記憶の片隅に残る思い出 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

 古い想い出を手繰り寄せて見ると、私は単なるプロレスファンでは無く、昭和の終わり頃に創り上げられた、プロレスマスコミによる、言わば活字プロレスのファンだったのかも知れない。

後楽園ホールに行かなくても、日本武道館に行かなくても、週刊プロレスの頁を捲りさえすれば、目の前にプロレスの喧騒が拡がってくれるのだ。
三十代を迎えていた私は、それぞれの記者達が書き上げる文章に酔いしれた。

それで満足していたのだ。

会場へ足を運んで、生のプロレスを観たいという気持ちにはならなかった。

あの頃が懐かしく思い出される。

その活字プロレスファンの私の前に、現役のプロレスラーである谷津嘉章が突然現れたのだから、感動的な対面になる筈だったのかも知れないが、そうはならなかった。
彼は、私が持っていた先入観とはまったく違う雰囲気で現れたのである。

そして、この谷津嘉章との出会いが私とプロレスを結びつける事になるのである