栗山千秋の何らかの入れ知恵があったのだろうか傍目にも年老いた様相の目立っていた幸一郎の現場復帰への思いは尋常では無かった。
まるで何かに取り憑かれたような、とでも言える雰囲気を皆が感じていた。
ただ、それが何故なのかというところは、誰も解らなかった。
今は脱け殻のような幸四郎には彼が手取り足取り育て上げた腹心の部下が三人、今も、株式会社馬淵創業のグループ内各社の中でそれぞれ重要なポジションで働いている。
彼等は互いに連絡を取り合い、馬淵幸四郎の一日も早い復帰を願っていた。
馬淵幸四郎も、三人からの連絡を受けているうちに少しずつ、彼の身体の内側に熱い思いがみなぎって来ているだった。
三人の腹心の部下は高野眞一(たかのしんいち)城所浩一(きどころこういち)そして輪奈尚幸(わななおゆき)の三人だ。
彼等は妻帯してはいなかったが、城所浩一にだけ将来を約束した女性の存在があった。
この女性は、秋津由理江(あきつゆりえ)という。
二人がどのようなきっかけで出会い、どのように関係を築いて来たのかは周囲の人間に知る者が居ないようだが、それは二人が敢えて交際の事実を隠していたなどという事ではなく、この二人が目立たぬ存在だったという事なのだろう。
それほど、目立つ事のない
二人だったが、秋津由理江に、少し変わったエピソードがあった。
彼女の祖父の代から秋津の家は今の処に暮らしているのだが、それ以前と言うと秋津由理江の先祖は今の場所にはいなかったようである。
由理江の祖父母が今の処にやって来る以前、彼等はこの街ではなく都内の文京区に暮らしていた。
そこを離れた理由は、太平洋戦争の勃発である。
日本の中心である東京は連日、米国の空襲を受け焼け野原となり、多くの東京都民が疎開先へと避難した。
秋津の家もそうだった。
そして敗戦となり、戦争は終わった。
ところが秋津の一家は、疎開先から東京へはすぐに戻らなかった、その理由は判っていない。
疎開先は信州の山奥だったが、秋津の祖父達が東京へ戻るのは、実に終戦から四年後の昭和二四年のことだった。
その後、この家族がどのようにして生きたかは詳しくはわからないが、別段大きな問題もなく安穏であったようである。
長い年月、平穏無事に過ごして来た秋津の一族にとり立てて驚くようなものはない。
しかし、時間を更に遡らせると秋津の先祖には些かよくない歴史があった。
続く
