12僕とJoe② 【Duran】
「Joe!いつまで寝てんだよ、もうすぐ出番だぜ!」
「あー、そのうち起きる…」
「そのうちっていつ起きるんだよ?もう五分前だよ!」
「うん、一分前に起きる…」
ステージ裏のいつもの光景だ。せっかちなDuranとマイペースなJoe、意外といいコンビなのかも知れない。
彼らがバンドを組んでもう3年が経った。軍用ジープでエンジンをフル回転した時のような破滅的なスピード感はDuranのパンク好きから、30インチの特大フライパンでフレンチフライをリズミカルに投げ上げるかのような図太いファンキーな音はJoeのファンク好きが作りあげたものだった。
当初は二人だったメンバーも今は二人のギタリスト、ベース、キーボード、ホーンセクションを加え9人に膨れ上がっていた。もっと重要なことは、ロスのライブハウスで彼らのバンド「スタンド」を知らない音楽好きの若者は殆どいないことだった。
「Joe、今日はいつもと違うんだぜ!復活した※2スライ・ストーンと競演だろ!せめて3分前に起きて、バスドラの調子くらいみたらどうなんだい?」
流石にせっかちなO型のDuranはもう切れかかっている。
「あー、じゃあ2分前で手を打とう!」
天邪鬼なB型のJoeはどういう時もジョークを忘れない。これでバンドの音が悪い訳がないのだ。
スタンドのライブは地元のロスばかりか、サンフランシスコやシアトルからも若者が駆けつけてくる。レコードデビューしていないバンドがこれほどまでの集客力を誇った例は過去にないという。Duranにとって現在の悩みは、「どのレコード会社と契約するか?」という贅沢なものに変わっていた。
↓
嬌声の中でステージは始まった。
「みんな、今日は特別な日だ!」
「イエー!!!」
「僕らのアイドル、スライ・ストーンの復活の日だ!」
「イエー!!!」
「白も黒も黄色も全てが一緒になる日だ!」
「イエー!!!」
しかし、ロスの観客は楽なものだ。何を言ってもイエーなのだ。リンカーンやケネディはさぞかし裏切られた思いで死んでいったに違いない???
とにかく、ロスの若者の名誉市民とも言えるスライ・ストーンがドラッグから立ち直り、スタンドのメンバーと一緒に彼のヒット曲「スタンド」を熱唱していた。DuranやJoeにとっては、それだけで十分に特別な日なのは事実だった。
※2スライ・ストーン
1960年代後期にロス、シスコで大人気だったスライ・アンド・ファミリー・ストーンのボーカル兼リーダー。所謂ファンクという音楽を作り上げた元祖とまで言われている。スティーヴィー・ワンダーやプリンス、アース・ウィンド・アンド・ファイヤーも彼の音楽からの影響を否定しない。混血だった彼は、敢えてR&Rと黒人音楽の融合をテーマに音楽活動を続けるが、Drug中毒により、途中何回もリタイヤ。早すぎた天才という言葉が彼ほどに似合うミュージシャンはいない。
13僕とJoe③ 【Duran】
スタンドのステージはハリケーンのように進んで行った。どんなバンドにも勢いに任せた怖いもの知らずの時期があるが、今の彼らはその時期を迎えていたのだ。どの曲のテンションも多分ストーンズやSexPistlesに劣らないであろう。決してうまいとは言えないDuranの歌も独特の説得力を持って観客に迫ってくる。それもそのはず、Duranは観客の一人一人と1対1の勝負のつもりで歌っていたのだ。
《何故だ?》
普段は大人しいくせに、ステージに上るとその秘めたエモーションをぶつけてくるようなDuranの歌をモニターで聞きながら、DrumsのJoeは、Duranの様子がそれでもいつもと違う事を強く感じていた。
《いくら憧れのスライ・ストーンとステージに立ったからと言って、今日は段違いに歌の説得力が増している…?それに2時間で終わる予定のスタンドのライブはもうすでに10分も過ぎているのだ…?時間にうるさい奴が何を企んでるんだ? まさか…この間のセッションでジャムった曲をやろうってんじゃ…?嘘だろう おい、あんなダサイ曲止めろよ!!! うちはナッシュビルのカントリーバンドじゃないんだ!!!》
普段は嫌味なジョークを言い合っていても、いざとなると分かり合えるのはやはりJoeがDuranの唯一の親友だからかも知れない。
「皆な、ありがとう!今日の最後の曲は、昔、僕が日本のTV局の為に作った歌だ!昨日、その歌を歌った頃の日本の知り合いから電話があったんだ。日本のKOBEのある精神科に一人の男が入院したって話だった。彼は真冬の公園のベンチで一人この歌を繰り返し歌ってたそうだ!詳しい理由はわからない!彼と世界が再び友達になれますように!じゃあ、EternalSky…!!!」
《痛っ!やっぱりかよ~!これじゃあ、まるで60年代のフォークロックバンドだよ…、まあしょうがねえか…。》
Joeの心配をよそ目にDuranの歌い始めたEternalSkyは延々30分間続いた。
Eternal Sky
♪僕らのaiはまるで曇り空のようなもの
くもり空にほすせんたくのようなもの
決して乾くことがない
僕らのaiはまるでばからしいらくがきのようなもの
決して誰かのきにとめられることはない
僕らはたとえようのない痛みを
うたうことで晴らそうとした
「りそうの世界はいつ来るの?」
「りそうの人間はいつ現れるの?」
皮肉の達者なこれまた僕ら
やさしいうたを憶えた僕らは
仲間をみすてて 仲間はみなごろし
「君のために死ねるよ」なんて歌いながら
aiという名の銃を撃つのさ
永遠に続く空の下で…
ガンジス川で洗濯をする人々
壊れた戦車の片隅で遊ぶ子供達
朝5:00に起きてみかん畑に通う人々
スーツケースを片手の高層ビルの隙間に
生きる人々
数え切れない喜びや悲しみを背負った
世界中の人々
みんな みんな 愛しい友達
愛しい友達 君は素晴らしいよ
愛しい友達 君はひとりじゃないよ
愛しい友達 手を差し出して・・・♪
延々30分続いたEternalSkyに観客たちは興奮し、
♪My dear friend. You’re so wonderful.
♪My dear friend. You’re not alone.
♪My dear friend. Give me your hands.
