本当に長い間投稿をサボってしまい申し訳ありませんでした。
皆さん、前回の投稿の中のNHKさんの短編動画ご覧になって下さいました。『生活の河』という作品の予告編みたいな、と言いますかダイジェスト版の様なものです。
当時、私は10歳で劇団の先生に言われるまま隅田川の撮影場所に通いました。
今から半世紀以上前のことなので、よく憶えていないのですが、学校は夏休みだったと思います。
ここまで書いて思い出しましたが、私は『あすなろ』という劇団に所属していました、その経営者の高木先生の家に撮影期間中、泊めていただいてロケに行ってました。
夏休みだったのでそれが可能だったのです。
両親は、私を劇団には入れたものの、世間でいうステージママにはなりませんでした。
子役のほとんどの人は親兄弟が付人のように撮影現場に同行します。
ところが私の場合は、いつも独りでした。
地方ロケの時も、それは変わりません。
鳥取県の大山(だいせん)の麓で一ヶ月ほどの撮影に参加した時などは東京から母親・おばあちゃんが同行する子役が当たり前のようにいました。
その長期ロケの時も私は独りでした。
心配した劇団が、私の為に
俳優さんを付人として送ってくれました。
それが私の子役人生でした
。
劇団を実際には退団していた小学校の五年生の夏休み劇団からの要請で、NHKの『テレビ指定席』という一話完結の話が来ました。
『テレビ指定席』は日曜日の夜八時からの時間枠で、この時間枠は後に今でも続く《大河ドラマ》へと発展します。
その『テレビ指定席』の作品は最初に言ったように、『生活の河』というタイトルの松山善三氏が脚本を書いた作品です。
当時はまだ、河川から港湾への流通経路を担っていた《ダルマ船》と呼ばれた貨物船、なぜ《ダルマ船》と呼ばれたかと言うとこの船には動力が無く、自力では
動く事が出来ません。
全体の九七%が空洞になっていて、石炭などを積載していました
。
残りの三%が、いえ三%も無いスペースに人が生活する居住空間があって何人かの家族が一緒に生活していたのですが、この頃は時代の変化・社会の発展もあり
《ダルマ船》は次第に流通の舞台から外れて行きました
。
《ダルマ船》には社会的にも問題がありました。
住民票の所在地が無いという理由もあってか家族の中に子供がいる場合、学校に上がらないという事が多々あったようです。
主人公の家族の一員の私の役どころもそういう子供でした。
今は聞きませんが、こういう家族のような人達のことを《水上生活者》と呼んでいました。
一家の中心の祖父の役を
《松村達雄》
水上生活者から陸の生活を求めて《ダルマ船》を離れた長男役を《南原宏治》
私の姉役の女優さんは残念な事に私が高校を卒業する頃に亡くなってしまいました。
南原宏治さんは、テレビの時代劇を中心に悪い侍や悪代官とか数多く出演されてました。
松村達雄さんは後に黒澤明監督の《まぁだだよ》の主演を演ったり、寅さんの何代目かの《おいちゃん》をやりました。
懐かしい思い出ですね。