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高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

    

  
             弍〜❾

    覚醒の時


 福吉は、綱島一家の若い衆に連れられ綱島の二代目に会う為に魚河岸から少し離れた『綱島』という町に向かった。

関東でも一、二を争う博徒の親分に面会するとなると流石に福吉も緊張していた
そんな福吉の心境が判ったのか、田代が言葉をかけてきた。
『あまり心配はいらないよ うちの親父は気さくな人 だからさ』
普段、あまり乗ることの無い人力車の横に田代の乗る人力車を横着けして、そんなことあれこれ話かけてくれたが福吉は中々、田代の話が耳に入って来ない。
そうしているうちに、福吉達は綱島一家の玄関前に到着した。

まだ大正末期の事、本部と言っても建物は日本家屋だ
玄関は間口が五軒と言ったところか、大きな家で普通なら初めての訪問なのでこの玄関先で仁義を切るのだろうが、福吉はヤクザでは無いのでそういう事はすることはなく、田代が奥へ向かって帰宅したことを告げ福吉は後に従って家の中に入って行った。
親分の居る居間に案内されると神棚を背にして、長火鉢を前に綱島一家二代目総長、土屋徳太郎が座っていた。
大柄で胸板厚く中々の貫禄だ。

ずっと後の事になるが土屋徳太郎が亡くなると福吉は彼の遺骨を髙田家の墓所に埋葬し、髙田家の墓石よりも何倍も立派な一枚岩の墓石を建てた、その理由は土屋徳太郎に身寄りが無く、天涯孤独だった為である。

土屋徳太郎は田代の報告を笑みを浮かべて聞きながら
時折、福吉の方へ視線を送って来る。
田代の報告がひと通り終わると、土屋徳太郎は福吉に
『髙田君、いろいろ世話を かけてすまなかったね、 ありがとう、ところで腹 は減ってないか』
土屋徳太郎の眼差しはまるで久しぶりに訪ねて来た孫を見るような眼だった。
何故、片眼になったのか、親は健在か、そして喧嘩ばかりしている理由はなんなのかなどと矢継ぎ早に福吉に尋ねてくる。
そして最後にこんなことを言った。
『喧嘩は人のためにするも         
 だ、我が身のためにする ものじゃない、しかし魚 河岸に交番を建てさせる とは大したものだ』
そう言って笑った。
つられて福吉も笑った。
土屋徳太郎が田代に何かを耳打ちする、すぐに田代が部屋を出てき、少しすると閉じられた襖の向こうが騒々しくなる、大勢の人間が廊下を歩き襖の向こうに集まっているのが福吉にも判
った。
閉じられた襖が払われると
部屋いっぱいに、綱島一家の人間が居住いを正してそこに居る。
二代目総長の土屋徳太郎は揃った若い衆を見渡してから、福吉に視線を向けると『此処に居るのは一家のほ んの一部だ、若い衆の数 は三百、その若い衆達は
 喧嘩や博打をする為だけ に此処に居るんじゃない
 カタギの方々が困り事に 巻き込まれた時、それを
 片付けるために俺たちは
 いる、カタギの方々と同 じお天道様を拝ませて頂 いている事をありがたく
 思いながらカタギの方々 の役に立って行くことに
 努力しなくちゃいけない んだよ』
福吉は、自分の身体に一本筋金が通った思いだった。