずれのカフェのガーデンには、僕ら以外にお客はいなかった。なにしろもうすぐ冬を迎える季節なのだ。
三年と少しの月日は、あどけなく潔癖だった少女の振る舞いを、年相応の強さとエッチさを感じさせるアメリカ人女性のそれに変えていた。
「Duran…、久しぶり…、会いたかった…!」
《この状況で会いたかった!ってか???それにしても、とぎれとぎれのLisaの言葉は、乾いた心に容赦なく沁み込む…》
「…、僕は何故ここに来てしまったのか?実はよくわからないんだ…!」
《こういう時、男は一瞬で女に負けてしまう》
「Joeから話し、聞いたと思うけど…?実は私、ジャックと付き合ってるの?」
《面と向って元カノに、今は貴方のお父さんと付き合ってるの!って言われてもなあ? しかも、不倫だぞ、不倫!!!しかし、確かにLisaは格段にいい女になった…》
「何でなんだよぉ!」
《語気を荒げてそう言おうと思ったが、舌がからからに乾いて、最後の“よぉ”は頼りなく聞こえたはずだ…》
「ちゃんと話したかったの。いまから説明するね!」
《遂に来た、僕は何を説明されるんだろう?ってか、どうして説明聞かなきゃならないん?》
Lisaは、以前は飲まなかったジンライムをひとくち喉に注ぎ込むと、深呼吸をして現在の彼《ジャック・メイオール=僕の父》の話しをし始めた。
「ジャックと初めて会ったのは、ロスのUFO研究のサークルなの!」
《あぁ、そういや父の唯一の趣味と言えばUFOの研究だったよなぁ…》
「ジャックはそのサークルの会長をしていて、ジャック・メイオールっていう名前は最初に紹介された時に知ったけど、まさかDuranのお父さんだとは思わなかったの。彼はUFOの事をとてもよく知っていて、しかも単にUFO=宇宙人の乗り物だっていう決めつけはしてなかった。3つの考え方があるんだって。ひとつは、人間の妄想が生み出した幻覚。二つ目は、アメリカ政府が極秘で開発をしているっていう説、そして3つ目が本当の宇宙人が次元を超えて何万光年も遠くの星からやってきたという考え方。その3つの説のそれぞれにちゃんと理屈があるんだって説明してくれた。私は聞いたの!ジャック、貴方はどの説を信じるの?って。するとなんて答えたと思う?」
Lisaはそこまで一気に喋ると、僕の目をみて眩しそうにそう聞いた。
《大人になっても、この表情だけはかわらないな。女は自分のどの表情が男に魅力的に見えるかっていうことをよくわかるもんだ?》
「彼はなんとその3つの説のどれもが間違いだっていうのよ!つまり正体が確認できないからUFO(=未確認飛行物体)だって…。なるほどって思ったわ!」
《おいおいおい、Lisaはそんな答えで納得するのかい?お父さんもお父さんだよ、中年オヤジの詭弁まるだしじゃねえかよっつうの!話しの流れをかえよう》
「ところで、いつから彼のことを好きに…?」
「う~ん、それは難しい質問ね…」
《この状況で腕組みかよっ!》
「でも、なんとなく好きになりそうな予感はしていた…、最初から」
そういって、まっすぐにDuranを見つめるLisaの目は、初めて図書館で会ったときの彼女の目だった。僕は途端に涙があふれそうになった。
「ちょっとトイレ行ってくるから…」
僕はまだLisaの事が好きなのだろうか?涙が溢れそうになったのは何故なんだろうか?トイレで一生懸命答えを出そうとしたが、よくはわからなかった?
トイレからテーブルに帰るとき、Lisaの背中を見た。再会してから今まで気づかなかったが、その背中は少し寂しさのようなものを携えた女のそれだった。
僕は軽く深呼吸をした。
《もう暫く我慢しなきゃ!》
「Lisa、僕はとても大事な事を君に聞かなきゃならない。」
「 … 」
「ジャックを愛してるの?」
Lisaは初めて少し切なそうな表情で、僕の目を見て口を開いた。
「うん、誰よりも…」
僕はその時、これ以上Lisaの説明を聞くことが、僕達二人や父のジャックや母の為になるとは思えなかった。
彼女とジャックがどんな経緯で愛を育む関係になったのか?これからどうするつもりなのか?それは僕の立場からはどうでもいいことだ。というか、今彼女に答えを求める方が無理強いのような気がする。たとえ僕がジャックの息子であってもだ。今の二人は愛し合っている…。事実は事実だ。何度もそう胸に言い聞かせた。
「しばらく、日本に行こうと思うんだ。」
Lisaは意外にも静かな表情で、僕の顔を覗き込んだ。
「Joeから聞いたわ。Duranらしいと思った。月並みな言い方だけど、頑張って、…ほしい!」
「…、うん」
僕らは沈みかけた夕日の中を不器用に歩いて駐車場までたどり着いた。
「今度会うときはロックスターかぁ!」
「いや、トリックスターかも?」
Lisaは初めて無邪気な笑顔をみせた。
小さくなっていくLisaのPorcheを見送りながら、僕はEternalSkyの新しい歌詞をくちづさんだ…。
♪ガンジス川で洗濯をする人々
壊れた戦車の片隅で遊ぶ子供達
朝5:00に起きてみかん畑に通う人々
スーツケースを片手に高層ビルの隙間で
生きる人々
数え切れない喜びや悲しみを背負った
世界中の人々
みんな みんな 愛しい友達♪
…
21 平原から① 【Hideo】
「へぇー、柱って案外細いんやぁ!」
手厚い愛で育まれただろう軽やかな女の子の声が響いた。
俺は2週間前から二つ隣の町の住宅の新築工事の現場に入っている。その家に、今年、徳島市内の短大に行き始めた娘がいると聞いて棟梁の小野さんに「是非行かせてください」って頼んだのだ。俺にもやっと人並みの欲望が復帰してきたらしい。
《普通に生きるんだ!誠実に生きるんだ!》
二十六歳の若者としては、頭の中でかなり可笑しな事を考えていたが、最近の俺は普通に働き、普通に愚痴をこぼし、普通に笑えるようになっていた…。つまり、社会復帰したのだ。
「ねえ、秀夫さんでしたよね!ちょっとヒロトに似てますよね♪」
「えー、だれそれぇー?」
「あっ、あまりロックとか聴きません?甲本ヒロト、ブルーハーツっていうパンクバンドのボーカル!」
《おいおい、日本でパンクロックバンドが売れてるんかいな?》
「ごめん、最近全然ロック聞かへんようになってしもて、知らんかった!遠藤ミチロウやったら知っとるけど…」
「えー、私その人しらんわ。でも最近聞かへんようになったって、昔はよう聞いとったん?」
「うん、まあ、そのぉ、ちょっとバンドもやってたし…」
「うっそー、市内で?」
「いや、京都でちょっとだけ…」
「すっごいやん!へぇー、今度聞かせて!」
そんなこんなで、その日から俺は優子に毎晩電話をかけるようになった。俺は今まで何かとんでもない回り道をしてきたのかも知れないと思った。普通に働き、普通に女の子と恋をすることがこんなに楽しいなんて…。アルバトロスの事は胸の奥深くしまっておこう!そう思い始めた。
親父から借りたカローラは、二人を乗せて、海岸線に沿って作られた国道55号線を南下していく。もうすぐ高知だ。
「ちょっと海みてこうか?」
「うん!」
僕らは車を降りた。室戸岬だ。海の反対側、つまり道路の山側に小さな洞窟があり僕らはそこに入っていった。
「あんなあ、ここの洞窟って昔、※6弘法大師が修行したとこやねん。」
「へー!ほんま?」
流石に洞窟の中は、ひんやりした空気が肌を十分冷やすくらい寒い。
「弘法大師ってなんで空海っていうか、知ってる?」
「ううん、何で?」
「彼は1200年前にこの洞窟に篭って修行したんや。ここから外見てみぃ、空と海しか見えへんやろ!だから空海。この景色見ながら世の中や人間のことを考えてたんやろうなあ!この洞窟で修行中に、口に明星が飛び込んできて悟りを開いたって噂や。」
「ふ~ん、物知りやなあ!ってか、話しきいてるとヒデがお坊さんみたい!」
「うん、でも欲望強いお坊さん。どやっ!」
「…!」