まるで10年前の※3デビッド・ボウイのような歌詞を大合唱した。
最初はしぶしぶ付き合ったDrumsのJoeも、Duranの強烈な感情に巻き込まれたかのように、放心状態で8ビートを刻んでいた。 まるで24時間TVのエンディングのようである…。
さて、このステージがロスで話題にならないはずがなかった。何事につけ、ニューヨークと対抗したい土地柄の少年達の間では、「スタンドは※4エアロスミスよりもイケテル!」という噂が飛び交うようになった。スライ・ストーンという過去に埋もれそうだった天才を再びステージに上げて競演したことと、見知らぬ日本人の若者の為に歌った事も好印象につながったらしい。一世代前のジム・モリソンのような圧倒的な才能と狂気の人がスーパースターになり得る時代は過ぎたのだろう。この国の今時のスーパースターにはDuranのように性格の良さも要求されるらしい。
迷った末、大学に行かなかったDuranと、はなからそんな気がなかった今でいうフリーターのJoe、二人はレコード会社からのオファーに追いまくられるという21歳の少年としては夢のような毎日を授かった。
「Joe、どこがいいと思う?Doorsの所属していたエレクトラも良いと思うけど、パンクやニューウェイブに理解のあるバージンレコードもいいかなって?ちょっと思ったりしてる?」
「バージンはとがりすぎてるだろう?俺はアトランティックなんかオーソドックスで良いと思うよ!歴代のソウルミュージシャンに肩を並べようぜ!※5オーティス・レディングのワッペンだって貰えるかも?うひゃー…。」
大抵、二人が本音で議論するとかみ合う事はない。それを一番解っているのはその二人なのだが…。
※3デビッド・ボウイ
70年代の彼の作品は超名作ぞろい。「売れ出してから迷走した」という一般論にリュウも同感。ちなみにリュウのフェイバリットアルバムは「Low」。
※4エアロスミス
ジョーペリーが再加入して、今は若いファンも多いみたいだね。最近はボーカルのスティーブン・タイラーのカラーが強いみたい。バラード好きだしね、彼は。リュウ的にはやはり初期のゴリゴリのR&Rの方がいいなあ…。
※5オーティス・レディング
リュウの師匠、忌野清志郎先輩がこよなく愛するソウル・シンガー、若い子ら知らないと思うけどいいよう!
14 秀夫と庭の木② 【HIDEO】
おそるおそる目を開けた俺が見たものは、散らかった部屋に散乱する弁当の食べ残しだった。この一週間というもの殆ど飯を食ってなかった。コンビニで弁当を買ってたべようとするのだが、吐きそうになって殆ど残してしまっていたのだ。
≪俺が見たアルバトロスはなんだったんだろう?≫
そんなことを少し考えたが、すぐに異常な体のだるさに気を取られた。何しろここ一週間殆ど寝てない。このまま眠れないと発狂してしまうだろう?まだそう考える余裕が残っていた。
≪京都に帰ろう!≫
ワコとデートに行ったままアパートに帰ってふとんにふさぎこんだままだった。かなり服がヨレヨレだったが秀夫にそれを気にする余裕はなかった。
京都駅に午後5時前に着いた。改札を出ると
「秀夫だろ?ひっさしぶり!」と声がした。
昔のバイト仲間の…誰だっけ?誰でもいいや。
「おう!」とだけ言ってすぐタクシーにのる。「えっと、岡本んとこ」。
「お客さん、からかわなんといて!」
けだるい京都弁だ。 懐かしい…。 涙が出た。
「どこまで?」
少しいらいらした運転手がもう一回聞く。
「えっと、確か峨野野の方、友達住んでるんで!」
「じゃあ嵯峨野に行ってええんやね!」
念を押すように運転手がいう。
「はい…」
岡本に会えば全て喋れそうに思った。
「よう、突然どうしたんや?」
「いや、ちょっと会いたくて…」
「お前がそんなこと言うの珍しいなあ?まあええわ、とりあえず飯食いに行こうや」
「う…ん」
岡本と居酒屋に行ったが、やっぱり飯は食えなかった。少しだけ酒を飲んだ。まずい、目を閉じると見えていただだっ広い平原が岡本の顔と二重写しに見えた。やはり駄目かもしれない。
「ごめん、帰るわ!」
居酒屋を飛び出す俺を岡本は不思議そうに見る。全てを話すにはいくら親友の岡本とはいえ不安すぎる。
≪家へ帰ろう…≫そう思ってバスに乗るとまた声をかける奴がいた。
「秀夫…?」
「あっ、ち…な…つ…ちゃん」
京都に来たばっかりの頃、知り合った嵯峨美術短期大学の女の子だった。たった2ヶ月で別れたが・・・。殆ど話もしないまま、僕らは京都駅まで隣の席に不自然に座ったままだった。
「じゃあ、また」
≪ありえないだろう!また、なんて≫
そう思ったのもつかの間、バイトでお世話になった中田社長が目の前で微笑んでいた…。
俺には少しずつわかって来た、俺が昔お世話になった人たちに誰かが会わせている。というより挨拶して回らせている。そしてこれは偶然なんかじゃないんだ。この道は死への道なんだ、挨拶回りが終わったら俺は死ぬんだ…強烈にそう思った…。だったら家族に会ったら本当におしまいかもしれない・・・。
↓
俺は苦しんでいた。 もう8日間ろくに寝ていない。所謂不眠症だ。一般論で言うと俺のたびたび見るだだっ広い平原は幻覚だろう。つまり俺は病気かもしれない。というより病気なんだろう。精神科に行った方がいいと思う。が、そんな気力もない。というより他人を信用できないんだ。今までの状況を説明して医師が理解してくれるとはどうしても思えない。病気のレッテルを貼られて親に連絡されて…。田舎のオヤジやオフクロはどう思うだろう?びっくりさせたり心配させたりは絶対したくない。彼らには何の責任もないんだもの。やさしい人の悲しむ顔なんかたとえ死んでもみたくない。
「人は皆一人だ!」とTVドラマや大人は言う。いや、大人と言えばもう俺も今年の12月で26歳だ。だから中年のおっさん達は言う、と言い換えておこう。でも本当にこの世に一人で親友にも親にも自分の今いる世界を打ち明けられないってことがどんなに孤独か解ってないとしか俺には思えない。このまま待っていると俺は衰弱して確実に死んでしまうだろう。でも、俺は死にたくない。全てに絶望して自殺する奴らの気がしれない。俺はもしそれが条件なら誰かを殺してでも生き延びたいと本当にそう思う。
俺は出口のない迷路に迷い込んだままどこにも帰れずにいた。心の中は犯罪者と多分そんなに変わらなかった。医学的な用語を用いるとしたら、外部自我が壊れ内部自我が剥き出しになっている状態かもしれなかった。何かちょっとしたことがあると誰かを傷つけかねなかったのだ。
京都駅からフラフラと街を歩き、いつのまにか四条河原町まで来ていた。一番自分らしい季節を過ごした街だ。いっそこのまま死んでしまうのなら最後に見ておこう。いや本当は死にたくなんかないんだ。矛盾した思いが振り子のように腹の底を駆け巡る。その度に脳裏に2匹のアルバトロスのイメージがよぎる。そして又平原…。目を閉じればまた同じ平原だ…。
本能は母に向っていた。俺はマザコンだろうか?なんて考える余裕はその時の俺にはなかった。「俺の戻る道は母への道だ!」「しかし、心配は掛けたくない!」両方の強烈な思いに引き裂かれながら、俺が無意識で求めていたものは無償の愛だった。
阪急京都駅から電車に乗り込んだ。梅田で阪神電車に乗り換え、神戸の港町、四国行きのフェリー乗り場のある青木駅に向った。電車に揺られていると、ますますアルバトロスのいた平原のイメージが強くなってきた。目を閉じればまた漆黒のアルバトロスの羽音がしそうで眠りたいのに眠れない。
だんだん精神の残容量がなくなるのがわかった。
「屍川(しかばねがわ)」そんな名前の駅なんかなかった。本当は「夙川(しゅくがわ)」だったんだ。しかしその駅の名前が電車の窓から見えた時、俺はフラフラと降りてしまった。死は確実に俺にとりついていた。
駅の近くの公園で俺は待っていた。一体何を待っていたのかは今となっては思い出せない。雪がちらついてきて段々ひどくなり、俺はなんだか幸せな気持ちになっていった。
その時だ!
