小説 俠客のいた時代 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。





      壱

 
 ふと気がつくと私は、都会の雑踏の中に立っていた
記憶が追いかけて来ると、自分がなんの目的でここに来たのかが、明らかになるのだが、今日はその記憶が私を追いかけて来ない。
私は、大都会の雑踏の中で孤独な老人に成っていた。

日頃から周りの人達に『若いねぇ』『歳には見えないです』などと言われているが、私は間違いなく老齢化をしている、見た目は若く見えたとしても、本当の意味での老齢化は見た目ではない。
思考や身体の中の臓器の状態がどうかだと思う、けして目尻の皺や頬の弛みなどではない。
私も若くありたいとは思うが実際には、確実に老齢化している。
そんなことにあれこれ、考えを廻らしていても、今日の目的が何であったかは思い出せなかった。
家の中でリビングのソファを立ち上がり二階の和室に上がったとする、慣れひたしんだその部屋の真ん中に立ち、さて此処になんの目的があって来たのかが判らない、自分の家の中なら誤魔化しも効くが屋外となると、そうはいかない。

これが、歳をとるということなのだ。 
強がってみても、仕方ない事だ。
そして私がその高齢者のひとりであることは、間違いのない事実なのである。
齢、七十二歳。
既に、祖父の年齢に追いついている。
くどいようだが、私は老人なのだ。
くどくどと、あれこれ自問自答しているうちに今日が終わる。
そしてなんの変化も希望もない明日が始まるのだ。