高田龍の《夢の途中》 -116ページ目

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。





  

  岬に待つ恐怖』

               《亀裂❶》


少年時代に三人の間に生まれた友情。

それを大切にしていた織田と水盛、しかし土井は違っていた。

土井は社会の、風に晒され

いち早く変貌していた。

この土井の変貌を、二人は中々理解出来なかったのだ

時は流れ、織田と水盛の考え方も変化の兆しが見えて来た。

というよりも、土井が特別な訳ではなく世間ずれする時間が二人より早かっただけと言ったほうが良いのだろう。

それでも彼等三人が旧交を温める事が出来るようになるには、何年間という時間が掛かったのである。


その間に何度か『岬』は海辺に住む人々に話題を提供してくれた。


そのどれもが、忌まわしいと言おうか不吉な出来事だった。


それは織田と水盛が社会人となって三年程が過ぎた頃の事だった。

二人は、必ず時間を作って『岬』へは行こうと約束はしてはいたが、その頃は殆ど海へ行く事は無くなっていた。


やはり二人が考えていたよりも社会は新人に甘くはなかった、とでも言うべきか織田も水盛も、それぞれの仕事に忙殺されていた。


その年の夏、小学校の五年生と六年生に写生の宿題が出された。

写生する対象は自由、校舎などの風景でも、級友の顔でも、なんでもよかった。


五〜六年生の児童の合計は併せて一三四名。

その内、二十六名の児童が『岬』周辺を写生する事になった。


引率する教師は二名。

午前九時、夏休みの始まった学校に一三四名の児童は登校し、朝礼で写生に対する考え方や規則、守るべき事のいくつかを教師から言われ、写生する場所へ移動を開始した。

『岬』を選んだ二十六名の児童は、二人の教師の先導で小学校から一キロほど離れた『岬』に向かった。


終了して学校へ戻る予定時刻は午後三時三十分。


教師二名と二十六名の児童達が賑やかに街中を抜けて海岸方向へ歩いて行くのを街の人達が何人も目撃している。


そして写生の終了時刻にな

っても二名の教師と二十六名の児童達は誰一人『岬』から帰って来ることは無かった。