薄暗い雪空に極彩色のアルバトロスが羽ばたくのを確かに見たんだ。
俺はまたあの歌を口ずさんでいた。
♪Eternal Sky Remains The Same…
15 僕とJoe④ 【Duran】
こんばんは。Duranです。Joeと作った最初のバンド、「スタンド」がロスの若者の間で大人気だってこと、スライ・ストーンを迎えてのライブが大成功だってことは皆に知って貰えたと思う。どのレコード会社と契約するか?ってメンバーで話し合ったりもしたけど、結局皆な「最後はDuranとJoeが選べよ!」って理解を示してくれた。「要はDuranやJoeと一緒にバンドをやれるなら、レコード会社は君達が決めたほうがいい!」って言ってくれたんだ。全くいい奴らだよ!その内メンバーを一人一人紹介するね。
ところでJoeと徹夜で話し合って決めたレーベルはどこかって話をしておこう。何と日本のビクトリア・ジャパンっていう新興レーベルさ。何故かって、僕とJoeは今、日本って国にとても興味があるからさ!僕の場合は、ハイスクールの頃、EternalSkyでクラスの人気者になる切っ掛けを作ってくれたってこともあるしね。JoeはJoeで日本の音楽に凄く興味があるみたい、っていってもロックじゃないみたいだけどね。なにか華奢な女の人が派手な化粧で歌ってる「りんご…なんとか」っていう歌のリズムの取り方が面白いとか言ってたよ、かなりベテランの歌手みたいだけどね。流石、音楽通のJoeだよ!聞くところが違うって感じかな?でも最終的に日本のレーベルと契約する事にしたのは、ビクトリア・ジャパンの社長がとても僕らの音楽を気にいってくれたこと、真摯な態度でスタンドのメンバーの話を一人一人丁寧に理解しようとしてくれたことだ。ロックは今や巨大なビジネスには違いないけどね。僕らは決して金の為だけに音楽をやりたいわけじゃないっていうか、人間として誠実でいたいってそう思うのさ。
ところで、KOBEの病院の精神科に入院した彼はどうなったんだろう?って実はずっと気にかかってるんだ。恐らくTVで僕の歌を聞いたんだと思うけど、何しろ放映されたのは十秒間だけだから…、EternalSkyのどこがそんなに気にいったのかな?って、出来れば本人に直接会って聞きたいくらいだよ!今は多分無理だろうけどね?
16 秀夫と庭の木③ 【Hideo】
気がつくとやさしい母の顔が目の前で笑っていた。「秀夫が家を出てもう5年たったなあ」って何事もなかったみたいだ。俺はどうしていたんだろう?俺にはこんなに俺を愛してくれる人がいたじゃないか?まだ目を閉じるとだだっ広い平原は見えていたが…。「ここ、どこ?」そう聞く俺に「どこでもええ、秀夫がこうして生きてるだけで、どこでもええ…」
うっすらと屍川、いや夙川の公園で雪空の中見た極彩色のアルバトロスを思い出した。「あんな、かあちゃん、アルバトロス!アルバトロスにお礼ゆわなあかん!」いつのまにか徳島弁を喋っていることに気がついた…。何年ぶりだろう?海野や京都のパンクロッカーや東京のビルやアルバトロスが、一瞬遠い昔のように思えた…。 少し悲しそうに微笑むかあちゃんの肩越しに白いカーテンが見えた。ここは病院だ!そう思ったら少し涙がでた。
≪かあちゃんを悲しませてしもた≫
「無理せんと寝とり」かあちゃんにそう言われて、それから看護婦さんが薬をくれて飲んだ。すこしずつ眠くなって目を閉じたらいつも見える平原もすこしずつうっすらとしてきた。本当に眠れそうな気がする。やっとかあちゃんに会えた…。
17 僕とJoe⑤ 【Duran】
日本のビクトリア・ジャパンとの商談が成立し僕らのバンド「スタンド」は全米デビューすることになった。普通、日本のレコード会社のバックアップで全米デビューするなんて考えられない。ビジネスとしてリスクが大きすぎるのだ。スタジオでの録音、レコードジャケットの製作、プロモーション、ロック雑誌への広報・根回し、そしてツアーなど、海外法人にはノウハウがないし、第一金もかかる。特に最近はU2のようにステージのセットに何億もかけるバンドが多い中、スタンドはどう戦っていくのか?僕らはバンド全員でミーティングすることにした。
ミーティングの光景を語る前に、まずバンドのメンバーを紹介しよう。
まずはギターのギルとイアン。どちらがリードギターでどちらがリズムギターという区別はない。ギルは僕と同じ21歳でハワイのホノルル生まれ。好きなミュージシャンはLedZeppelinのジミー・ペイジ。
イアンの方はロスの出身で僕とJoeと同じハイスクールに通っていた。でも1年留年しているので、年は22歳。好きなギタリストはリチャードヘル、一般的には有名じゃないけど、ニューヨークのパンクシーンではとても重要なアーティストだ。音もPunkyでFunkyなR&R。 好きなミュージシャンからも解るように二人は全くタイプの違うギタリストだ。どちらかというとイアンの方が器用で何でもこなすタイプ、比べてギルは自分のスタイルをはっきり持ってるギタリストだから、当初はイアンが遠慮していた。最近は大分ギルの方がイアンの音を解ってきたみたい。
次に、ベーシストは今年40歳のロスじゃ有名なセッションマンだったジョン。スタンドは殆どがギターの二人とJoe、僕で作曲するんだけど、アレンジはジョンが殆どといっていいくらい。色々な音楽をプレイしたことがあるから、彼が入ると音がちゃんと形になるんだ。それからキーボードのリックも今年35歳のベテランプレイヤー、彼はなんと僕と同じドアーズの大ファン。何しろ人間的に大人だから情緒不安定な僕やJoeにとってはかかせない存在だ。最後はホーンセクションの3人。スコット、ジム、アルの三人。彼らはUCLAの音楽部から引き抜いてきた。年は僕らと同じ21歳。
【Duran】
「全米デビューする際にまずレコードを作ることから始めたいと思う。ツアーやプロモーション活動はその後でいいかなって思う!みんなどう?」
【ジョン】
「おいおい、ツアーやプロモーションをやらずにどうやってレコードを売って行くつもりなんだい?それより、まず肝心のスタジオ代やレコードの制作費はどうするんだよ?ビクトリア・ジャパンとどこまで話を詰めてるの?」
【Duran】
