柳井輝義は自らが経営する店舗で、とんだ事件に巻き込まれ、誤って騒動の相手を殺してしまった。
警察が犯行現場である店に来て、あれこれと事情を聞かれ、警察署へ連行された
。
取調べ用の部屋に通されたが、取調べは行われず彼は取調室に置き去りにされたまま三十分程が過ぎていた
。
取調室のドアの外が騒がしくなったと感じた時、勢いよくドアが開いて私服の男が二人入って来た。
彼等はそれぞれ姓名を名乗り生活安全課の所属であることを伝えてきた。
ひとりの刑事が話し始めた。
『今回の事は私達の調べた結果も正当防衛が妥当だと判断しましたし、署長からもくれぐれもと言われています』
柳井はこんな事を予想してなどはいなかったが商売柄
警察には印象を良くしておいた方がと思い、警察の行事などには協力をして来た現金も多少なりとも使った
。
それが正当防衛を成立させたなどとは思はない、元々疑いようのない正当防衛なのだから。
あの日の事は早く忘れようと柳井輝義は思った。
彼の日常が戻ってきた。
その頃、彼の知らないところで何かが動き始めていた
。
馬淵幸四郎(まぶちこうしろう)は親から譲り受けた不動産会社をバブル絶頂期の頃揺るぎない法人に成長させることに成功して、今日まで株式会社馬淵創業を中心に建設会社、ホテル運営会社、観光開発業など
グループ合計で大小合わせて百二十八社という勢力を構築した。
馬淵幸四郎には数年前、若い時に結婚した聖子(しょうこ)という妻がいた。
彼は二十四歳の時に父親の馬淵幸一郎(まぶちこういちろう)と衝突し、家を出たことがあった、彼は馬淵の家とは絶縁状態が何年も続いて経済的にも苦難の時代を経験している。
この頃、聖子と出逢い二人は恋仲に、聖子は幸四郎を支え続けて、時には夜の世界で働いたこともあった。
幸四郎と聖子は、貧しくはあったが、幸福だった。
後に幸四郎自らが、この頃を振り返り、自分の人生で理屈抜きで幸せだと言える時間だったと語ったことがあるがそれが本音だった。
幸四郎が三十代になった時のことだ、働き者の聖子が『疲れた』という言葉をよく言うようになった。
始めのうちは気にもしなかった幸四郎も頻繁に聖子が日常の会話の中で『疲れた』を口にするため、ある日の朝に病院に連れて行った。
聖子は結局、幸四郎が連れて行った病院から戻ることは無かった。
あっというまに葬儀場の白百合の敷き詰められた中央で笑っている聖子の遺影を見ていた。
彼女は悪性の腫瘍が肝臓と肺の中に出来ていたが、進行が医師の予想より格段に早かった。
聖子の亡くなった二年前の冬、幸四郎は母をなくしている。
大切な人を相次いで亡くした悲しみに、幸四郎の心は壊れてしまった。
仕事も手につかず、社員達とも交流をせず、家の中にこもってしまった。
失意の幸四郎を、さらに傷つけたのは父、幸一郎が母の一周忌を待たずに、自宅に女性を入れた事だった。
父の幸一郎が内縁関係にした女は栗山千秋(くりやまちあき)という幸四郎よりも歳の若い女で、銀座でクラブ《paeonia》を経営していた。
ラテン語で《パエオニア》と名付けられたこの店の名を日本語にすると《牡丹》なのだが、その由来は誰も知らなかった。
二人は幸一郎が接待などで利用するいずれかの店で知り合い男女関係になり、
やがて店を持たせたということだが、二人の関係がいつ頃から始まったのか、幸四郎は知らない。
問題なのは、馬淵創業全体が、幸四郎の失意のために
再び、引退していた父親の幸一郎の進出を許してしまった事である。
その幸一郎の後ろには、
栗山千秋の影が見え隠れしている。