他愛のない会話を二人でだらだら続けながら、カローラは小さな町をいくつか抜けて桂浜に着いた。長時間のドライブに疲れた優子が背伸びをしながら言う。
「やっぱり、海ってええね!」
「うん、ところでおまえ暑くない?」
「暑っつい!」
「脱いだら?」
「もう、エッチー。昼間っから、そんなことばっかり言うて…。」
「えー!じゃあ夜やったらええの?」
「そんな意味ちゃうわ…。でも坂本竜馬って素敵!この海見ながら遠い西洋のことや日本の未来を夢見てたんやね!」
「おっ、よう知っとうね?今でも竜馬のファンは多いよね!今の時代の坂本竜馬って誰だろうね?」
「う~ん、マーシーかなあ…」
「誰やそれ?」
「知らんのん?ブルーハーツのギター。坂本竜馬は剣で日本を変えようとした。マーシーはギターで日本を変えようとしてるの!な~んちゃって。」
何年か前、俺が到底気恥ずかしくて言えなかった言葉を、彼女は何のためらいもなく口にしている。
《普通の女の子ほど凄いものはない、たった1週間で偏屈な俺の心の一部を動かしてしまうんだから…。》俺はそう思いながら、すこしずつ孤独が癒されていくのを感じていた。
↓
僕らは桂浜の岩陰で寝そべったまま何時間かゆるゆると喋っていた。少し海風が涼しくなってきた。
「ところで、おまえの徳島弁って全然徳島弁っぽくないよなあ…、なんで?」
「そう?そんなん言われたんはじめてやけん…、自分ではわからん。でもお父さんは製紙会社に勤めてて、よう大阪いっとるし。その影響かなあ?」
「ふ~ん…」
初めてデートに来たと言うのに、俺は平日の仕事の疲れからか、いつのまにか睡魔に襲われうとうとし始めていた。
「ヒデ、ヒデ、そろそろ起きて!」
目を開けると優子の透き通るような白い顔がどアップだ。
「あっ…!」
優子は少し戸惑ったような表情をしたが、かまわず唇を奪った。
「おまえに会えてよかった。俺は…やっと音楽以外で好きなものを見つけた。」
「あんなあ、私は初めて会うた時から、ヒデのこといいとおもっとったよ!」
観光シーズンを外れた桂浜に僕らの恋を止めるものは何もなかった。
「どっか行こうか?」
《おい、おい、もう十分徳島から高知まで来てるっちゅうねん!》
自分の言葉に心の中で突っ込みを入れながら、俺は優子をもっと知りたくてたまらなくなったのだ。車を飛ばして、そうすっ飛ばして、僕らは彼女の通った高校のある町まで来た。それから町外れの小高い山の上に夜景を見に行った。
「優子…」
「なに…?」
「キスしてもええか?」
「聞かなくていいよぉ!」
↓
「優子との毎日は最高だった。」と言っても毎日会えるわけじゃなかったが、とにかく寝ても覚めても仕事をしても、彼女のことばかり思いながら俺の毎日は過ぎていった。
何回目かのデートの後、彼女が別れ際にぽつんとこう言った。
「ヒデ、私…実は内緒にしてた事ある…。」
「なんや?」
「う~ん、今度にするわ。」
「気になるやん、今言いや!」
「うん…、…、実は彼氏いてん…!」
俺は何か狐につままれたような気になった。
《しかし、昔の人はうまい表現を考えたものだ。いやいや感心してる場合やないで!》
「えー、まじっ!」
「ヒデがいつか気づいてくれるかと思った…」
「 … 」
《俺の心の隙間を埋めてくれた優子の心の隙間を気づく事が出来なかった!》
身体中に何とも言えない気持ちが駆け巡っていた。それは、怒りや失望や情けなさや悲しみや哀れさや、かつて体験したアルバトロスの激しい記憶とも違うものだったが、しかし、世界が思惑通りに全てうまく回るという奇跡はやはりないのだろうか?なんて事を考え始めた俺にさらに追い討ちをかけるように優子はこう言う。
「だからっていうわけやないけど…、別れたい…。」
「ちょっと待った!優子は俺と彼氏とどっちが好きやねん?」
「 ようわからんようになった 」
「 ヒデは色んなこと知ってる、一緒にいると勉強になるし、…でも」
「でも?」
《あかん、冷静に冷静に!》
「 毎日は疲れる 」
「毎日会ったことないやん?」
《ちゃうちゃう、優子はそんな意味でいうたんやない!》
「もっと遊びに連れて行って欲しかった!」
《おい、おい、もう過去形かよ!》
「もう一回冷静に考えよう!」
「 でも 多分 変わらんかなあ 」
《こう言う時に冷静でいられる男に俺はなりかった》
「確かに俺は理屈っぽくて疲れるかわからん、そんなに遊びもしらん!でもそれのどこが悪いねん!」
《優子が聞きたかったのはそんな言葉じゃなかったはずだ。》そう思いながらも言葉は亡霊のように俺に取り付き、二人を裁きだし始めた。
↓
《人は何故ビルを建てるのか?》
いつも抱えている切実な疑問じゃなかったけど、何年か前に俺はその答えを西新宿の歩道橋の上でふと見つけた。人は山を作りたかったのだ!そこに至るまでの人類の心理的な過程は知らない。ひょっとしたら台風や崖崩れや雷や大雪やらで、昔、痛い目に会った事が原因かもしれない。で、自らが快適に暮らせる自然を作りたかったのかもしれない、なんて思う。具体的な理由はどうであれ、高層ビルを作った人の気持ちはよくわかる気がするのだ。
《もしかしたら、彼も心の中に無味乾燥な平原を抱えていたのかも知れない。》
大工の仕事は順調だった。棟梁の小野さんはオヤジより年上で、俺と36歳離れていたけれど、俺には小野さんの心の奥底の孤独感や寂しさがわかるような気がしていた。
「ヒデは、大工に向いてるよ。」
「いやー、俺、思いっきり不器用ですけどね!」
「だから向いてるんや。」
「えー…?」
「生まれつき器用な奴は大成せん。不器用な奴のほうが考えよるから。」
「はあ…!」
「人間の事を一生懸命考えるのが大工の一番の仕事や。それ以外のことはどうでもええから。」
照れくさそうにそういうと、※7エコーを地下足袋で軽く踏み潰しながら、少し意を決したようにこう言い放った。
「女は大事にしいや!」
頑丈な鉄で出来たような小野さんの顔が、なんだか心なしか赤く火照っているようにも見える。
「はい」
短い会話を済ませると、二人は生まれ故郷の体育館の屋根に再びよじ登った。今日は補修工事の最終日だ。急がないとそろそろ暗くなってしまう。
《しっかし、こんな素敵な大人がいるとは、子供の頃に何で気づかなかったのだろう?》
俺は優子にもう一度電話をしてみようと思った。
↓
「優子、おまえの複雑な気持ち、わからへんかった。反省しとる。」
「うん、でも一番悪いのは私。ヒデとアキラと天秤にかけとったし…、はっきりせなあかんね。」
《電話の向こうでうな垂れている優子の姿がはっきりと見える。》
「優子!」
「なに!?」
「必要やから、オレ、まじでおまえが必要やから…だから…」
「だから…?」
「 もう一回、つきあいたい 」
「 … 」
「 あんまり理屈ばっかり言わんようにするし… 」
「 … 」
「 それに、遊びにも連れてく 、 それから… 誰よりもおまえが好きやから だから」
「 わかった… アキラと別れる 、ずっと まってた 私の事がほんまに必要やって言ってくれる人が現れるの まってたんかもわからん… 」
「 ありがとう 幸せにする 」
「 ブー! 言いすぎ言いすぎ!!! プロポーズちゃうやろ??? 」
「 はい、失礼しました! 」
優子がアキラと呼んだ彼に少し申し訳ない気はした。優子と彼との関係がどうあれ、俺は今後の二人の関係を変えてしまうからだ。が、申し訳ないと思うことは結局自分の良心を慰めることにしかならない。これから優子と精一杯楽しむことの方が大切だ。
とにかく、ブルーハーツとビートルズとショパンが大好きなごく普通の少しお茶目で小柄な彼女はこうして遂に俺のものになった。いや、本当は俺が彼女のものになったといった方が正しいのかも?そう、俺はその時確かに心の中で「ワン!」と鳴いたんだ、トホホ…。
※6香川県に生まれ、京都に学び、その後四国の各地の寺で修行をした宗教家。いわゆる真言宗の開祖、空海の別名。