「うん、とりあえずデビューアルバムを全米と日本で発売するって契約。プレスする枚数とかはお互いの協議の上っていうことで…、まだ何にも…。社長、これからお金借りるみたいよ。何でも僕らの為に1億円調達するって…!」
【ジョン】
「カントリーバンドの新人デビューじゃないんだから、1億じゃロスの若者にさえレコードは充分行き渡らないよ!ビクトリアジャパンっていうレーベルに賭けるのは解るけど、ちゃんとどこかの事務所に所属するなり、マネージメント契約を結んだ方がいいと思うよ!」
【リック】
「うん、そうだなあ…。僕らに手に負える問題ではなさそうだし…」
ミーティングは続く。
Joeが満を持したように口を開く…。
「出来るだけ自分達の力でレコードを売ったりツアーを組んだりという仕事もしていきたいと思うんだ。レコード会社やプロモーターの都合に左右されて音楽の質が落ちるのは俺には耐えられない!だからビクトリアジャパンと組みたいんだ!」
【ジョン】
「言ってることはわかるけど、最初はその仕組みを覚えなきゃ、いくらなんでも丸っきりの素人が全てできることじゃないよ!」
【イアン】
「いや、ニューヨークのパンクバンドはどこにも所属せずに1作ごとにレコード会社と契約してるバンドも多いよ!それでもちゃんとレコードは毎年出てるし…、ライブもやってる」
【ジョン】
「俺達はポッと出のパンクバンドかい?もっと色んなお客さんがスタンドの音楽を聴きに来てるだろう?そこらへんのパンクバンドとは訳がちがう…」
【Joe】
「いや、違わない…」
【リック】
「まあまあまあ、JoeのDoItYouselfの精神は素晴らしいと思うし、ジョンの音楽に対するプライドも素晴らしいと思うよ。要はスタンドのレコードを買ってくれる人達が全米でどれ位いるかっていう問題だろ?そこを予想してみようじゃないか?方法論は後から考えようよ!」
【Duran】
「うん、そうだね。一番の目的は僕らの音楽を聞いてくれる人にちゃんとレコードを届けるようにすることだよ、なあJoe、そうだよね?」
温厚で力関係に敏感な0型のDuranらしい言い方にJoeも渋々頷く。さて、リックの意見は極めて正論に思えたが…、冷静に考えるとデビュー前のバンドが全米で何枚のレコードが売れるかどうかを予想する事など無理だった…。
18僕とJoe⑥ 【Duran】
「Joe、気晴らしにドライブでも行こうか?」
DuranからJoeをドライブに誘うのはこの何年かで2回目だった。何故ならDuranもJoeも車を持ってないからだ。おまけに特定の彼女もいない。よって車でドライブに行く事には相当のモチベーションが必要なのだ。
父から借りた‘67年式の赤いコルベットでロスから南に向いながら、DuranもJoeも久々に無口だった。バンドがうまくいってない訳ではない。いや、うまくいき過ぎているといった方が正しいだろう。二人とも音楽についてはそれなりに自信はあった。しかしまだ21歳の若者なのだ。今や拡大するばかりの資本主義の一端ともなったロックビジネスの世界を自力で泳ぐにはあまりにも純粋すぎると思われた。そしてそれは当人たちが一番よくわかっていたのだ。そして、普段はジョーク好きのJoeが最近無口なのはそのせいだとDuranは思っていたが…。
Joeが何気なく言う。
「Duran、Lisaって憶えてるよな?」
「うん、もう随分過去のことだけどね…」
「いや、この間Lisaの友達のジョニに会った時、彼女の噂を聞いたんだ」
「ヘー、それで?」
「かなり年上の男と付き合ってるようだぜ!」
「…いいんじゃない…」
「良くないんだよ、それが…」
「どうして?」
「びっくりするなよ、彼の名はジャック・メイオール…」
「…まさか?????」
びっくりするなという方が無理だった。
ジャック・メイオール、それはDuranの父の名だった。
Duranは、ここ数日間のJoeの様子がいつもと違っていた本当の理由をやっと理解した…。
19 秀夫と庭の木④ 【Hideo】
うぐいす色のバスは鈍くさいカーブを切りながら山道を走っていく。もうすぐ生まれ故郷の村に着くはずだ。
≪生きるというのは執念だ!そして愛というものはなんと罪が深くて執念深いものだろうか?俺は自己愛によって生きのびたのだ!≫
相変わらず荒涼とした平原のビジョンに毎夜魘されながらそんなことを思っていた。母の無償の愛を求めながら、自分が少し回復するともう愛は余計なものに思われてしょうがないのだ。
実家に帰ったら、祖父が危篤だった。
忌の際に祖父が差出した手紙が俺を毎日苦しめていた幻覚から救った。
「世界に平和を!」
「祖父は何故この手紙を俺に差し出したのだろう?」忌の際に祖父は何かを探しているような虚ろな目で俺を見ていた。そして殆ど細胞が死んでしまったような唇で何か喋ろうとしたのだ…確かに…。そして、彼が喋ろうとしていた言葉は手紙のそれとはなんとなく違うような気がした。
≪それにしても世界平和を俺に託されても、一体どうしたらいいというんだ!祖父ちゃん?≫
いくばくか混乱しながらも、俺は実家での緩やかな毎日をやりすごしていた。北東の空の下には、つい最近まで俺を苦しめたもう一つの現実が俺なしでどんどん進行しているはずだ。そしてもっと東の空の下では戦車や戦闘機や防空壕がたくさんの人々を苦しめているはずだ…。何か…全てが幻のように思えた。
しかし、とりあえず荒涼とした平原に何かをしなければならないと思いはじめた。
俺はまず、幼い頃両親に連れられて行った畑や山道をひたすら歩く事にした。祖父が言おうとして言えなかった言葉のヒントがそこにあるような気がしたのだ。
それにしても山道に生い茂る草木は美しい。ちょうど季節もそろそろ春をむかえる準備をし始めた頃である。どんな一流の芸術家がその才能を振り絞っても、キャンバスやフィルムにその美しさを収める事は不可能のように思われた。
「自然も人間も罪深い」
他者を押しのけてもその生をまっとうしようとする残酷さを微塵にも感じさせないからだ。
そんな事ばかり考えている孤独な俺にとって庭にぽつんと植えられた一本のみかんの木が唯一の友達だった。「気づくのが遅かった。俺の友達はここにいたんだ…!」
「働こう」
そう思って空を見上げると夕焼けの中にアルバトロスの形をした雲が踊っていた。
「アルバトロス…」
祖父が言おうとしていた言葉が心に一瞬に突き刺さった。
そうか、祖父ちゃんもアルバトロスを見たんだ…!!!
