高田龍の《夢の途中》 -69ページ目

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。







    弍〜❷
  新しい時代の中で



盆の休みも終わり、いつもの日常が戻った。
休みの始まった日に、福吉と先輩達との間に起きた出来事は親方の耳に入ることも無く話題にする者もいなかった。

ただその日から福吉を軽くあしらう奉公人はいなくなった。
まだ十三歳にもなっていない、身体も小さい福吉のことが福吉の先輩達には余程堪えたらしく、誰も彼に近づかなくなっていた。
福吉を取り巻く仕事の環境は変わったのである、福吉は心置きなく、屋根屋の仕事に没頭する事が出来た。
福吉は、仕事の段取りにしろ瓦の取り付けにしろ屋根屋としての技量を着実に着けていた。
彼を知る誰もが、将来は屋根屋として立派に独立すると思っていた。
過ぎて行く月日と共に福吉の未来は確実なものへと成っていく。

ところが、好事魔多しという言葉があるが、まったくその通りの事が福吉の身に起きたのである。

横浜に天然痘が流行し、多くの感染者を出した。天然痘の流行は激しく世の中を揺るがせた。
その多くの感染者の中に福吉がいた。
額に触れられない程の高熱が福吉を襲い、何日も意識不明が続いた。
病院の医師達も、この少年はもう無理だろうと考えて
家族に連絡する手筈を摂っていた。
ところが、福吉は無類の生命力の強さを見せ、死の淵から舞い戻ったのである。
屋根屋の親方も、駆けつけた病室の片隅でそっと涙を拭っていた。
福吉は無事に運び込まれた病院を退院することが出来たのだった。

無事に退院はしたものの福吉の身体に天然痘は爪痕を残していた。
退院してしばらく経った福吉の左眼に、痛みが残ったのである。
あまりに永く痛みが消えないため、福吉は入院していた病院の医師に相談をする
が、医師は『天然痘が原因かどうかは、詳しく診ないと何とも言えない入院の手続きをするから・・・』
福吉はまた入院して詳しく診るとなるとそうとう料金が掛かると思い病院をあとにしたのだった。
その後も痛みは和らぐどころか増すばかりだった。

福吉が原因のよく解らない
痛みに悩まされ続けていたある日のこと、彼は決意を固める、それは彼にとって大きな決心とも言えた。

奉公人をはじめ家の人間が寝静まった頃、福吉は人気のない物置に台所に合った出刃包丁を手にして入り込
み、口に手拭いを押し込むと持ち込んだ出刃庖丁を自らの左眼に突き立てたのである。
あまりの激痛にその場にへたり込む福吉、暗闇の中で目の辺りから滴り落ちる冷たいものの、血の色を暗闇が隠してくれたのが幾分の慰めにはなったが、痛みが軽くなったわけではない。
呼吸を調えて、出刃包丁をヘラのように動かし眼球を摘出したのだ。
ボトッという音がして眼球は彼の身体の一部では無くなった。
痛みが治って来ると、それ迄の痛みが消えているのが判る、あの痛みから解放されたのだから、悔いはないと自分に言葉をかけた。
しかし眼球と一緒に大切なものを福吉は失うことになる。
朝が来て、物置でぐったりとしている血だらけの福吉を家人が見つけ、たちまち大騒ぎになる。
後で解ったことだが摘出した眼球の裏側には大きな腫瘍が出来ていた、それが福吉を苦しめていたのである
傷の癒えた福吉は、また現場に出るようになる、天然痘といい眼球摘出といい彼は親方に迷惑をかけた事に申し訳無さでいっぱいだった。
それを取り戻そうと懸命に働いたのだが、福吉の仕事ぶりに変化が起き始めていた、それは彼が現場で梯子の上り下りに苦労したり、足を踏み外したり、転ぶことが多くなったのである。
福吉が高い所の作業に苦労していることが周りの職人達の噂にのぼり、それを親方も耳にすることになり親方は福吉の様子を見に現場へ向かった。

現場に着いた親方が見たのは、それまでの福吉の仕事ぶりからは考えられない様子だった。
職人達の報告通り、福吉の仕事ぶりは、危なっかしいの一言だった。
親方は福吉に声を掛ける、
『フク!おまえ大丈夫か、屋根の上じゃあおっかなくて動けないのか』
福吉が梯子をモタモタしながら降りて来ると、親方は厳しい眼差しで福吉の前に立ち、話しはじめた。
『片目で屋根に上がるのは無理があると思うぞ、屋根屋の仕事はもうおまえには出来ないよ、フク可哀想なこと言うようだが、何か別の仕事をさがした方がいい
なにも屋根屋だけが仕事って訳でもねぇし、おまえが頑張れる仕事を俺が見つけてやるよ、このまんま屋根に上がってりゃあ必ず落ちる、おまえの葬式なんて俺は出したくねぇんだよ』

親方の目は真っ赤になっていた。
その目を見返す福吉の目に涙が溢れている。
それからしばらくのあいだ福吉は、高い場所に上がらず、他の職人達の手伝いをして暮らしていた。
その年が明けて、真冬の寒さの中、福吉は親方が時間が空くと一緒に横浜の街のあちこちで新しい勤め先を探していたのだった。
 
二月になり、福吉は十三歳に成った。
あと一年で、昔だったら福吉は元服の年齢を迎える。
今更、ではあるが左の眼球さえ異常が無ければ。
そう思う福吉だった。

         了。