※7国産タバコ、この小説の時代では確か90円くらいだったと思う。
22 僕とJoe⑧ 【Duran】
Lisaと会って1週間がすぎた。その時は出来る限りベストを尽くしたつもりの再会だったが、日が経つにつれて煮え切らない思いが充満してくるのを感じていた。
《しかし、現実というやつは時間という親友に後押しされて容赦なく進んでいく。そろそろもうひとつの難問にも決着をつけなければ…》そう思っているとき、Joeから電話があった。
Lisaと会った日の事をJoeは何も聞かない。「スタンドのメンバーに今後の計画を全て話そう!」とだけシンプルに言い放つ。僕の神経が参っている時の彼なりのいつもの気遣いだ。僕はすぐにOKした。
《しかし、スタンドの日本行きっていうのはかなりの反対意見が出るだろうな?なにしろメンバーの誰にも日本人の友達はいない、それに日本語も喋れないんだもの…》
Joeの段取りでスタンドの全メンバーが僕の家に集まる事になった。明日、土曜日の夕方だ。
僕は夕食を食べながら父と母にその事を話した。勿論スタンドの日本行きの件も含めてだ。
「愛するダディ、ママ。これから僕の話すことをびっくりせずに聞いて欲しい」
「おいおい、Duran、どうしたんだ。急にあらたまって!」
「実は、今やってるスタンドってバンドの事なんだけど、日本のレコード会社と契約するって話は以前したよね!」
「うん、メンバーの皆も賛成なんだよね!」母のバージニアが目を輝かせて言う。
《そういや、若い頃エルビスの大ファンだった母はスタンドの成功を一番嬉しく思っていてくれてたんだった…》
「日本でデビューしようと思うんだ…!」
「 … 」
「おまえにはいつもびっくりさせられるよ。とんでもなく大事なことを自分の中で決めてから相談するんだもの…!パパに似たのかしら?」
「ああ、今回はパパもびっくりしたよ。日本でデビューって、まさかバンドのメンバー全員で日本に行くつもりかい?」
「そう、少なくとも一年は日本で滞在しなきゃならないだろうね!」
「でも、ビクトリア…なんとかのOKは貰ってるんだろうな?」
「ビクトリア・ジャパンだよ。いいや、メンバーがOKしてから」
「はっはっは。じゃあ、まだ行くと決まったわけじゃないんだね…!Duranはいつもせっかちだな。俺に似たんだろうね。」
「コンチワッ!」
《いきなりJoeの登場だ!》
「Duran、ビクトリア・ジャパンの小田社長にOK貰ってきたよ!もしメンバーの承諾が取れたら、我社としてはスタンドの来日を歓迎しますってさ。」
「えー、もう相談したの?」
「あー、明日のミーティングまでに結論もらっとかないと、またメンバー間でもめる元だと思ってさ。」
「さっすが、Joe!!!」
パパとママはあっけに取られたような顔をしていた。
しかし、いつも一緒にいるDuranでさえここ数ヶ月のJoeの変貌振りには驚いていた。というより、音楽しか能のない奴だと思っていたのは大いなる誤解だったのかも?ビクトリア・ジャパンとの契約が決まってからのJoeの決断力と行動力は、何かと悩みがちなDuranの気持ちをいつもいいタイミングで励ましていたのだ。Duranは何よりもその気遣いが嬉しかった。
23スタンド1 【Duran】
「さあさっ、召し上がれ!」
パパとママは大張り切りだ!何しろJoe以外の友達を家に招待するのはこの数年間で数えるほどなのだ。その上、今回の客人が僕とJoeが作ったバンド、スタンドのメンバーだって事で普段は土曜日にもオレンジ畑に出かけることの多いパパも今日は少し若めの服装でお洒落したりしている。しかし…、余計に気になってしまうよ、Lisaとの関係…。
「Duran、まあ一杯やろうぜ!」 振り向くとキーボードのリックだ!
「最近なんか元気ないなあ!?そんなんじゃ、スタンドのリーダー失格だぜ!」
「うん、今日は重要な話しをみんなにしなきゃならないし…」
タイミングを見計らったようにJoeが言う。
「OK!じゃあ、そろそろミーティングといこうか!Duran、カモン!!!」
《とうとうこの時が来た。ちゃんと話さなきゃ。》
「みんな、本当にありがとう!僕とJoeがスタンドを結成してまだ4年ほどだ!正直ここまで来れたのは僕とJoeの力だけじゃない。イアン、ギル、ジョン、リック、スコット、ジム、アル、みんなのお陰だ!」
「イェー!!」
《皆な少し酔っ払い始めたのかもしれない》
「そこで、皆なに提案があるんだ!以前、ビクトリア・ジャパンとの契約の事でミーティングした時にさあ、全米デビューするならどこかのマネージメント会社か事務所と契約した方がいいんじゃないかって皆なの意見も含めて考えたんだ。まず日本でデビューしたい!」
36歳の誕生日を迎えたばかりのキーボードのリックが言う。
「レコーディングはどこでするつもりだい?」
すかさずJoeが答える。
「日本、だよなあ!Duran。要はレコーディングやその後のツアーを含め、1年くらい日本で活動してからアメリカに凱旋帰国したいってことなんだ!」
「 … 」
《流石にみんなびっくりするよなあ、急にこういう事言い出しても…》
「Ok!」
何といつもはシビアな意見を包み隠さず言う役割のベースのジョンが、いきなり即答だった!今年41歳を迎えるベテランのスタジオミュージシャンだというのに…、いや年齢は余計か?
「以前のミーティングで、JoeとDuranの考えはわかっているつもりだ!スタンドデビューの為のビクトリア・ジャパンの予算が一億円って事も聞いた!それに皆の気持ちもね。だからまず日本で成功してアメリカに凱旋ツアーって方法は妥当かもね、ちなみに俺の滞在費用は自前でいいよ、実はカミさんからずっと【一度でいいから日本で暮らしてみたい】って言われ続けてたんだ。彼女、ジョン・レノンのファンだからね!京都に行ってみたいんだってさ…。ごめん、今のは余談だけどね!」
「俺もOkだね!」
スタンドの中で2番目に年長のリックが言う。
「日本で人気がブレイクしたチープトリックっていうR&Rバンドがあるよね。スタンドとはまた違った音楽をプレイしてるけど、歌はDuranと少し近いところがあると思う。強いて言えばジョン・レノン派だね!悪く言えばアメリカ人にしては少し繊細なニュアンスが強い…、だからスタンドも日本でブレイクする可能性は高いだろうね。ジョンと違って日本暮らしは大変だと思うけどさ!」
「良かったあ…、年長者二人がOkなら俺たちはいつでもOkさ!なあ、イアン!」
嬉しそうにギターのギルが言う。
「ああ、実はそろそろロスにうんざりしていたところなんだ!この街にはパンクロックの理解者があまりいないしね!最近、日本のアンダーグランウンドは面白いみたいだし。それに女の子がカワイイらしい。※8イギー・ポップの奥さんって日本人なんだよね!いきたいなあ、日本かぁ…!ところでホーンセクションの皆なはどうだ!」
「おいおい、いつもイアンはパンクロックが中心で生活が回ってるんだね!勿論Okさ。大学は一年くらい休学したってどうって事ないしね!!!なあ、アル、スコット!」
どうやら、ジム、アル、スコットもOkらしい。。。
《なんだか泣けてきた、、、、、僕の意見をこんなに皆なが理解してくれるなんて。。。。最悪の場合、Joeと二人だけで日本行きって事もあるかと思っていたのに…。》
※8ニューヨーク出身のR&Rシンガー。60年代後期にストゥージーズというR&Rバンドで活躍、以後ソロ活動。70年代後期にデビッド・ボウイのプロデュースした作品群(Tonight等)で一躍脚光を浴びる。肉体と知性をギリギリまで酷使する激しい歌とステージで、現在でもミュージシャンや通なリスナーからの支持は高い。
24 スタンド② 【Duran】
♪戦闘機は飛ぶだろう 誰かの正義を乗せて
身もふたもありゃしない 文句のつけようもない