「働こう」そう思ったが、何しろ音楽とビル掃除しかやったことが無かった。
人は苦手だったが、かと言って父の仕事を手伝うことも想像できなかった。みかん畑や農業が嫌いという以前に毛虫が死ぬほど苦手だったんだ。
「全く神様がいるとしたら文句の一つも言いたいもんだ!なぜ農家の長男である俺がこんなに毛虫が怖いのだ?」
村のはずれに最近妻を亡くして元気がなくなったひとりの大工がいた。俺が大工を選んだ理由は、苦手な毛虫に出来るだけ会わずに済みそうだと思ったことが一番の理由だった。しかし、その選択は正解だった。
来る日も来る日も俺はその大工の下で働いた。まだ26歳を迎えたばかりの若者だ!太陽の下で身体を動かす毎日は俺の精神も少しずつ変えていこうとしていた。
そしてある日、目を閉じた時に見える平原に家が建ったことに気がついた。それは平原のかなり遠くの場所だったが…。
「世界は変わり始めた!」
心の中でそう呟きながら、また祖父の差し出した手紙のことを考えた。
「世界に平和を!」まだまだ遠い道のりかも知れない。でも、確実にこの仕事の延長線上にその言葉は横たわっているような気がした。
「Joe!いつまで寝てんだよ、もうすぐ出番だぜ!」
「あー、そのうち起きる…」
「そのうちっていつ起きるんだよ?もう五分前だよ!」
「うん、一分前に起きる…」
ステージ裏のいつもの光景だ。せっかちなDuranとマイペースなJoe、意外といいコンビなのかも知れない。
彼らがバンドを組んでもう3年が経った。軍用ジープでエンジンをフル回転した時のような破滅的なスピード感はDuranのパンク好きから、30インチの特大フライパンでフレンチフライをリズミカルに投げ上げるかのような図太いファンキーな音はJoeのファンク好きが作りあげたものだった。
当初は二人だったメンバーも今は二人のギタリスト、ベース、キーボード、ホーンセクションを加え9人に膨れ上がっていた。もっと重要なことは、ロスのライブハウスで彼らのバンド「スタンド」を知らない音楽好きの若者は殆どいないことだった。
「Joe、今日はいつもと違うんだぜ!復活した※2スライ・ストーンと競演だろ!せめて3分前に起きて、バスドラの調子くらいみたらどうなんだい?」
流石にせっかちなO型のDuranはもう切れかかっている。
「あー、じゃあ2分前で手を打とう!」
天邪鬼なB型のJoeはどういう時もジョークを忘れない。これでバンドの音が悪い訳がないのだ。
スタンドのライブは地元のロスばかりか、サンフランシスコやシアトルからも若者が駆けつけてくる。レコードデビューしていないバンドがこれほどまでの集客力を誇った例は過去にないという。Duranにとって現在の悩みは、「どのレコード会社と契約するか?」という贅沢なものに変わっていた。
↓
嬌声の中でステージは始まった。
「みんな、今日は特別な日だ!」
「イエー!!!」
「僕らのアイドル、スライ・ストーンの復活の日だ!」
「イエー!!!」
「白も黒も黄色も全てが一緒になる日だ!」
「イエー!!!」
しかし、ロスの観客は楽なものだ。何を言ってもイエーなのだ。リンカーンやケネディはさぞかし裏切られた思いで死んでいったに違いない???
とにかく、ロスの若者の名誉市民とも言えるスライ・ストーンがドラッグから立ち直り、スタンドのメンバーと一緒に彼のヒット曲「スタンド」を熱唱していた。DuranやJoeにとっては、それだけで十分に特別な日なのは事実だった。
※2スライ・ストーン
1960年代後期にロス、シスコで大人気だったスライ・アンド・ファミリー・ストーンのボーカル兼リーダー。所謂ファンクという音楽を作り上げた元祖とまで言われている。スティーヴィー・ワンダーやプリンス、アース・ウィンド・アンド・ファイヤーも彼の音楽からの影響を否定しない。混血だった彼は、敢えてR&Rと黒人音楽の融合をテーマに音楽活動を続けるが、Drug中毒により、途中何回もリタイヤ。早すぎた天才という言葉が彼ほどに似合うミュージシャンはいない。
13僕とJoe③ 【Duran】
スタンドのステージはハリケーンのように進んで行った。どんなバンドにも勢いに任せた怖いもの知らずの時期があるが、今の彼らはその時期を迎えていたのだ。どの曲のテンションも多分ストーンズやSexPistlesに劣らないであろう。決してうまいとは言えないDuranの歌も独特の説得力を持って観客に迫ってくる。それもそのはず、Duranは観客の一人一人と1対1の勝負のつもりで歌っていたのだ。
《何故だ?》
普段は大人しいくせに、ステージに上るとその秘めたエモーションをぶつけてくるようなDuranの歌をモニターで聞きながら、DrumsのJoeは、Duranの様子がそれでもいつもと違う事を強く感じていた。
《いくら憧れのスライ・ストーンとステージに立ったからと言って、今日は段違いに歌の説得力が増している…?それに2時間で終わる予定のスタンドのライブはもうすでに10分も過ぎているのだ…?時間にうるさい奴が何を企んでるんだ? まさか…この間のセッションでジャムった曲をやろうってんじゃ…?嘘だろう おい、あんなダサイ曲止めろよ!!! うちはナッシュビルのカントリーバンドじゃないんだ!!!》
普段は嫌味なジョークを言い合っていても、いざとなると分かり合えるのはやはりJoeがDuranの唯一の親友だからかも知れない。
「皆な、ありがとう!今日の最後の曲は、昔、僕が日本のTV局の為に作った歌だ!昨日、その歌を歌った頃の日本の知り合いから電話があったんだ。日本のKOBEのある精神科に一人の男が入院したって話だった。彼は真冬の公園のベンチで一人この歌を繰り返し歌ってたそうだ!詳しい理由はわからない!彼と世界が再び友達になれますように!じゃあ、EternalSky…!!!」
《痛っ!やっぱりかよ~!これじゃあ、まるで60年代のフォークロックバンドだよ…、まあしょうがねえか…。》
Joeの心配をよそ目にDuranの歌い始めたEternalSkyは延々30分間続いた。
Eternal Sky
♪僕らのaiはまるで曇り空のようなもの
くもり空にほすせんたくのようなもの
決して乾くことがない
僕らのaiはまるでばからしいらくがきのようなもの
決して誰かのきにとめられることはない
僕らはたとえようのない痛みを
うたうことで晴らそうとした
「りそうの世界はいつ来るの?」
「りそうの人間はいつ現れるの?」
皮肉の達者なこれまた僕ら
やさしいうたを憶えた僕らは
仲間をみすてて 仲間はみなごろし
「君のために死ねるよ」なんて歌いながら
aiという名の銃を撃つのさ
永遠に続く空の下で…
ガンジス川で洗濯をする人々
壊れた戦車の片隅で遊ぶ子供達
朝5:00に起きてみかん畑に通う人々
スーツケースを片手の高層ビルの隙間に
生きる人々
数え切れない喜びや悲しみを背負った
世界中の人々
みんな みんな 愛しい友達
愛しい友達 君は素晴らしいよ
愛しい友達 君はひとりじゃないよ
愛しい友達 手を差し出して・・・♪
延々30分続いたEternalSkyに観客たちは興奮し、
♪My dear friend. You’re so wonderful.
♪My dear friend. You’re not alone.
♪My dear friend. Give me your hands.
