高田龍の《夢の途中》 -73ページ目

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。





  序の六〜野毛の騒動

最初にお伝えしておくことがあります。
《序の五》を手直しして有りますので《序の五》をもう一度読んでいただけると嬉しいです。

 野毛の《鯨》騒動の一件が落着したと思い込んでいる祖父〜綱島一家三代目は
翌朝には清々しく目覚めて今日も子供達は、かなりの数が来るのだろうか等と思っている時でした。
朝八時を過ぎた頃、家の電話がけたたましく鳴って、いつものように、若い衆が電話をとります電話は野毛の展示会場からです。
電話の内容はこうです、総長の指示通り《鯨》にはこれでもかと言うほど香水を振り撒いたので《鯨》の腐敗した臭いは収まって昨日は子供達の見学も滞りなく進み、若い衆達も安心したのだが《鯨》の腐敗が進んで、香水の香りと腐った臭いが混じり、それはもう耐えられるものではない状況になっていて、展示会場を任されている組員の中には吐気が酷くて倒れる人間も出ているという報告だったのです。

さすがに祖父も困ってしまいました。
香水が駄目なら後は何かあるか、そう言ってみても思い当たるものはありません
ちゃぶ台の前に坐り、思案を巡らす祖父でしたが良い案も浮かびません。

祖母が淹れたお茶を啜りながらため息を吐く祖父に祖母が言いました。
『あんた、線香だったら嫌な臭いも包み込んでくれるんじゃないかねぇ』
祖母は小田原の鼈甲屋の娘で、小田原小町と評判でした、嫁ぐ先が決まっていたらしいのですが、祖父がなんと言いますか、強奪して自分の嫁さんにしてしまったそうです。
やはり《ヤクザ》なんですねぇ。
普通の人は縁談先が決まっている女性を攫って自分の物になんかしませんよ。
まぁさらう方も攫う方なら着いて行く方も着いて行く方だと思いますが、アッ話が横に外れてしまいました、先に進めましょう。

祖父は、祖母の顔を見ると
『そんなに上手くはいかないんじゃねぇかな』
すっかり自信を無くしてしまったようです。
かと言って他にいい知恵が有るわけでもなく、結局線香を集めさせました。
横浜の叔父に言わせれば、
《横浜中の線香が仏具屋から消えた》となるのでしょうが、実際にどれだけの線香が集められたのかは、今となってはわかりません。

野毛神社の《鯨》の周囲には幾つもの線香の山が出来ていて、それぞれに二、三人、若い衆が張り付いていたのです。
若い衆達の背中には、皆んな自慢の《我慢》が入っています。
《我慢》ってなんのことでしょう。
現代では、タトゥー、刺青いろいろ呼び方はあるようですが、この頃もいろいろな呼び方はあったようです
今は機械彫と言って、だいぶ早く仕上げることが出来るようになっていますが、この頃はそんな便利な物は有りません。
人間が手で彫っていくのですから当然時間は掛かります。
痛みにも耐えなくてはなりませんし、お金もかかります、そんなことから
《我慢》という言葉が彫物の俗語になったようです。野毛神社の線香の山に、火吹き竹や団扇を使ってパタパタ、ふ〜ふ〜やってる若い衆達は片袖になったり両肩を出したり、その為に龍だの虎だの仁王様やおかめひょっとこまでと賑やかな事です。 
しかし、線香の香りの効果よりも、《鯨》の周りに出来た線香の焚き火から立ち昇る煙のために《鯨》の姿が霧の中に霞んで見えなくなってしまいました。

それだけではありません。
立ちこめる煙の中で呼吸が出来なくなってしまい、大人も子供も倒れる人が出て来ました。
《鯨》が来てからの野毛山は大変な事態が相次ぎます
子供達の見学も、一段落し野毛神社にやっと静けさが戻って来ました。 
これで、野毛の騒動は終わりました。