当時の私は、その事すら気がついてはいなかった。
私の生活に、それまでとは違った小さな変化が起きた
。
その頃の私の生活はと言えば妻に見送られ家を出発して、三十分ほどクルマを走らせ会社に着くと、簡単な朝の打合せのあと、自分の担当する地域を周り浄化槽の点検をする。
こんな事の繰り返しだった。
会社の帰り道に、たまに寄り道をすることがあり、馴染みの焼き鳥屋に立ち寄って一時間ほど時間を過ごすことが愉しみだった。
では、何が小さな変化だったのだろう。
谷津嘉章が、あっという間に作り上げた外車販売の店が、当時の私の職場から直ぐの場所に在ったが、私は帰り道そこに顔を出す様になった。
何故、それが習慣化したのかは忘れてしまったが、とにかく私は、その外車販売の店に必ず顔を出した。
そして必ず谷津嘉章と夕食を共にした。
その仕事終わりの彼との時間が楽しかった。
この事が習慣化した頃だった。
谷津嘉章からユニークな、プロレスに関する話しが飛び出したのだ。
それは、これまでのどの団体にもない、ある意味で画期的なものだった。
私、個人では受け入れられないものではあったが、それは言うまい、私が考えだしてやろうとしている訳ではないのだから。
こうして夜になると、谷津嘉章から次々にユニークな新団体に関しての提案が語られた。
私は、そのひとつひとつを活字にして行った。
最初に言ったように、この
ユニークな団体の構想は私には受け入れ難いものだったが、私は大雑把なこの骨子を、自分の好き嫌いは棚上げにして括弧たるものにして行こうと、とにかく専念することにしたのだった
。