私の秘密其の八 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。





前回、

《松川事件》を扱った映画について何か情報の提供が無いものかと書きましたが11月22日夕方の時点では何方からもコメントは来てはいません。
《松川事件》は私の生まれる前の出来事なんで内容について詳しく判る人と言うとかなりの高齢者って事になると思います。
まぁ何か他の方法があるか考えてみようと思います。

きっと何かあると思います
私はこの頃、劇団でレッスンをする事は殆どなくなっていました。
と言いますか、劇団に入ってから穏やかにレッスンに通った時期は殆ど無かったと言えます。
その訳というのが私の記憶では入団早々から映画の仕事が続くようになった為に
仕事優先になってしまったという事でした。
最初のうちはエキストラのような仕事でしたが、次第に台詞のある仕事が入るようになり、ストーリーの内容に絡むような役が増えて来たのです。
撮影は都内でも何日も続くものだったり、地方へロケに行く事も有りました。
そういう生活が続くと最初は考えてもみなかった問題が私の周りに起きて来たのです。
それは学校の問題です。
学校を休む事が多くなると
当然のことですが、勉強が判らなくなります。
何日も学校を休んでから出て行くと休む以前とは全く違う授業内容というか範囲が変わっていて、授業に付いて行けないことがよく有りました。
好きだった子役の仕事が、
段々嫌いになって来だのです。

私は、小学二年生頃に劇団に入りました。
現在はどうか知りませんが
私の小学生時代には一年〜三年生迄は同じ担任で同じクラスというのが決まり事になっていて、四年生から卒業する迄はクラスが替わり担任も替わります。

私が劇団に入った頃の担任は、多分子役の仕事に反対だったと思います。
私は三年生の時には子供ながらに勉強が理解出来なくなるから劇団は辞めようと思うようになっていましたが結論を出してはいませんでした。
やがて四年生に成りました
担任もクラスも替わりました。
そして新しい担任はそれまでの担任とは違い劇団に入っている私のことを応援してくれるような人でした。
この担任のクラスだったから私は子役の仕事を辞めなかったんだと思います。

次回はこの担任の事を書いてみたいと思います。
それではこのへんで。