弍〜❹
新たな道に待つもの
横浜港の新しい職場は、今までの瓦職人とはまったく違う職場でした。
瓦職人の現場も男の世界ではありましたが、魚河岸は数段その色が濃い、独特の世界です。
福吉は溢れ返るその世界の匂いに最初はたじろぎました。
それは魚の匂いではない、港で働く男達が醸し出す、一種異様な匂いでした。
福吉は、魚河岸に惹かれ、
同時に怯えてもいたのです。
《俺は此処でやっていけるのだろうか?》
気性の激しい男達がひしめく魚河岸を見ながら、福吉は思いました。
彼には、この港が自分の人生を大きく動かすだろうという事がまだ解らないでいたのです。
福吉の一四の春は、もうすぐ来ようとしています。
福吉は、屋根屋の時と変わらず、魚河岸でも懸命に働きました。
懸命に働いたのは仕事だけではありません、もうひとつありました。
それは喧嘩です。
生の魚を扱う魚河岸ですから当然、働く人達は急足や駆け足です。
その行き交う人達の肩がぶつかってしまうことも度々あることです。
それが引鉄となって喧嘩が始まるのですが、一旦始まるともう止まりません、その喧嘩に別の喧嘩が重なって、新しい喧嘩も始まったりして、もうあっちでもこっちでも喧嘩騒ぎ、血だらけの人もいたり、大騒ぎです。
こんな感じで魚河岸の一日がはじまり一日が終わります。
ここで働くようになった福吉も、この魚河岸独特の喧騒の中にどっぷりと浸かっていきました。
やがて福吉の名前は知られるようになります。
よく働く若者だという評判と共に、喧嘩っ早さも評判になって行ったのです。
ある日、福吉は二、三歳上の顔見知りの男に呼び止められます。
丁度、それは福吉が大事にしている包丁を研いでいる時でした。
『おい!フク、何だ包丁研ぎか、どうせ大した包丁でもあるまいに精が出るじゃねぇか』
福吉は、この男のいつもの悪ふざけと無視しながら砥石の上に包丁を滑らせています。
相手は無視された事が気に障ったらしく、語気を強めて『そんななまくら包丁研いだって変わらりゃしねぇよ』
『そんなに言うなら、切れるかどうか試してみなよ』
そう言うと砥石の上の包丁に水をかけ、相手の顔の前に突き出します。
相手は福吉の真剣な眼差しにたじろぎます。
『そこまですることじゃねえよ、マジに成るなよ』
福吉は相手から眼を逸らしません『俺の身体で試してみなよ』と言うといきなり自分の腕にに包丁を突き立てそのまま引きます。
鮮血があたりに飛び散り、福吉の切った傷口から骨が見えていました。
周囲の人達が、福吉の異変に気づき病院に運んだ為、大事にはなりませんでしたが、福吉はあちこちで騒動を起こし、喧嘩三昧の毎日だったのです。
きっと、目指した瓦職人の道に挫折したやるせ無さと苛立つ思いが混ざりあった気持ちだったのでしょう。
福吉が喧嘩ばかりしている為、横浜の警察は魚河岸の中に出張交番を建てました
。
とにかく、手のつけられない髙田福吉なのでした。