まるで10年前の※3デビッド・ボウイのような歌詞を大合唱した。
最初はしぶしぶ付き合ったDrumsのJoeも、Duranの強烈な感情に巻き込まれたかのように、放心状態で8ビートを刻んでいた。 まるで24時間TVのエンディングのようである…。
さて、このステージがロスで話題にならないはずがなかった。何事につけ、ニューヨークと対抗したい土地柄の少年達の間では、「スタンドは※4エアロスミスよりもイケテル!」という噂が飛び交うようになった。スライ・ストーンという過去に埋もれそうだった天才を再びステージに上げて競演したことと、見知らぬ日本人の若者の為に歌った事も好印象につながったらしい。一世代前のジム・モリソンのような圧倒的な才能と狂気の人がスーパースターになり得る時代は過ぎたのだろう。この国の今時のスーパースターにはDuranのように性格の良さも要求されるらしい。
迷った末、大学に行かなかったDuranと、はなからそんな気がなかった今でいうフリーターのJoe、二人はレコード会社からのオファーに追いまくられるという21歳の少年としては夢のような毎日を授かった。
「Joe、どこがいいと思う?Doorsの所属していたエレクトラも良いと思うけど、パンクやニューウェイブに理解のあるバージンレコードもいいかなって?ちょっと思ったりしてる?」
「バージンはとがりすぎてるだろう?俺はアトランティックなんかオーソドックスで良いと思うよ!歴代のソウルミュージシャンに肩を並べようぜ!※5オーティス・レディングのワッペンだって貰えるかも?うひゃー…。」
大抵、二人が本音で議論するとかみ合う事はない。それを一番解っているのはその二人なのだが…。
※3デビッド・ボウイ
70年代の彼の作品は超名作ぞろい。「売れ出してから迷走した」という一般論にリュウも同感。ちなみにリュウのフェイバリットアルバムは「Low」。
※4エアロスミス
ジョーペリーが再加入して、今は若いファンも多いみたいだね。最近はボーカルのスティーブン・タイラーのカラーが強いみたい。バラード好きだしね、彼は。リュウ的にはやはり初期のゴリゴリのR&Rの方がいいなあ…。
※5オーティス・レディング
リュウの師匠、忌野清志郎先輩がこよなく愛するソウル・シンガー、若い子ら知らないと思うけどいいよう!
14 秀夫と庭の木② 【HIDEO】
おそるおそる目を開けた俺が見たものは、散らかった部屋に散乱する弁当の食べ残しだった。この一週間というもの殆ど飯を食ってなかった。コンビニで弁当を買ってたべようとするのだが、吐きそうになって殆ど残してしまっていたのだ。
≪俺が見たアルバトロスはなんだったんだろう?≫
そんなことを少し考えたが、すぐに異常な体のだるさに気を取られた。何しろここ一週間殆ど寝てない。このまま眠れないと発狂してしまうだろう?まだそう考える余裕が残っていた。
≪京都に帰ろう!≫
ワコとデートに行ったままアパートに帰ってふとんにふさぎこんだままだった。かなり服がヨレヨレだったが秀夫にそれを気にする余裕はなかった。
京都駅に午後5時前に着いた。改札を出ると
「秀夫だろ?ひっさしぶり!」と声がした。
昔のバイト仲間の…誰だっけ?誰でもいいや。
「おう!」とだけ言ってすぐタクシーにのる。「えっと、岡本んとこ」。
「お客さん、からかわなんといて!」
けだるい京都弁だ。 懐かしい…。 涙が出た。
「どこまで?」
少しいらいらした運転手がもう一回聞く。
「えっと、確か峨野野の方、友達住んでるんで!」
「じゃあ嵯峨野に行ってええんやね!」
念を押すように運転手がいう。
「はい…」
岡本に会えば全て喋れそうに思った。
「よう、突然どうしたんや?」
「いや、ちょっと会いたくて…」
「お前がそんなこと言うの珍しいなあ?まあええわ、とりあえず飯食いに行こうや」
「う…ん」
岡本と居酒屋に行ったが、やっぱり飯は食えなかった。少しだけ酒を飲んだ。まずい、目を閉じると見えていただだっ広い平原が岡本の顔と二重写しに見えた。やはり駄目かもしれない。
「ごめん、帰るわ!」
居酒屋を飛び出す俺を岡本は不思議そうに見る。全てを話すにはいくら親友の岡本とはいえ不安すぎる。
≪家へ帰ろう…≫そう思ってバスに乗るとまた声をかける奴がいた。
「秀夫…?」
「あっ、ち…な…つ…ちゃん」
京都に来たばっかりの頃、知り合った嵯峨美術短期大学の女の子だった。たった2ヶ月で別れたが・・・。殆ど話もしないまま、僕らは京都駅まで隣の席に不自然に座ったままだった。
「じゃあ、また」
≪ありえないだろう!また、なんて≫
そう思ったのもつかの間、バイトでお世話になった中田社長が目の前で微笑んでいた…。
俺には少しずつわかって来た、俺が昔お世話になった人たちに誰かが会わせている。というより挨拶して回らせている。そしてこれは偶然なんかじゃないんだ。この道は死への道なんだ、挨拶回りが終わったら俺は死ぬんだ…強烈にそう思った…。だったら家族に会ったら本当におしまいかもしれない・・・。
↓
俺は苦しんでいた。 もう8日間ろくに寝ていない。所謂不眠症だ。一般論で言うと俺のたびたび見るだだっ広い平原は幻覚だろう。つまり俺は病気かもしれない。というより病気なんだろう。精神科に行った方がいいと思う。が、そんな気力もない。というより他人を信用できないんだ。今までの状況を説明して医師が理解してくれるとはどうしても思えない。病気のレッテルを貼られて親に連絡されて…。田舎のオヤジやオフクロはどう思うだろう?びっくりさせたり心配させたりは絶対したくない。彼らには何の責任もないんだもの。やさしい人の悲しむ顔なんかたとえ死んでもみたくない。
「人は皆一人だ!」とTVドラマや大人は言う。いや、大人と言えばもう俺も今年の12月で26歳だ。だから中年のおっさん達は言う、と言い換えておこう。でも本当にこの世に一人で親友にも親にも自分の今いる世界を打ち明けられないってことがどんなに孤独か解ってないとしか俺には思えない。このまま待っていると俺は衰弱して確実に死んでしまうだろう。でも、俺は死にたくない。全てに絶望して自殺する奴らの気がしれない。俺はもしそれが条件なら誰かを殺してでも生き延びたいと本当にそう思う。
俺は出口のない迷路に迷い込んだままどこにも帰れずにいた。心の中は犯罪者と多分そんなに変わらなかった。医学的な用語を用いるとしたら、外部自我が壊れ内部自我が剥き出しになっている状態かもしれなかった。何かちょっとしたことがあると誰かを傷つけかねなかったのだ。
京都駅からフラフラと街を歩き、いつのまにか四条河原町まで来ていた。一番自分らしい季節を過ごした街だ。いっそこのまま死んでしまうのなら最後に見ておこう。いや本当は死にたくなんかないんだ。矛盾した思いが振り子のように腹の底を駆け巡る。その度に脳裏に2匹のアルバトロスのイメージがよぎる。そして又平原…。目を閉じればまた同じ平原だ…。
本能は母に向っていた。俺はマザコンだろうか?なんて考える余裕はその時の俺にはなかった。「俺の戻る道は母への道だ!」「しかし、心配は掛けたくない!」両方の強烈な思いに引き裂かれながら、俺が無意識で求めていたものは無償の愛だった。
阪急京都駅から電車に乗り込んだ。梅田で阪神電車に乗り換え、神戸の港町、四国行きのフェリー乗り場のある青木駅に向った。電車に揺られていると、ますますアルバトロスのいた平原のイメージが強くなってきた。目を閉じればまた漆黒のアルバトロスの羽音がしそうで眠りたいのに眠れない。
だんだん精神の残容量がなくなるのがわかった。
「屍川(しかばねがわ)」そんな名前の駅なんかなかった。本当は「夙川(しゅくがわ)」だったんだ。しかしその駅の名前が電車の窓から見えた時、俺はフラフラと降りてしまった。死は確実に俺にとりついていた。
駅の近くの公園で俺は待っていた。一体何を待っていたのかは今となっては思い出せない。雪がちらついてきて段々ひどくなり、俺はなんだか幸せな気持ちになっていった。
その時だ!
