立春のお詫び、ほんとに恥ずかしく | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

 早いもので今年も、既に立春を迎えました。

と言っても、寒波が列島を襲い、日本中が寒さに震えております。

新年早々、私は皆さんにお詫びをしなくてはなりません。

前回の投稿で祖父の事を書いている、小説『俠客のいた時代』をこれからも続けていくために、いろいろ調べたりする必要が出て来たのでしばらく休んで資料集めなどをやりたいと申し上げたと思いますが、その通りにいろいろ調べておりました。
祖父、髙田福松が関東大震災の後に、地元横浜復興のために尽力した事やその渦中で被災して住まいも失くして途方に暮れる親子を親戚がいる大阪へ行けるように助力したことや、戦時色の強まる中、『大日本国粋会』という組織を創り上げ国に貢献しようとしたりと
、さまざまな事が明らかになりました。
さらに、大事な事柄の欠落もわかりました。
祖父は、小田原の鼈甲屋の娘と結婚したのですが、この女性《さと》と言いました。
私の祖母ですが、小田原小町と呼ばれたほどの美人だったそうです、ですから当然のことに縁談がひくて数多(あまた)だったそうです
そのうちのひとつに嫁ぐ事が決まっていたと聞きます
祖母と祖父がこの時期に出逢っています。
どうやってとかはわかりませんでした。
判っているのは、横浜から馬に乗って小田原へ行き祖母を攫ったという事です。調べれば調べるほど、知らなかった事、事実を確認出来ない事が増えて来て、少し大袈裟に言えば収拾がつかないと言ったところであり、祖父の《俠客》としての人生を世間の人に知ってもらおうという、私の計画からは、ほど遠いものになってしまうことは間違いないことです。
こんな拙い私の文章でも、読み続けてくださった皆さんがいらっしゃいます。

その方達に大変に申し訳ないのですが、髙田福松の生涯を書いた『俠客のいた時代』を未完のまま閉幕することに致します。
blogでの発表はしないと思いますが、今後はさらに資料等の収集に努め、必ず私の祖父の一代記を完成させる決意です。
お腹立ちの方もいらっしゃるとは思いますが、お赦し戴きたく、伏してお願い致します。

        髙田龍