高田龍の《夢の途中》 -98ページ目

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。




《私の秘密》も数えて其の七となりました。

俺、秘密が多いんだなぁ。

今日はどんな話を聞いて貰いましょうか。

行き着く先はNHKテレビ指定席『生活の河』です。

頑張りましょう。

そこへ行く前に、突然ですが皆さんは《松川事件》というのを知っていますか?

【解説】

松川事件とは、1948年8月17日に福島県の東北本線で起きた列車往来妨害事件、戦後最大の冤罪事件である。

日本国有鉄道【現JR】福島市松川町の線路が何者かによって外され、通過した列車が脱線・転覆し、乗員三名が死亡した。

事件発生から24日後の9月10日、国鉄線路工の少年が傷害罪で別件逮捕され

松川事件についての取調べを受けた。

少年は逮捕後9日目に松川事件の犯行を自供する。

捜査当局は大量人員整理に反対した東芝松川工場《北芝電機》労働組合と国鉄労働組合構成員による犯行とみて捜査を行った。

逮捕された少年の自供により共犯者が検挙された。

9月22日に国労員5名が

東芝労組員2名と共に検挙され、その後も検挙者は続き最終的に20名が芋づる式に逮捕され起訴された。

ところが、無実を示す重要な証拠を捜査機関が隠していた事が判明し、一審では死刑・無期懲役などの判決は五回の裁判を重ね最終的に最高裁の場で全員無罪となった。

しかし真犯人の特定は出来ていない。

ミステリアスなこの事件は

そのせいで映画化された事も多い。

以上が《松川事件》の説明です。

長くなりましたが、ここから今回の話が始まります。

《松川事件》冤罪被害者の

家族に焦点を当てた映画が有りました。

近代映画社という制作会社で私の記憶では《手をつなぐ子ら》というタイトルだったのですが、最近調べてみると、そういう作品が有りません。

ただ近代映画社の作品の中に《手をつなぐ》という映画があり、それが《松川事件》の事を取り上げているというのがわかりました。


それでも、それ以上の事は調べる事が出来ませんでした。

福島県の何処かで一週間程のロケに参加しました。

昔のことです、福島の田舎の町は東京とは全然違っていました。

今でも憶えているのは谷川に架かっている橋の上から

川の景色を眺めていた時に鷹か何か種類の判らない大きな鳥が蛇を捕まえて飛んで行くのを見たことです。あの鳥は何という種類の鳥だったのだろう。

そんなことより、私が何日も福島県のロケに参加したのはなんという《松川事件》の映画だったのだろう。

私は、そこら辺のガキ大将の役でした。

《松川事件》の容疑者の子供達を虐める役、嫌な奴です。

ところが、その子供が遂にキレて私に襲いかかって来るのです。

私はメチャクチャにやられて泣きながらその場を去って行くのです。

まぁ正直に言えばこんな惨めな役はやでした。

この映画の監督は、私には酷い人でした。

リアリティを追求するあまり、ウマ乗りになって私を殴りつける男の子を下から見上げるように撮る時には私の倒れている場所に革のカバンのような物を置き

私の顔に見立てそのカバンを殴る訳ですが、アングルが変わって殴る男の子の側から私の顔を見降ろすシーンでは私の顔に向かって何発も相手がパンチを振りおろします。

何度も。

何度も。

それは痛かったですよ。

そのシーンが終わった時私の顔はボコボコの痣だらけでした。

それでも子供ながらに良いシーンが撮れたことを理解して誇らしい気持ちなっていたことをハッキリ憶えています。

その映画が私の中では行方不明になっています。

このBlogを読んで下さっている方の中でこの映画の情報をお持ちの方、いらっしゃいましたらコメントくれると嬉しいです。

今日は、消化不良ですがこの辺りで失礼します。