Imagineを百万回 歌い続けても
貧しい人を助けた手の 痩せた指は銃を握る
愛を語るくちびるは 貧しさを裁きだす
Imagineを百万回 歌い続けても
それが君の愛だろう かけがえのない
初めての夜だから 血を流すのかい♪
スタンドの日本デビューは、ショッキングな歌詞とジョンレノンが作ったかのような美しいメロディーを持ったバラードで始まった。
「日本人は叙情的で遠まわしな内容のうたを好むから!」ビクトリア・ジャパンの小田社長は何度もそう言って、その曲のリリースに反対したが…。
JoeとDuranのあまりにも強い意志に、結局小田社長が折れたのだ。そして、小田社長の心配とは裏腹に、ロスなまりの英語で歌われたこの曲は瞬く間にチャートを駆け上った。
作詞者のDuranが「No Title」と名付けたこの曲の邦題は「ロスからの贈り物」だった。
TVやラジオで何万人、何十万人もの若者がこの曲を聞いた。その中に何年か前にDuranの歌に助けられた若者もいた。汗をかきながら大工工事に勤しむ秀夫だった。ラジオから流れてきた細くて微かにハスキーなその声を秀夫はどこかで聞いたような気がした。
「うん、確かにこの声どっかで聞いた…!」
秀夫とDuran。今の彼らは、何年か前よりはるかに近い距離にいた。
25 平原から② 【Hideo】
「優子、こんな歌知ってるか?」
♪Eternal Sky Remains The Same…♪
「うん、STANDやろ?例のヒット曲のB面に入ってるやつや!」
「へぇー、さっすがぁ…!最新の音楽情報に詳しいなあ…!やっぱりそうなんやぁ…!」
「やっぱり…って、なにが?」
「うん、昔この曲っていうか、このフレーズに助けられた事あるんや!」
「えっ、でもスタンドって最近日本に来たばっかりやで?Hideがなんでこの曲知ってるん?」
「うん、7~8年前やったと思うけど、この曲TVで流れてたんや。日本にサンキストオレンジが輸入されはじめる頃やった…」
「ふ~ん、そうなんや。全然気ィつかへんかったわ…。でもスタンドのヴォーカルのDuranって変わってるよね?この間、ウタバンに出てたんや、でな、《どうして日本でデビューしようと思ったんですか?》って質問に、何て答えたと思う?」
「《原爆落としたことに対する罪滅ぼし》だったりして…?やっぱ、違うか?」
「《日本の若者に僕らのロックを聞いてもらうことで、自分自身を助けたかったんだ!》って言うたんや…!?訳わからへん…!」
「ふ~ん、そうなんや…」
「でもDuran、ちょっとヒデに似てるよ!」
「えっ、どこがぁ???」
「う~ん…、男前…じゃないけど、味わい深いとこ…かなあ?」
「こらっ、人を年代もののワインみたいな表現しやがって!おまえ何か最近すぐ俺をいじるよなあ。」
「へっへっへ。だって《幸せにするから》って言うたやん!本当の私のこと受け止めてくれるかなって思て。」
「あほっ…」
《自分自身を助ける為》かぁ?優子から聞いたDuranの言葉はHideの心の奥底をすこし掠っていった。しかし、目の前で陽気に笑う優子に、昔の話をする気には決してならなかった。言葉では伝えられそうもなかったからだ。
↓
優子との恋も仕事も順調だった。大工の仕事が俺の全てを変えてくれたのかもしれない。何しろ家を買うことは、殆んどの日本人にとって、一生に一回あるかどうかの一大事なのだ。「人の為に大事なものを作っている」という実感は心地よいものだった。
そんなある日棟梁の小野さんが俺に相談をもちかけた。家を設計してみろとの事だった。
普通、大工は設計図面を引かない。設計事務所に依頼するのだ、というか、最近は設計事務所が設計した図面の施工をする方がメインの業務と言ってよかった。小野さんは「これからは大工も設計図面が描けないと生きて行けない」とよく言っていた。きっと俺の事を心底心配してくれているのだ…少しぶっきらぼうで気難しいとこもあるけど、やっぱりいい人だ。
それから数ヶ月、独学で設計図面を書きまくった。時々、小野さんのアドバイスを貰ったけど、基本的なこと以外あまり何も言わなかった。
昼間は家を建て、夜はドラフターを相手に設計する毎日は俺をますます活き活きさせた。若い頃、世界のことばかり考えていた。しかし、いくら考えようと世界を作り変えることなどできない。しかし、今の俺にとって自分の設計した家や建物を作ることはそんなに遠くないのだ。プランを気に入ってくれるクライアントさえ見つかれば、一年足らずで形になる。そしてクライアントの笑顔と給料以外の十分なお金が手に入る。その気持ちがどんどん俺を本気にしていった。
3年足らずで、俺は「設計できる大工」として徳島県内や高松やたまには高知からも引き合いが殺到するようになった。
優子とはたまにケンカをしたり、また仲直りをしたりしながら、お互いなくてはならない存在になっていった。ロックコンサートにもよく行った。中でもスタンドのライブは圧巻だった。若い頃によく聞いたスライストーンや初期のプリンスの音に少し似ていたし、ドアーズやロンドンパンクのようなサイケデリックで観念的な要素も入っていた。そして何よりDuranの歌に感銘を受けた。一見平凡な若者がステージに上ると超人のようなオーラを発していた。或いは、一人の頼りない青年が、初めて降り立った何もしらない世界で必死に生きようとしているかのように思えた。
《きっととんでもない孤独を抱えているのかもしれない》
スタンドのステージを見て俺はますますDuranのことが気がかりになった。何だか高校生の頃にみたボブ・ディランを思い出したりもしたのだ。
「優子、Duranってどういう奴なんだろうねぇ?」
「まかしてよぅ!Duranの事なら何でも知っとうよ!1964年ロスアンジェルスの南東オレンジカウンティ生まれの26歳、誕生日は何とHideと同じで12月14日やよ!Hideが4年先輩、どうびっくりしたやろ?」
「…、…、びっくりしたっていうより、おまえって相変わらずミーハーやなあ?!そんなんやのうて、どんな人かなあって、例えばどんなアーティストに影響受けたとか、彼女はどんな人やとか…まあ、影響受けたミュージシャンは大体想像できるけどな。」
「うん、雑誌のインタビューでSlyとドアーズって言うとった。あと、これは噂やけど結構彼女はころころ変わるみたい。日本に来てからもう5年でしょ!後のメンバーはアメリカで暮らしてるみたいやけど、Duranだけは京都に住んでるみたいよ!日本の女が好きなんかもね?」
「ふ~ん、京都かぁ…、なんか偶然と思われへんわぁ、…ふ~ん、京都にねぇ!」
「イタッ! 」
買ったばかりのアコードクーペではじめて出かけたドライブだというのに、優子がいきなり俺の脇腹を突付いた。
「何かHide最近おかしくない?」
「えー!何もぉ。そんな感じする?」
「何か音楽の話になると、スーッと遠く見てんねん。私がついていけない世界みてるような気がして…。」
「そっかぁ、ごめんごめん。」
《優子も今年で24。微妙な年齢なんだ》
サイドシートにうずくまった優子の肩を抱きながら、俺はある事を考えはじめていた…。
Lisaと付き合った短い日々のことは、僕の中でもう穏やかで懐かしい過去のものになっていた。今の彼女が誰と付き合っていようが、彼女が幸せなら構わないと思ってさえいた。でも、いくら何でもJoeの口から出た人の名前は重すぎる。
『ジャック・メイオール』
《素朴で温厚な家族思いの父がLisaと付き合っているなんて・・・》
Joeと作ったバンド、スタンドは今や破竹の勢いで全米デビューまで果たそうとしている。色々な難問を抱えてはいるが、それは前向きな問題だ。でも…≪父とLisaが付き合っている≫それはいくら僕でも許せない…。
↓
「Joe、スタンドが日本からデビューするってのはあり得ないかなあ…?」