薄暗い雪空に極彩色のアルバトロスが羽ばたくのを確かに見たんだ。
俺はまたあの歌を口ずさんでいた。
♪Eternal Sky Remains The Same…
15 僕とJoe④ 【Duran】
こんばんは。Duranです。Joeと作った最初のバンド、「スタンド」がロスの若者の間で大人気だってこと、スライ・ストーンを迎えてのライブが大成功だってことは皆に知って貰えたと思う。どのレコード会社と契約するか?ってメンバーで話し合ったりもしたけど、結局皆な「最後はDuranとJoeが選べよ!」って理解を示してくれた。「要はDuranやJoeと一緒にバンドをやれるなら、レコード会社は君達が決めたほうがいい!」って言ってくれたんだ。全くいい奴らだよ!その内メンバーを一人一人紹介するね。
ところでJoeと徹夜で話し合って決めたレーベルはどこかって話をしておこう。何と日本のビクトリア・ジャパンっていう新興レーベルさ。何故かって、僕とJoeは今、日本って国にとても興味があるからさ!僕の場合は、ハイスクールの頃、EternalSkyでクラスの人気者になる切っ掛けを作ってくれたってこともあるしね。JoeはJoeで日本の音楽に凄く興味があるみたい、っていってもロックじゃないみたいだけどね。なにか華奢な女の人が派手な化粧で歌ってる「りんご…なんとか」っていう歌のリズムの取り方が面白いとか言ってたよ、かなりベテランの歌手みたいだけどね。流石、音楽通のJoeだよ!聞くところが違うって感じかな?でも最終的に日本のレーベルと契約する事にしたのは、ビクトリア・ジャパンの社長がとても僕らの音楽を気にいってくれたこと、真摯な態度でスタンドのメンバーの話を一人一人丁寧に理解しようとしてくれたことだ。ロックは今や巨大なビジネスには違いないけどね。僕らは決して金の為だけに音楽をやりたいわけじゃないっていうか、人間として誠実でいたいってそう思うのさ。
ところで、KOBEの病院の精神科に入院した彼はどうなったんだろう?って実はずっと気にかかってるんだ。恐らくTVで僕の歌を聞いたんだと思うけど、何しろ放映されたのは十秒間だけだから…、EternalSkyのどこがそんなに気にいったのかな?って、出来れば本人に直接会って聞きたいくらいだよ!今は多分無理だろうけどね?
16 秀夫と庭の木③ 【Hideo】
気がつくとやさしい母の顔が目の前で笑っていた。「秀夫が家を出てもう5年たったなあ」って何事もなかったみたいだ。俺はどうしていたんだろう?俺にはこんなに俺を愛してくれる人がいたじゃないか?まだ目を閉じるとだだっ広い平原は見えていたが…。「ここ、どこ?」そう聞く俺に「どこでもええ、秀夫がこうして生きてるだけで、どこでもええ…」
うっすらと屍川、いや夙川の公園で雪空の中見た極彩色のアルバトロスを思い出した。「あんな、かあちゃん、アルバトロス!アルバトロスにお礼ゆわなあかん!」いつのまにか徳島弁を喋っていることに気がついた…。何年ぶりだろう?海野や京都のパンクロッカーや東京のビルやアルバトロスが、一瞬遠い昔のように思えた…。 少し悲しそうに微笑むかあちゃんの肩越しに白いカーテンが見えた。ここは病院だ!そう思ったら少し涙がでた。
≪かあちゃんを悲しませてしもた≫
「無理せんと寝とり」かあちゃんにそう言われて、それから看護婦さんが薬をくれて飲んだ。すこしずつ眠くなって目を閉じたらいつも見える平原もすこしずつうっすらとしてきた。本当に眠れそうな気がする。やっとかあちゃんに会えた…。
17 僕とJoe⑤ 【Duran】
日本のビクトリア・ジャパンとの商談が成立し僕らのバンド「スタンド」は全米デビューすることになった。普通、日本のレコード会社のバックアップで全米デビューするなんて考えられない。ビジネスとしてリスクが大きすぎるのだ。スタジオでの録音、レコードジャケットの製作、プロモーション、ロック雑誌への広報・根回し、そしてツアーなど、海外法人にはノウハウがないし、第一金もかかる。特に最近はU2のようにステージのセットに何億もかけるバンドが多い中、スタンドはどう戦っていくのか?僕らはバンド全員でミーティングすることにした。
ミーティングの光景を語る前に、まずバンドのメンバーを紹介しよう。
まずはギターのギルとイアン。どちらがリードギターでどちらがリズムギターという区別はない。ギルは僕と同じ21歳でハワイのホノルル生まれ。好きなミュージシャンはLedZeppelinのジミー・ペイジ。
イアンの方はロスの出身で僕とJoeと同じハイスクールに通っていた。でも1年留年しているので、年は22歳。好きなギタリストはリチャードヘル、一般的には有名じゃないけど、ニューヨークのパンクシーンではとても重要なアーティストだ。音もPunkyでFunkyなR&R。 好きなミュージシャンからも解るように二人は全くタイプの違うギタリストだ。どちらかというとイアンの方が器用で何でもこなすタイプ、比べてギルは自分のスタイルをはっきり持ってるギタリストだから、当初はイアンが遠慮していた。最近は大分ギルの方がイアンの音を解ってきたみたい。
次に、ベーシストは今年40歳のロスじゃ有名なセッションマンだったジョン。スタンドは殆どがギターの二人とJoe、僕で作曲するんだけど、アレンジはジョンが殆どといっていいくらい。色々な音楽をプレイしたことがあるから、彼が入ると音がちゃんと形になるんだ。それからキーボードのリックも今年35歳のベテランプレイヤー、彼はなんと僕と同じドアーズの大ファン。何しろ人間的に大人だから情緒不安定な僕やJoeにとってはかかせない存在だ。最後はホーンセクションの3人。スコット、ジム、アルの三人。彼らはUCLAの音楽部から引き抜いてきた。年は僕らと同じ21歳。
【Duran】
「全米デビューする際にまずレコードを作ることから始めたいと思う。ツアーやプロモーション活動はその後でいいかなって思う!みんなどう?」
【ジョン】
「おいおい、ツアーやプロモーションをやらずにどうやってレコードを売って行くつもりなんだい?それより、まず肝心のスタジオ代やレコードの制作費はどうするんだよ?ビクトリア・ジャパンとどこまで話を詰めてるの?」
【Duran】
「うん、とりあえずデビューアルバムを全米と日本で発売するって契約。プレスする枚数とかはお互いの協議の上っていうことで…、まだ何にも…。社長、これからお金借りるみたいよ。何でも僕らの為に1億円調達するって…!」
【ジョン】
「カントリーバンドの新人デビューじゃないんだから、1億じゃロスの若者にさえレコードは充分行き渡らないよ!ビクトリアジャパンっていうレーベルに賭けるのは解るけど、ちゃんとどこかの事務所に所属するなり、マネージメント契約を結んだ方がいいと思うよ!」
【リック】
「うん、そうだなあ…。僕らに手に負える問題ではなさそうだし…」
ミーティングは続く。
