高田龍の《夢の途中》 -96ページ目

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。



もう亡くなっただろうか。

私の小学四年からの担任だった先生は当時28歳だった。

私はそれまでの担任の先生よりも、その先生が好きでした。


また話が横道に逸れますが

NHKのテレビ指定席の話題まではまだまだかかるようです。

この先生、仏像的なと言いますか観音様のような顔立の先生でした。

私は四年生の頃、港区を離れ神楽坂に越した為、本来は新宿区の小学校に転校しなくてはいけなかったのですが、私はそれが嫌でしたので、どうやってそう出来たのかは記憶にありませんが、多分母が役所か学校側に交渉してくれたんだと思います、私は転校せずにそれまでの小学校に通い続けました。

通学は直ぐに慣れたので辛くは無かったです。

それより学校迄の道のりは私に多くの事を学ばせてくれました。

この歳になって余計にそう思います。

通学路を説明すると、私は家を出ると神楽坂の花柳界と言える辺りを歩きます。

両側を黒塗りの柄が続いていて料亭・待合が軒を連ねている処を縫うように走る細い道を歩いて神楽坂の通りに出ます。

そこから坂を下り外堀通りを跨いで上り坂を行き、上り詰めた所が飯田橋駅。

今は変わっているかも知れませんが当時は、中央線か総武線に乗り代々木で山手線に乗り換え、渋谷駅で降りる、そこからはバスか都電を使いバスなら三光坂下

都電なら四の橋か五の橋で降りて三光小学校へという道のりです。

もっとも二〜三年前に知りましたが港区立三光小学校は2015年3月【平成27年】に閉校になっているそうです。

明治42年創立の歴史ある学校でした。

私が通っていた時に、創立50年を超えていました。

少子高齢化が影響しているのかどうか知りませんが寂しい限りです。


脱線ついでにと言っては何ですが、三光小学校の事を調べていて創立記念日が判りました。

10月25日です、私はこの創立記念日に思い出が有るんです。

創立記念日は学校が休みです。

私が劇団も辞め何年か過ぎた頃の事、私は小学六年生になっていました。

盛場を徘徊することには慣れていた私は休みの日にも電車に乗っていろいろ出歩いていました。

その年の創立記念日の休みも朝から渋谷の街に出掛けました。

目的は映画鑑賞です、観たかった映画は小林正樹監督の『怪談』でした。

道玄坂を少し上った所には渋谷東宝が有ります。

よく母に連れられて来ていた映画館です。

私は足取りも軽くチケット売り場の前に立ってガラス越しに『子供1枚』と言いました。

私の頭の中にはなんの躊躇いも有りません、12歳の自分が子供のチケットを買い映画を観るそれだけの事でした。


ところが、そうはいかなかったのです。


ガラスの向こうのオバサンは怒りの表情で私を睨みつけます。

『???』

私は訳が判りません。

オバサンは目を爛々とさせて当時の私にしては凄〜く怖かったのです。

怪談の登場人物かと言いたくなる程の恐ろしさでした私は小学六年生🟰子供という私の理屈はガラスの向こうのオバサンには通用しなかったのです。

オバサンは勝ち誇ったような表情で『アンタ!嘘吐くんじゃ無いよ‼️』

あの時の私はまさしく《蛇に睨まれた蛙》です。

もちろん蛇はガラスの向こうのオバサン、私は蛙です

12歳のこのオバサンを言い負かすことなど出来ません私は恥ずかしさと憤りが混ざった感情から顔を真っ赤にしてこの忌々しいオバサンから学生のチケットを購入したのです。

オバサンは『あたしにゃ通用しないんだからね』とでも言ったような顔で学生のチケットをガラスに丸く開いた穴から乱暴にわたすのでした。

半世紀を過ぎた今でさえ、この日の事は鮮明に憶えています。

ませたガキの浅はかな悪知恵とでも思われたのでしょう。

最後に小林正樹監督の作品『怪談』は素晴らしい映画でした。


    今日はこの辺で。