僕の突然の提案にいつもは動じないJoeも、内心びっくりしたみたいだった。
海岸線を走るコルベットの助手席に納まった彼は不思議そうに僕を見た。
「何故?日本なんだよ!?」
僕は少し間をおいて喋りだした。
「実はずっと前から考えていたことなんだ。CBSやモータウンってアメリカの大手のレコード会社の重役に会って、Joeもうんざりだって思ったろ?彼らが提案することと言えば、どうやったらビバリーヒルズに家を買えるか?どうやったらマドンナのようなセクシィな女とスキャンダルなしに一発やれるか?どうやったら売れなくなった時に印税で食って行けるか?要はそれだけさ!だからビクトリア・ジャパンの小田社長と初めて会った時に、僕らはこの人となら一緒にやっていけるって思った、そうだろ?彼はこう言った!【ロックって音楽は日本じゃまだまだ日の目を見ていないジャンルだ!たくさんの優秀な若者の未来を切り開く手伝いをするのが僕の仕事だ!】って。僕は彼ととことん仕事をしてみたい!」
Joeが冷静に言う。
「うん、全部わかるよ!でも何故日本でデビューするかって答えにはなってないなあ?もし日本でデビューするって事になると、当分、言葉も食事も習慣も違う日本で暮らすって事も考えに入れなきゃいけないし!」
「あたりまえの事をしていたんじゃあ、Slyみたいにこの国のロック・ビジネスの論理に潰されてしまうって事さ!」
Joeが反論する。
「Duran、おまえが今言ってるのは、極めて単純な論理さ!アメリカじゃ戦う自信がないから、ロックの後進国の日本で戦おう!ってことじゃないか?そんなのは逃げだよ!第一プリンスだってデヴィッド・ボウイだって立派にここで戦って勝利してるじゃないか?」
「いや、逃げなんかじゃないね!日本でデビューするって事は、アメリカでデビューするより大変なことだと思う。言葉も文化も違うし…。だけど、日本で成功すればスタンドの音楽は、今度はアメリカに逆輸入されるんだ。SONYのラジカセやHONDAの車みたいにネ。僕らの音楽を一番理解してくれるのはロスの若者達かもしれない?だからこそ、一度この町を離れるんだ!っていうか距離を置くんだ!」
【Joe】
≪Duranの声色の中に、ステージで彼が歌うときのような哀愁に似た響きが加わって来た。こういう時はいつも説得されるんだよなあ…?俺にはもうわかってきた。Duranはいつも人と親しくなりすぎる事を避けるんだ。その理由はよくは解らない。が、今回はよく解る。やさしい父を憎みたくないんだろう!その気持ちがスタンドの日本デビューというDuranの考えを後押ししているんだ≫
↓
昨日、Joeから聞いたLisaと父の事が気になり、唯でさえ口を聞かない父との関係はさらにギクシャクしたものになった。というより、僕ひとりがギクシャクしていた。当然だが、父からLisaとの事を母や僕に言う訳はない。しかし、恐らく父はLisaを通じて過去の出来事を知ったはずだ。
Lisaはどこまで僕のことを喋ったのだろうか?酔っ払った勢いで公園でMakeLoveした事、僕が実は父と母との愛を純粋なものだと思えないでいること、あるいは…。
人は死に瀕した時、走馬灯のように過去を顧みるというが、今の僕の脳裏にはLisaとの思い出がそんな風に駆け巡っていた。
「日本でデビューするという大胆な計画をスタンドのメンバーに話さなけりゃ…、」そう思いながら何日かたったある日、Joeから電話があった。Lisaが会いたいとの事だという。
「Joe、君には珍しくおせっかいな事するんだなあ…。一体だれがそんな気分になるっていうんだい?」
「いや、Lisaのメッセージをそのまま伝えただけさ。俺は何も思っちゃいないよ。」
「じゃあ、Lisaに会って何を話せっていうんだ!」
「それは俺にもわからない。ただ、今のままのおまえと一緒にこのまま日本に行っても何だかうまく行かないような気がするんだ。だから、Lisaと一度は話したほうがいいって思う」
Duranは思った。
《Joeが、なんとなくそう思う!って言い張る時にはいつも説得されてしまうんだ…。何故なんだ???》
何年ぶりかにLisaと会ったのは、その日の夕方だった。
↓
《昔の彼女が父と付き合ってる…、全くこの状況で何を喋れって言うんだ!そう思いながらも、Joeに説得されてLisaに会おうとしている僕の中には、幾分、彼女に会って全てを問いただしたい気持ちもあるのかもしれない》
夕暮れの近づくロスの街はずれのカフェのガーデンには、僕ら以外にお客はいなかった。なにしろもうすぐ冬を迎える季節なのだ。
三年と少しの月日は、あどけなく潔癖だった少女の振る舞いを、年相応の強さとエッチさを感じさせるアメリカ人女性のそれに変えていた。
「Duran…、久しぶり…、会いたかった…!」
《この状況で会いたかった!ってか???それにしても、とぎれとぎれのLisaの言葉は、乾いた心に容赦なく沁み込む…》
「…、僕は何故ここに来てしまったのか?実はよくわからないんだ…!」
《こういう時、男は一瞬で女に負けてしまう》
「Joeから話し、聞いたと思うけど…?実は私、ジャックと付き合ってるの?」
《面と向って元カノに、今は貴方のお父さんと付き合ってるの!って言われてもなあ? しかも、不倫だぞ、不倫!!!しかし、確かにLisaは格段にいい女になった…》
「何でなんだよぉ!」
《語気を荒げてそう言おうと思ったが、舌がからからに乾いて、最後の“よぉ”は頼りなく聞こえたはずだ…》
「ちゃんと話したかったの。いまから説明するね!」
《遂に来た、僕は何を説明されるんだろう?ってか、どうして説明聞かなきゃならないん?》
Lisaは、以前は飲まなかったジンライムをひとくち喉に注ぎ込むと、深呼吸をして現在の彼《ジャック・メイオール=僕の父》の話しをし始めた。
「ジャックと初めて会ったのは、ロスのUFO研究のサークルなの!」
《あぁ、そういや父の唯一の趣味と言えばUFOの研究だったよなぁ…》
「ジャックはそのサークルの会長をしていて、ジャック・メイオールっていう名前は最初に紹介された時に知ったけど、まさかDuranのお父さんだとは思わなかったの。彼はUFOの事をとてもよく知っていて、しかも単にUFO=宇宙人の乗り物だっていう決めつけはしてなかった。3つの考え方があるんだって。ひとつは、人間の妄想が生み出した幻覚。二つ目は、アメリカ政府が極秘で開発をしているっていう説、そして3つ目が本当の宇宙人が次元を超えて何万光年も遠くの星からやってきたという考え方。その3つの説のそれぞれにちゃんと理屈があるんだって説明してくれた。私は聞いたの!ジャック、貴方はどの説を信じるの?って。するとなんて答えたと思う?」
Lisaはそこまで一気に喋ると、僕の目をみて眩しそうにそう聞いた。
《大人になっても、この表情だけはかわらないな。女は自分のどの表情が男に魅力的に見えるかっていうことをよくわかるもんだ?》
「彼はなんとその3つの説のどれもが間違いだっていうのよ!つまり正体が確認できないからUFO(=未確認飛行物体)だって…。なるほどって思ったわ!」
《おいおいおい、Lisaはそんな答えで納得するのかい?お父さんもお父さんだよ、中年オヤジの詭弁まるだしじゃねえかよっつうの!話しの流れをかえよう》
「ところで、いつから彼のことを好きに…?」
「う~ん、それは難しい質問ね…」
《この状況で腕組みかよっ!》
「でも、なんとなく好きになりそうな予感はしていた…、最初から」
そういって、まっすぐにDuranを見つめるLisaの目は、初めて図書館で会ったときの彼女の目だった。僕は途端に涙があふれそうになった。
「ちょっとトイレ行ってくるから…」
僕はまだLisaの事が好きなのだろうか?涙が溢れそうになったのは何故なんだろうか?トイレで一生懸命答えを出そうとしたが、よくはわからなかった?
