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高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。


さぁ!いよいよ始まるぞ!

 どこからそうなって行ったのかは、はっきりしないが、谷津嘉章の構想を
纏めた私の文章がプロレス雑誌、スポーツ新聞等に配布され後日、記者会見が行われる事が告知された。

私の立場は《事務局長》である。

この時点で、私には実感が無かった。

《事務局長》って何やるんだろう。

谷津嘉章の後援者の人の尽力で、都内の蛎殻町に事務所も持たせてもらった。
周りは確実に充実して来た
しかし、私の心の中には、どうしても『⁇』という消すことの出来ないこれが膨らんでいった。

《社会人プロレス連盟》

これが、谷津嘉章の創り上げた団体の名称だった。

英語に訳したものを短縮して《S.P.W.F》なんとなくプロレス団体らしくなっては来た。

何月何日かは忘れてしまったが、都内の有名なホテルを会場にして、記者会見は盛大に開催された。