高田龍の《夢の途中》 -70ページ目

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。




     弐〜❶
  時代の向こう側へ

少しでも祖父のことを知りたいと思う気持ちは小学生の時に横浜の叔父に初めて祖父がどういった人間だったのかを教えられてから、私自身も気がつかないうちに、水垢のように私の中にこびりついていた。

もちろん、祖父のことを寝ても覚めてもというふうに考え続けていた訳では無いが、日常の生活の中で少し立ち止まることがあったりすると頭の中に祖父のことがよぎるのだ。

一度も会ったことの無い祖父。
私が生まれる、十年以上前に鬼籍に入っている祖父。
私が生まれたのはそれから十二、三年が過ぎた頃だった。
祖父は富士山の姿がはっきりと見える街に暮らしていました。
祖父の父母は九州の佐賀県
、そのころは佐賀鍋島藩と呼ばれていました。
そんな時代にこの貧しい家族は佐賀から富士の麓にやって来たのです。
その理由は家長である私からすれば曽祖父にあたる人の決断でした。
《世の中は変わった、もう武士の時代では無い、これからの新しい時代は商人の時代だ、商人が時代を動かす、そして新しい時代は大きく変わる、その原動力は
商人達だ、私達もこの大きな流れに乗り遅れてはいけない、そのためにはここに居ては駄目だ、だから此処を離れてもっと大きな街に行かなくてはならない》

このひとことで、祖父達は
横浜を目指したのです。
私が不思議に思うのは何故東京に行かないで横浜だったのかということでした。
家族の中の誰かに強い繋がりの人が横浜にいたのかもしれません、今となってはその辺りの事を知る術は私には無いのです。
とにかく未だ六歳だった私の祖父、福吉は【これが私の祖父の実名です、綱島一家の人間に成ってから福松となりました】こういう理由で横浜に向かいました。
祖父の父親とその家族は皆んな懸命に働きました、必ず商売を成功させようという思いだったのでしょう。
瞬く間に何年かが過ぎましたが、商売の方は良い結果を出すことは出来なかったようです。

福吉が十二歳の時に瓦職人の修業をする為に奉公に出ます。
きっと私の曽祖父の思い通りにはいかなかったのでしょう、だから福吉少年は奉公に出たのだと思います。

瓦職人は屋根屋と呼ばれる職業でその名の通り屋根の上が仕事場です。
屋根に昇ったり降りたり、瓦を上に運んだり、まだ十二歳の福吉少年には重労働だった事でしょう。
私の祖父は大人に成ってからもかなり小柄な人だったそうですからこの頃も小柄な少年だったはずです。
屋根の上の仕事は辛かったでしょう、それでも泣き言は何一つ言わず頑張ったようです。
その頃の奉公は月々給料が支払われるような事は有りませんでした、盆と暮れの年二回、奉公先から幾らかの賃金が渡され盆の時には盆休み、暮の時には正月休みがもらえました。
貰った賃金をあっという間に博打でスッカラカンにしてしまう不心得者もいましたが、福吉は盆暮れに家に帰る時に少しだけ自分の小遣いを取り、あとは全部母親に渡していました。
そんな福吉にもひとつだけこだわっている事がありました、その当時の履き物といえば、ほとんどが下駄でしたが、福吉はその下駄がなるべく新しい物を好んでいたようです。
そんな訳で彼は、盆と暮れに奉公先からお金を貰うと必ず新しい下駄を買っていたのです。
それを心良く思わない先輩職人も少なからずいたようです。
ある年の盆のこと、福吉がいつも通り新しい下駄を購入して履いていると、先輩達に声をかけられます。
『おいフク!また新しい下駄買ったのかよ!ガキの癖に生意気な野郎だ!』
いつもの先輩達の嫌がらせです、福吉はやり過ごそうと先輩達が屯している横を通り過ぎようとします。
いつもはそれで済んでいたのですが、この日はそうはいかなかったのです。
『フク!聞こえねぇ訳じゃねぇだろう!俺達に挨拶はねぇのか!』
福吉は黙って下を向き立ち止まります。
先輩のひとりが、ふと思いついたように声をかけます
『いつもこれ見よがしに俺達の前で新しい下駄を見せびらかしてくれるじゃねぇか、此処を通り抜けたいなら通行料として、その新しい下駄を置いていきやがれ
わかったか!』
先輩達は、口々に同じことを囃し立てます。
福吉は、ただ黙って俯いています。
腹の中は煮え滾っています
だからといって、何歳も年長で身体も大きな先輩達に自分独りではどうしようも出来ません、だからといって大切な賃金を節約してやっと買った大切な下駄を、なんでこんな奴らに渡さなくてはならないのか、福吉はその悔しさに耐えきれず気がつくと福吉の眼からは涙が溢れていました。
それに気づいた先輩のひとりが『この野郎泣いてやがる俺達がよっぽど怖えんだろう、情けねぇ野郎だぜ』
福吉はけして先輩達が怖くて泣いていたのでは有りません、抗うことの出来ない自分に怒り、口惜しさに涙していたのです。
福吉の心など、判りもしない先輩達は『フク!泣くなよ、勘弁してやるから、下駄を置いて早く帰れ!母ちゃんが待ってるぞ!』

福吉は下駄を脱ぎました。

そして先輩達に近づきます
先輩達は口元に下卑た笑いを浮かべ、勝ち誇ったような顔をしています。

しかし、福吉は敗けませんでした、縁側に上がる石の三和土に、真新しい下駄を叩きつけ真っ二つに割ってしまったのです。
自分は先輩達に勝てる力量も無い、だからと言ってこんな奴らに屈することは絶対に嫌だ、不当な要求をする奴らの思い通りにはならない。
福吉の正義の怒りだったのでしょう、彼らを睨みつける福吉の阿修羅のような形相に先輩達は何も言えませんでした。
髙田福吉、十三歳の春を迎えようとしていました。

          了