トイレからテーブルに帰るとき、Lisaの背中を見た。再会してから今まで気づかなかったが、その背中は少し寂しさのようなものを携えた女のそれだった。
僕は軽く深呼吸をした。
《もう暫く我慢しなきゃ!》
「Lisa、僕はとても大事な事を君に聞かなきゃならない。」
「 … 」
「ジャックを愛してるの?」
Lisaは初めて少し切なそうな表情で、僕の目を見て口を開いた。
「うん、誰よりも…」
僕はその時、これ以上Lisaの説明を聞くことが、僕達二人や父のジャックや母の為になるとは思えなかった。
彼女とジャックがどんな経緯で愛を育む関係になったのか?これからどうするつもりなのか?それは僕の立場からはどうでもいいことだ。というか、今彼女に答えを求める方が無理強いのような気がする。たとえ僕がジャックの息子であってもだ。今の二人は愛し合っている…。事実は事実だ。何度もそう胸に言い聞かせた。
「しばらく、日本に行こうと思うんだ。」
Lisaは意外にも静かな表情で、僕の顔を覗き込んだ。
「Joeから聞いたわ。Duranらしいと思った。月並みな言い方だけど、頑張って、…ほしい!」
「…、うん」
僕らは沈みかけた夕日の中を不器用に歩いて駐車場までたどり着いた。
「今度会うときはロックスターかぁ!」
「いや、トリックスターかも?」
Lisaは初めて無邪気な笑顔をみせた。
小さくなっていくLisaのPorcheを見送りながら、僕はEternalSkyの新しい歌詞をくちづさんだ…。
♪ガンジス川で洗濯をする人々
壊れた戦車の片隅で遊ぶ子供達
朝5:00に起きてみかん畑に通う人々
スーツケースを片手に高層ビルの隙間で
生きる人々
数え切れない喜びや悲しみを背負った
世界中の人々
みんな みんな 愛しい友達♪
…
21 平原から① 【Hideo】
「へぇー、柱って案外細いんやぁ!」
手厚い愛で育まれただろう軽やかな女の子の声が響いた。
俺は2週間前から二つ隣の町の住宅の新築工事の現場に入っている。その家に、今年、徳島市内の短大に行き始めた娘がいると聞いて棟梁の小野さんに「是非行かせてください」って頼んだのだ。俺にもやっと人並みの欲望が復帰してきたらしい。
《普通に生きるんだ!誠実に生きるんだ!》
二十六歳の若者としては、頭の中でかなり可笑しな事を考えていたが、最近の俺は普通に働き、普通に愚痴をこぼし、普通に笑えるようになっていた…。つまり、社会復帰したのだ。
「ねえ、秀夫さんでしたよね!ちょっとヒロトに似てますよね♪」
「えー、だれそれぇー?」
「あっ、あまりロックとか聴きません?甲本ヒロト、ブルーハーツっていうパンクバンドのボーカル!」
《おいおい、日本でパンクロックバンドが売れてるんかいな?》
「ごめん、最近全然ロック聞かへんようになってしもて、知らんかった!遠藤ミチロウやったら知っとるけど…」
「えー、私その人しらんわ。でも最近聞かへんようになったって、昔はよう聞いとったん?」
「うん、まあ、そのぉ、ちょっとバンドもやってたし…」
「うっそー、市内で?」
「いや、京都でちょっとだけ…」
「すっごいやん!へぇー、今度聞かせて!」
そんなこんなで、その日から俺は優子に毎晩電話をかけるようになった。俺は今まで何かとんでもない回り道をしてきたのかも知れないと思った。普通に働き、普通に女の子と恋をすることがこんなに楽しいなんて…。アルバトロスの事は胸の奥深くしまっておこう!そう思い始めた。
親父から借りたカローラは、二人を乗せて、海岸線に沿って作られた国道55号線を南下していく。もうすぐ高知だ。
「ちょっと海みてこうか?」
「うん!」
僕らは車を降りた。室戸岬だ。海の反対側、つまり道路の山側に小さな洞窟があり僕らはそこに入っていった。
「あんなあ、ここの洞窟って昔、※6弘法大師が修行したとこやねん。」
「へー!ほんま?」
流石に洞窟の中は、ひんやりした空気が肌を十分冷やすくらい寒い。
「弘法大師ってなんで空海っていうか、知ってる?」
「ううん、何で?」
「彼は1200年前にこの洞窟に篭って修行したんや。ここから外見てみぃ、空と海しか見えへんやろ!だから空海。この景色見ながら世の中や人間のことを考えてたんやろうなあ!この洞窟で修行中に、口に明星が飛び込んできて悟りを開いたって噂や。」
「ふ~ん、物知りやなあ!ってか、話しきいてるとヒデがお坊さんみたい!」
「うん、でも欲望強いお坊さん。どやっ!」
「…!」
他愛のない会話を二人でだらだら続けながら、カローラは小さな町をいくつか抜けて桂浜に着いた。長時間のドライブに疲れた優子が背伸びをしながら言う。
「やっぱり、海ってええね!」
「うん、ところでおまえ暑くない?」
「暑っつい!」
「脱いだら?」
「もう、エッチー。昼間っから、そんなことばっかり言うて…。」
「えー!じゃあ夜やったらええの?」
「そんな意味ちゃうわ…。でも坂本竜馬って素敵!この海見ながら遠い西洋のことや日本の未来を夢見てたんやね!」
「おっ、よう知っとうね?今でも竜馬のファンは多いよね!今の時代の坂本竜馬って誰だろうね?」
「う~ん、マーシーかなあ…」
「誰やそれ?」
「知らんのん?ブルーハーツのギター。坂本竜馬は剣で日本を変えようとした。マーシーはギターで日本を変えようとしてるの!な~んちゃって。」
何年か前、俺が到底気恥ずかしくて言えなかった言葉を、彼女は何のためらいもなく口にしている。
《普通の女の子ほど凄いものはない、たった1週間で偏屈な俺の心の一部を動かしてしまうんだから…。》俺はそう思いながら、すこしずつ孤独が癒されていくのを感じていた。
↓
僕らは桂浜の岩陰で寝そべったまま何時間かゆるゆると喋っていた。少し海風が涼しくなってきた。
「ところで、おまえの徳島弁って全然徳島弁っぽくないよなあ…、なんで?」
「そう?そんなん言われたんはじめてやけん…、自分ではわからん。でもお父さんは製紙会社に勤めてて、よう大阪いっとるし。その影響かなあ?」
「ふ~ん…」
初めてデートに来たと言うのに、俺は平日の仕事の疲れからか、いつのまにか睡魔に襲われうとうとし始めていた。
「ヒデ、ヒデ、そろそろ起きて!」
目を開けると優子の透き通るような白い顔がどアップだ。
「あっ…!」
優子は少し戸惑ったような表情をしたが、かまわず唇を奪った。
「おまえに会えてよかった。俺は…やっと音楽以外で好きなものを見つけた。」
「あんなあ、私は初めて会うた時から、ヒデのこといいとおもっとったよ!」
観光シーズンを外れた桂浜に僕らの恋を止めるものは何もなかった。
「どっか行こうか?」
《おい、おい、もう十分徳島から高知まで来てるっちゅうねん!》
自分の言葉に心の中で突っ込みを入れながら、俺は優子をもっと知りたくてたまらなくなったのだ。車を飛ばして、そうすっ飛ばして、僕らは彼女の通った高校のある町まで来た。それから町外れの小高い山の上に夜景を見に行った。
「優子…」
「なに…?」
「キスしてもええか?」
「聞かなくていいよぉ!」
↓
「優子との毎日は最高だった。」と言っても毎日会えるわけじゃなかったが、とにかく寝ても覚めても仕事をしても、彼女のことばかり思いながら俺の毎日は過ぎていった。
何回目かのデートの後、彼女が別れ際にぽつんとこう言った。
「ヒデ、私…実は内緒にしてた事ある…。」
「なんや?」
「う~ん、今度にするわ。」
「気になるやん、今言いや!」
「うん…、…、実は彼氏いてん…!」
俺は何か狐につままれたような気になった。
《しかし、昔の人はうまい表現を考えたものだ。いやいや感心してる場合やないで!》
「えー、まじっ!」
「ヒデがいつか気づいてくれるかと思った…」
「 … 」
《俺の心の隙間を埋めてくれた優子の心の隙間を気づく事が出来なかった!》
身体中に何とも言えない気持ちが駆け巡っていた。それは、怒りや失望や情けなさや悲しみや哀れさや、かつて体験したアルバトロスの激しい記憶とも違うものだったが、しかし、世界が思惑通りに全てうまく回るという奇跡はやはりないのだろうか?なんて事を考え始めた俺にさらに追い討ちをかけるように優子はこう言う。
「だからっていうわけやないけど…、別れたい…。」
「ちょっと待った!優子は俺と彼氏とどっちが好きやねん?」
「 ようわからんようになった 」
「 ヒデは色んなこと知ってる、一緒にいると勉強になるし、…でも」
「でも?」
《あかん、冷静に冷静に!》
「 毎日は疲れる 」
「毎日会ったことないやん?」
《ちゃうちゃう、優子はそんな意味でいうたんやない!》
「もっと遊びに連れて行って欲しかった!」
《おい、おい、もう過去形かよ!》
「もう一回冷静に考えよう!」
「 でも 多分 変わらんかなあ 」
《こう言う時に冷静でいられる男に俺はなりかった》
「確かに俺は理屈っぽくて疲れるかわからん、そんなに遊びもしらん!でもそれのどこが悪いねん!」