Joeが満を持したように口を開く…。
「出来るだけ自分達の力でレコードを売ったりツアーを組んだりという仕事もしていきたいと思うんだ。レコード会社やプロモーターの都合に左右されて音楽の質が落ちるのは俺には耐えられない!だからビクトリアジャパンと組みたいんだ!」
【ジョン】
「言ってることはわかるけど、最初はその仕組みを覚えなきゃ、いくらなんでも丸っきりの素人が全てできることじゃないよ!」
【イアン】
「いや、ニューヨークのパンクバンドはどこにも所属せずに1作ごとにレコード会社と契約してるバンドも多いよ!それでもちゃんとレコードは毎年出てるし…、ライブもやってる」
【ジョン】
「俺達はポッと出のパンクバンドかい?もっと色んなお客さんがスタンドの音楽を聴きに来てるだろう?そこらへんのパンクバンドとは訳がちがう…」
【Joe】
「いや、違わない…」
【リック】
「まあまあまあ、JoeのDoItYouselfの精神は素晴らしいと思うし、ジョンの音楽に対するプライドも素晴らしいと思うよ。要はスタンドのレコードを買ってくれる人達が全米でどれ位いるかっていう問題だろ?そこを予想してみようじゃないか?方法論は後から考えようよ!」
【Duran】
「うん、そうだね。一番の目的は僕らの音楽を聞いてくれる人にちゃんとレコードを届けるようにすることだよ、なあJoe、そうだよね?」
温厚で力関係に敏感な0型のDuranらしい言い方にJoeも渋々頷く。さて、リックの意見は極めて正論に思えたが…、冷静に考えるとデビュー前のバンドが全米で何枚のレコードが売れるかどうかを予想する事など無理だった…。
18僕とJoe⑥ 【Duran】
「Joe、気晴らしにドライブでも行こうか?」
DuranからJoeをドライブに誘うのはこの何年かで2回目だった。何故ならDuranもJoeも車を持ってないからだ。おまけに特定の彼女もいない。よって車でドライブに行く事には相当のモチベーションが必要なのだ。
父から借りた‘67年式の赤いコルベットでロスから南に向いながら、DuranもJoeも久々に無口だった。バンドがうまくいってない訳ではない。いや、うまくいき過ぎているといった方が正しいだろう。二人とも音楽についてはそれなりに自信はあった。しかしまだ21歳の若者なのだ。今や拡大するばかりの資本主義の一端ともなったロックビジネスの世界を自力で泳ぐにはあまりにも純粋すぎると思われた。そしてそれは当人たちが一番よくわかっていたのだ。そして、普段はジョーク好きのJoeが最近無口なのはそのせいだとDuranは思っていたが…。
Joeが何気なく言う。
「Duran、Lisaって憶えてるよな?」
「うん、もう随分過去のことだけどね…」
「いや、この間Lisaの友達のジョニに会った時、彼女の噂を聞いたんだ」
「ヘー、それで?」
「かなり年上の男と付き合ってるようだぜ!」
「…いいんじゃない…」
「良くないんだよ、それが…」
「どうして?」
「びっくりするなよ、彼の名はジャック・メイオール…」
「…まさか?????」
びっくりするなという方が無理だった。
ジャック・メイオール、それはDuranの父の名だった。
Duranは、ここ数日間のJoeの様子がいつもと違っていた本当の理由をやっと理解した…。
19 秀夫と庭の木④ 【Hideo】
うぐいす色のバスは鈍くさいカーブを切りながら山道を走っていく。もうすぐ生まれ故郷の村に着くはずだ。
≪生きるというのは執念だ!そして愛というものはなんと罪が深くて執念深いものだろうか?俺は自己愛によって生きのびたのだ!≫
相変わらず荒涼とした平原のビジョンに毎夜魘されながらそんなことを思っていた。母の無償の愛を求めながら、自分が少し回復するともう愛は余計なものに思われてしょうがないのだ。
実家に帰ったら、祖父が危篤だった。
忌の際に祖父が差出した手紙が俺を毎日苦しめていた幻覚から救った。
「世界に平和を!」
「祖父は何故この手紙を俺に差し出したのだろう?」忌の際に祖父は何かを探しているような虚ろな目で俺を見ていた。そして殆ど細胞が死んでしまったような唇で何か喋ろうとしたのだ…確かに…。そして、彼が喋ろうとしていた言葉は手紙のそれとはなんとなく違うような気がした。
≪それにしても世界平和を俺に託されても、一体どうしたらいいというんだ!祖父ちゃん?≫
いくばくか混乱しながらも、俺は実家での緩やかな毎日をやりすごしていた。北東の空の下には、つい最近まで俺を苦しめたもう一つの現実が俺なしでどんどん進行しているはずだ。そしてもっと東の空の下では戦車や戦闘機や防空壕がたくさんの人々を苦しめているはずだ…。何か…全てが幻のように思えた。
しかし、とりあえず荒涼とした平原に何かをしなければならないと思いはじめた。
俺はまず、幼い頃両親に連れられて行った畑や山道をひたすら歩く事にした。祖父が言おうとして言えなかった言葉のヒントがそこにあるような気がしたのだ。
それにしても山道に生い茂る草木は美しい。ちょうど季節もそろそろ春をむかえる準備をし始めた頃である。どんな一流の芸術家がその才能を振り絞っても、キャンバスやフィルムにその美しさを収める事は不可能のように思われた。
「自然も人間も罪深い」
他者を押しのけてもその生をまっとうしようとする残酷さを微塵にも感じさせないからだ。
そんな事ばかり考えている孤独な俺にとって庭にぽつんと植えられた一本のみかんの木が唯一の友達だった。「気づくのが遅かった。俺の友達はここにいたんだ…!」
「働こう」
そう思って空を見上げると夕焼けの中にアルバトロスの形をした雲が踊っていた。
「アルバトロス…」
祖父が言おうとしていた言葉が心に一瞬に突き刺さった。
そうか、祖父ちゃんもアルバトロスを見たんだ…!!!
「働こう」そう思ったが、何しろ音楽とビル掃除しかやったことが無かった。
人は苦手だったが、かと言って父の仕事を手伝うことも想像できなかった。みかん畑や農業が嫌いという以前に毛虫が死ぬほど苦手だったんだ。
「全く神様がいるとしたら文句の一つも言いたいもんだ!なぜ農家の長男である俺がこんなに毛虫が怖いのだ?」
村のはずれに最近妻を亡くして元気がなくなったひとりの大工がいた。俺が大工を選んだ理由は、苦手な毛虫に出来るだけ会わずに済みそうだと思ったことが一番の理由だった。しかし、その選択は正解だった。
来る日も来る日も俺はその大工の下で働いた。まだ26歳を迎えたばかりの若者だ!太陽の下で身体を動かす毎日は俺の精神も少しずつ変えていこうとしていた。
そしてある日、目を閉じた時に見える平原に家が建ったことに気がついた。それは平原のかなり遠くの場所だったが…。
「世界は変わり始めた!」
心の中でそう呟きながら、また祖父の差し出した手紙のことを考えた。
「世界に平和を!」まだまだ遠い道のりかも知れない。でも、確実にこの仕事の延長線上にその言葉は横たわっているような気がした。