覚醒の時
綱島一家二代目総長の招きで、その本部という場所を訪ねた福吉だったが、彼はすぐに、二代目総長土屋徳太郎の人柄に魅せられてしまった。
総長の心尽くしの料理を並べた膳も嬉しかった。
思い返せば、片方の眼が駄目になり、奉公先で技術を習得することも出来無くなってしまった時、世の中のすべてのことに嫌気がさして、その苛立ちを周囲の人にぶつけて来たが、なんと愚かな生活をしていたんだろう。
自分勝手な生き方の犠牲になった人は数え切れないだろう。
髙田福吉、齢十八歳、彼は初めて、自分の人生を振り返って、変わらなくてはいけないと思った。
『俺は、この世界で自分を 磨こう、そして俠客と呼 ばれるような人間になろ う』
福吉は胸の中で、そう決意した。
まだ十八歳の福吉だったが
生まれた時からの貧困が呼び起こした逆境で、実際の年齢よりも数段、逞しく成長していた。
その日のうちに土屋徳太郎に自分の胸の内を伝えた福吉は、その次の朝に綱島一家二代目、土屋徳太郎の盃を交わし、晴れて若い衆と成った。
三百人とも言われた子分衆の末席についたのである。
その日から福吉の修行は始まったのだが、土屋徳太郎から名前を変えることを薦められる。
『福、おまえのこれからが
もっと大きく広く栄える ように名前の一字を換え てみろ』
福吉はこの総長からのひとことで『吉』を『松』へと換えることになる。
土屋徳太郎が、福吉が大きく成長するために姓名判断によると『福松』にした方が何倍も運勢が良くなると知り、彼はそれを受け入れて髙田福松と成ったが、
その後の彼の人生を見てみると改名は良かったことだったかもしれない。
ヤクザ修行の最初は、綱島一家が開催する賭場の外回りの見張りだった。
この時代、賭場というのは
夜遅く始まり朝方に終わるというのが普通だった。
今ほど、厳しくは無かったものの、当たり前に博打をやっても構わないという訳ではない。
警察の手入れが有る時に備えて見張り役は重要な役目でもある。
それに、綱島一家のような大看板でも、稀に賭場荒らしなどがやって来たりもす
る。
それも見張らなくてはならない、結構辛い仕事だ。
明治から昭和の初めには街中に木製のゴミ箱があちこちにあった。
その隣には必ずと言ってもいいくらい電柱があった。
そのゴミ箱と電柱の間に身体を忍ばせて賭場に危険が起きないように見張るのである。
もちろん見張りだけでなく
中のお客に間違いがないように気くばりもしなくてはならない。
真夜中から明け方までの時間じっとしているのは、結構きつい仕事だ。
春の頃なら陽気も良いが、
真冬となるとそういう訳には如何ない。
賭場がしまう頃、気がつくと両肩に霜が降りていたという事も珍しいことではなかった。
三ヶ月ほど、福松はこの見張り役を務め、その次は下足番となる。
遊び客の履き物の管理であるが、玄関先に履き物がずらっと並んでいては直ぐに怪しまれてしまう、かと言って下足札をお客に持たせる訳にもいかない。
お客が履き物を脱いで、玄関を上がる、その履き物を手早く奥へしまう、その時お客の顔と履き物を記憶して帰りに間違って渡すことの無いようにすることが肝心なのだ。
福松は、これが得意でお客の履き物を間違えることは無かった。
まだ歳の若い福松はお客から気の利く若い衆だと可愛がられた。
お客と言っても、伊勢崎町や元町などで手広く商いをしている大旦那達、実業家であり経営者である。
そういう人達とその取巻きが賭場に出入りしているのである。
気軽に『福!』と呼んだり
『福ちゃん』と呼んだりして福松を可愛がった。
そんな日が続いて来ると福松の方でもお客達が、その日勝ったのか敗けたのかが
ひと目で判るようになってきた。
福松は、そんな客達のために、知恵を働かせたのであった。
了。