《優子が聞きたかったのはそんな言葉じゃなかったはずだ。》そう思いながらも言葉は亡霊のように俺に取り付き、二人を裁きだし始めた。
↓
《人は何故ビルを建てるのか?》
いつも抱えている切実な疑問じゃなかったけど、何年か前に俺はその答えを西新宿の歩道橋の上でふと見つけた。人は山を作りたかったのだ!そこに至るまでの人類の心理的な過程は知らない。ひょっとしたら台風や崖崩れや雷や大雪やらで、昔、痛い目に会った事が原因かもしれない。で、自らが快適に暮らせる自然を作りたかったのかもしれない、なんて思う。具体的な理由はどうであれ、高層ビルを作った人の気持ちはよくわかる気がするのだ。
《もしかしたら、彼も心の中に無味乾燥な平原を抱えていたのかも知れない。》
大工の仕事は順調だった。棟梁の小野さんはオヤジより年上で、俺と36歳離れていたけれど、俺には小野さんの心の奥底の孤独感や寂しさがわかるような気がしていた。
「ヒデは、大工に向いてるよ。」
「いやー、俺、思いっきり不器用ですけどね!」
「だから向いてるんや。」
「えー…?」
「生まれつき器用な奴は大成せん。不器用な奴のほうが考えよるから。」
「はあ…!」
「人間の事を一生懸命考えるのが大工の一番の仕事や。それ以外のことはどうでもええから。」
照れくさそうにそういうと、※7エコーを地下足袋で軽く踏み潰しながら、少し意を決したようにこう言い放った。
「女は大事にしいや!」
頑丈な鉄で出来たような小野さんの顔が、なんだか心なしか赤く火照っているようにも見える。
「はい」
短い会話を済ませると、二人は生まれ故郷の体育館の屋根に再びよじ登った。今日は補修工事の最終日だ。急がないとそろそろ暗くなってしまう。
《しっかし、こんな素敵な大人がいるとは、子供の頃に何で気づかなかったのだろう?》
俺は優子にもう一度電話をしてみようと思った。
↓
「優子、おまえの複雑な気持ち、わからへんかった。反省しとる。」
「うん、でも一番悪いのは私。ヒデとアキラと天秤にかけとったし…、はっきりせなあかんね。」
《電話の向こうでうな垂れている優子の姿がはっきりと見える。》
「優子!」
「なに!?」
「必要やから、オレ、まじでおまえが必要やから…だから…」
「だから…?」
「 もう一回、つきあいたい 」
「 … 」
「 あんまり理屈ばっかり言わんようにするし… 」
「 … 」
「 それに、遊びにも連れてく 、 それから… 誰よりもおまえが好きやから だから」
「 わかった… アキラと別れる 、ずっと まってた 私の事がほんまに必要やって言ってくれる人が現れるの まってたんかもわからん… 」
「 ありがとう 幸せにする 」
「 ブー! 言いすぎ言いすぎ!!! プロポーズちゃうやろ??? 」
「 はい、失礼しました! 」
優子がアキラと呼んだ彼に少し申し訳ない気はした。優子と彼との関係がどうあれ、俺は今後の二人の関係を変えてしまうからだ。が、申し訳ないと思うことは結局自分の良心を慰めることにしかならない。これから優子と精一杯楽しむことの方が大切だ。
とにかく、ブルーハーツとビートルズとショパンが大好きなごく普通の少しお茶目で小柄な彼女はこうして遂に俺のものになった。いや、本当は俺が彼女のものになったといった方が正しいのかも?そう、俺はその時確かに心の中で「ワン!」と鳴いたんだ、トホホ…。
※6香川県に生まれ、京都に学び、その後四国の各地の寺で修行をした宗教家。いわゆる真言宗の開祖、空海の別名。
※7国産タバコ、この小説の時代では確か90円くらいだったと思う。
22 僕とJoe⑧ 【Duran】
Lisaと会って1週間がすぎた。その時は出来る限りベストを尽くしたつもりの再会だったが、日が経つにつれて煮え切らない思いが充満してくるのを感じていた。
《しかし、現実というやつは時間という親友に後押しされて容赦なく進んでいく。そろそろもうひとつの難問にも決着をつけなければ…》そう思っているとき、Joeから電話があった。
Lisaと会った日の事をJoeは何も聞かない。「スタンドのメンバーに今後の計画を全て話そう!」とだけシンプルに言い放つ。僕の神経が参っている時の彼なりのいつもの気遣いだ。僕はすぐにOKした。
《しかし、スタンドの日本行きっていうのはかなりの反対意見が出るだろうな?なにしろメンバーの誰にも日本人の友達はいない、それに日本語も喋れないんだもの…》
Joeの段取りでスタンドの全メンバーが僕の家に集まる事になった。明日、土曜日の夕方だ。
僕は夕食を食べながら父と母にその事を話した。勿論スタンドの日本行きの件も含めてだ。
「愛するダディ、ママ。これから僕の話すことをびっくりせずに聞いて欲しい」
「おいおい、Duran、どうしたんだ。急にあらたまって!」
「実は、今やってるスタンドってバンドの事なんだけど、日本のレコード会社と契約するって話は以前したよね!」
「うん、メンバーの皆も賛成なんだよね!」母のバージニアが目を輝かせて言う。
《そういや、若い頃エルビスの大ファンだった母はスタンドの成功を一番嬉しく思っていてくれてたんだった…》
「日本でデビューしようと思うんだ…!」
「 … 」
「おまえにはいつもびっくりさせられるよ。とんでもなく大事なことを自分の中で決めてから相談するんだもの…!パパに似たのかしら?」
「ああ、今回はパパもびっくりしたよ。日本でデビューって、まさかバンドのメンバー全員で日本に行くつもりかい?」
「そう、少なくとも一年は日本で滞在しなきゃならないだろうね!」
「でも、ビクトリア…なんとかのOKは貰ってるんだろうな?」
「ビクトリア・ジャパンだよ。いいや、メンバーがOKしてから」
「はっはっは。じゃあ、まだ行くと決まったわけじゃないんだね…!Duranはいつもせっかちだな。俺に似たんだろうね。」
「コンチワッ!」
《いきなりJoeの登場だ!》
「Duran、ビクトリア・ジャパンの小田社長にOK貰ってきたよ!もしメンバーの承諾が取れたら、我社としてはスタンドの来日を歓迎しますってさ。」
「えー、もう相談したの?」
「あー、明日のミーティングまでに結論もらっとかないと、またメンバー間でもめる元だと思ってさ。」
「さっすが、Joe!!!」
パパとママはあっけに取られたような顔をしていた。
しかし、いつも一緒にいるDuranでさえここ数ヶ月のJoeの変貌振りには驚いていた。というより、音楽しか能のない奴だと思っていたのは大いなる誤解だったのかも?ビクトリア・ジャパンとの契約が決まってからのJoeの決断力と行動力は、何かと悩みがちなDuranの気持ちをいつもいいタイミングで励ましていたのだ。Duranは何よりもその気遣いが嬉しかった。
23スタンド1 【Duran】
「さあさっ、召し上がれ!」
パパとママは大張り切りだ!何しろJoe以外の友達を家に招待するのはこの数年間で数えるほどなのだ。その上、今回の客人が僕とJoeが作ったバンド、スタンドのメンバーだって事で普段は土曜日にもオレンジ畑に出かけることの多いパパも今日は少し若めの服装でお洒落したりしている。しかし…、余計に気になってしまうよ、Lisaとの関係…。
「Duran、まあ一杯やろうぜ!」 振り向くとキーボードのリックだ!
「最近なんか元気ないなあ!?そんなんじゃ、スタンドのリーダー失格だぜ!」
「うん、今日は重要な話しをみんなにしなきゃならないし…」
タイミングを見計らったようにJoeが言う。
「OK!じゃあ、そろそろミーティングといこうか!Duran、カモン!!!」
《とうとうこの時が来た。ちゃんと話さなきゃ。》
「みんな、本当にありがとう!僕とJoeがスタンドを結成してまだ4年ほどだ!正直ここまで来れたのは僕とJoeの力だけじゃない。イアン、ギル、ジョン、リック、スコット、ジム、アル、みんなのお陰だ!」
「イェー!!」
《皆な少し酔っ払い始めたのかもしれない》
「そこで、皆なに提案があるんだ!以前、ビクトリア・ジャパンとの契約の事でミーティングした時にさあ、全米デビューするならどこかのマネージメント会社か事務所と契約した方がいいんじゃないかって皆なの意見も含めて考えたんだ。まず日本でデビューしたい!」
36歳の誕生日を迎えたばかりのキーボードのリックが言う。
「レコーディングはどこでするつもりだい?」
すかさずJoeが答える。
「日本、だよなあ!Duran。要はレコーディングやその後のツアーを含め、1年くらい日本で活動してからアメリカに凱旋帰国したいってことなんだ!」
「 … 」
《流石にみんなびっくりするよなあ、急にこういう事言い出しても…》
「Ok!」
何といつもはシビアな意見を包み隠さず言う役割のベースのジョンが、いきなり即答だった!今年41歳を迎えるベテランのスタジオミュージシャンだというのに…、いや年齢は余計か?
「以前のミーティングで、JoeとDuranの考えはわかっているつもりだ!スタンドデビューの為のビクトリア・ジャパンの予算が一億円って事も聞いた!それに皆の気持ちもね。だからまず日本で成功してアメリカに凱旋ツアーって方法は妥当かもね、ちなみに俺の滞在費用は自前でいいよ、実はカミさんからずっと【一度でいいから日本で暮らしてみたい】って言われ続けてたんだ。彼女、ジョン・レノンのファンだからね!京都に行ってみたいんだってさ…。ごめん、今のは余談だけどね!」
「俺もOkだね!」
スタンドの中で2番目に年長のリックが言う。
「日本で人気がブレイクしたチープトリックっていうR&Rバンドがあるよね。スタンドとはまた違った音楽をプレイしてるけど、歌はDuranと少し近いところがあると思う。強いて言えばジョン・レノン派だね!悪く言えばアメリカ人にしては少し繊細なニュアンスが強い…、だからスタンドも日本でブレイクする可能性は高いだろうね。ジョンと違って日本暮らしは大変だと思うけどさ!」
「良かったあ…、年長者二人がOkなら俺たちはいつでもOkさ!なあ、イアン!」
嬉しそうにギターのギルが言う。
「ああ、実はそろそろロスにうんざりしていたところなんだ!この街にはパンクロックの理解者があまりいないしね!最近、日本のアンダーグランウンドは面白いみたいだし。それに女の子がカワイイらしい。※8イギー・ポップの奥さんって日本人なんだよね!いきたいなあ、日本かぁ…!ところでホーンセクションの皆なはどうだ!」
「おいおい、いつもイアンはパンクロックが中心で生活が回ってるんだね!勿論Okさ。大学は一年くらい休学したってどうって事ないしね!!!なあ、アル、スコット!」
どうやら、ジム、アル、スコットもOkらしい。。。
《なんだか泣けてきた、、、、、僕の意見をこんなに皆なが理解してくれるなんて。。。。最悪の場合、Joeと二人だけで日本行きって事もあるかと思っていたのに…。》
※8ニューヨーク出身のR&Rシンガー。60年代後期にストゥージーズというR&Rバンドで活躍、以後ソロ活動。70年代後期にデビッド・ボウイのプロデュースした作品群(Tonight等)で一躍脚光を浴びる。肉体と知性をギリギリまで酷使する激しい歌とステージで、現在でもミュージシャンや通なリスナーからの支持は高い。
24 スタンド② 【Duran】
♪戦闘機は飛ぶだろう 誰かの正義を乗せて
身もふたもありゃしない 文句のつけようもない
Imagineを百万回 歌い続けても
貧しい人を助けた手の 痩せた指は銃を握る
愛を語るくちびるは 貧しさを裁きだす
Imagineを百万回 歌い続けても
それが君の愛だろう かけがえのない
初めての夜だから 血を流すのかい♪
スタンドの日本デビューは、ショッキングな歌詞とジョンレノンが作ったかのような美しいメロディーを持ったバラードで始まった。
「日本人は叙情的で遠まわしな内容のうたを好むから!」ビクトリア・ジャパンの小田社長は何度もそう言って、その曲のリリースに反対したが…。
JoeとDuranのあまりにも強い意志に、結局小田社長が折れたのだ。そして、小田社長の心配とは裏腹に、ロスなまりの英語で歌われたこの曲は瞬く間にチャートを駆け上った。
作詞者のDuranが「No Title」と名付けたこの曲の邦題は「ロスからの贈り物」だった。
TVやラジオで何万人、何十万人もの若者がこの曲を聞いた。その中に何年か前にDuranの歌に助けられた若者もいた。汗をかきながら大工工事に勤しむ秀夫だった。ラジオから流れてきた細くて微かにハスキーなその声を秀夫はどこかで聞いたような気がした。
「うん、確かにこの声どっかで聞いた…!」
秀夫とDuran。今の彼らは、何年か前よりはるかに近い距離にいた。
25 平原から② 【Hideo】
「優子、こんな歌知ってるか?」
♪Eternal Sky Remains The Same…♪
「うん、STANDやろ?例のヒット曲のB面に入ってるやつや!」
「へぇー、さっすがぁ…!最新の音楽情報に詳しいなあ…!やっぱりそうなんやぁ…!」
「やっぱり…って、なにが?」
「うん、昔この曲っていうか、このフレーズに助けられた事あるんや!」
「えっ、でもスタンドって最近日本に来たばっかりやで?Hideがなんでこの曲知ってるん?」
「うん、7~8年前やったと思うけど、この曲TVで流れてたんや。日本にサンキストオレンジが輸入されはじめる頃やった…」
「ふ~ん、そうなんや。全然気ィつかへんかったわ…。でもスタンドのヴォーカルのDuranって変わってるよね?この間、ウタバンに出てたんや、でな、《どうして日本でデビューしようと思ったんですか?》って質問に、何て答えたと思う?」
「《原爆落としたことに対する罪滅ぼし》だったりして…?やっぱ、違うか?」
「《日本の若者に僕らのロックを聞いてもらうことで、自分自身を助けたかったんだ!》って言うたんや…!?訳わからへん…!」
「ふ~ん、そうなんや…」
「でもDuran、ちょっとヒデに似てるよ!」
「えっ、どこがぁ???」
「う~ん…、男前…じゃないけど、味わい深いとこ…かなあ?」
「こらっ、人を年代もののワインみたいな表現しやがって!おまえ何か最近すぐ俺をいじるよなあ。」
「へっへっへ。だって《幸せにするから》って言うたやん!本当の私のこと受け止めてくれるかなって思て。」
「あほっ…」
《自分自身を助ける為》かぁ?優子から聞いたDuranの言葉はHideの心の奥底をすこし掠っていった。しかし、目の前で陽気に笑う優子に、昔の話をする気には決してならなかった。言葉では伝えられそうもなかったからだ。
↓
優子との恋も仕事も順調だった。大工の仕事が俺の全てを変えてくれたのかもしれない。何しろ家を買うことは、殆んどの日本人にとって、一生に一回あるかどうかの一大事なのだ。「人の為に大事なものを作っている」という実感は心地よいものだった。
そんなある日棟梁の小野さんが俺に相談をもちかけた。家を設計してみろとの事だった。
普通、大工は設計図面を引かない。設計事務所に依頼するのだ、というか、最近は設計事務所が設計した図面の施工をする方がメインの業務と言ってよかった。小野さんは「これからは大工も設計図面が描けないと生きて行けない」とよく言っていた。きっと俺の事を心底心配してくれているのだ…少しぶっきらぼうで気難しいとこもあるけど、やっぱりいい人だ。
それから数ヶ月、独学で設計図面を書きまくった。時々、小野さんのアドバイスを貰ったけど、基本的なこと以外あまり何も言わなかった。
昼間は家を建て、夜はドラフターを相手に設計する毎日は俺をますます活き活きさせた。若い頃、世界のことばかり考えていた。しかし、いくら考えようと世界を作り変えることなどできない。しかし、今の俺にとって自分の設計した家や建物を作ることはそんなに遠くないのだ。プランを気に入ってくれるクライアントさえ見つかれば、一年足らずで形になる。そしてクライアントの笑顔と給料以外の十分なお金が手に入る。その気持ちがどんどん俺を本気にしていった。
3年足らずで、俺は「設計できる大工」として徳島県内や高松やたまには高知からも引き合いが殺到するようになった。
優子とはたまにケンカをしたり、また仲直りをしたりしながら、お互いなくてはならない存在になっていった。ロックコンサートにもよく行った。中でもスタンドのライブは圧巻だった。若い頃によく聞いたスライストーンや初期のプリンスの音に少し似ていたし、ドアーズやロンドンパンクのようなサイケデリックで観念的な要素も入っていた。そして何よりDuranの歌に感銘を受けた。一見平凡な若者がステージに上ると超人のようなオーラを発していた。或いは、一人の頼りない青年が、初めて降り立った何もしらない世界で必死に生きようとしているかのように思えた。
《きっととんでもない孤独を抱えているのかもしれない》
スタンドのステージを見て俺はますますDuranのことが気がかりになった。何だか高校生の頃にみたボブ・ディランを思い出したりもしたのだ。
「優子、Duranってどういう奴なんだろうねぇ?」
「まかしてよぅ!Duranの事なら何でも知っとうよ!1964年ロスアンジェルスの南東オレンジカウンティ生まれの26歳、誕生日は何とHideと同じで12月14日やよ!Hideが4年先輩、どうびっくりしたやろ?」
「…、…、びっくりしたっていうより、おまえって相変わらずミーハーやなあ?!そんなんやのうて、どんな人かなあって、例えばどんなアーティストに影響受けたとか、彼女はどんな人やとか…まあ、影響受けたミュージシャンは大体想像できるけどな。」
「うん、雑誌のインタビューでSlyとドアーズって言うとった。あと、これは噂やけど結構彼女はころころ変わるみたい。日本に来てからもう5年でしょ!後のメンバーはアメリカで暮らしてるみたいやけど、Duranだけは京都に住んでるみたいよ!日本の女が好きなんかもね?」
「ふ~ん、京都かぁ…、なんか偶然と思われへんわぁ、…ふ~ん、京都にねぇ!」
「イタッ! 」
買ったばかりのアコードクーペではじめて出かけたドライブだというのに、優子がいきなり俺の脇腹を突付いた。
「何かHide最近おかしくない?」
「えー!何もぉ。そんな感じする?」
「何か音楽の話になると、スーッと遠く見てんねん。私がついていけない世界みてるような気がして…。」
「そっかぁ、ごめんごめん。」
《優子も今年で24。微妙な年齢なんだ》
サイドシートにうずくまった優子の肩を抱きながら、俺はある事を考えはじめていた…。