朝靄の中に白のベントレーが停まっている。
その前に二台、後に五台、黒塗りの高級車が隊列を組んだように連なっている。
ミルクを流したような朝靄を蹴散らして、男がベントレーの横まで駆け寄る。
後部座席の窓が半分ほど下がり、中の男が顔をのぞかせた。
小田尊が所属する仁和会の幹部、工藤博則。
「どうした、オジキは未だ出てこないのか」
駆け寄った男は息を弾ませている。
口元から白い息が流れる。
「それが、昨日出所してるっていってるんですよ」
「どういうことだ。顧問弁護士の事務所から出所の日程を知らせてきたんだぞ」
「そうなんですけど・・・」
「ふざけやがって、おい携帯」
工藤は、助手席の組員から携帯を受け取る。
「先生、今ですね小田のオジキの迎えに来てるんですが、刑務官が昨日出所したって言ってるんですよ、どうなってるんですか」
工藤が組の顧問弁護士との通話を終えると高級車の陣列は一斉に帰路についた。
「まったく、高え顧問料のわりに使えねェ野郎だ」
工藤は車中で、そう呟いたが弁護士の不手際よりも尊が、出所の日を偽ったことが腹立たしくもあり、不思議だった。
仁和会本部。
会長の佐々木鋼太郎は、しばらく前から工藤の報告を携帯で聴いていた。
通話が終わると携帯を置いた。
出所の日を、尊が偽ったことを知った幹部達が憤っていたが佐々木は違った。
尊は堅気になるつもりなんだ。
長い間というよりも、尊の人生自体をめちゃくちゃにしてしまったのは、自分だという自責の念もあった。
尊が堅気になると言うなら、そうしてやる事が長年の功労に報いることにも贖罪にもなる。
二、三日のうちには此処へ来るはずだ。
ゆっくり、話を聴けばいい。
そんな事を思いながら、佐々木はテーブルの上で湯気を立てる茶碗に手を伸ばした。
予想に反して小田尊は三日が過ぎても姿を現さなかった。
さらに二日が過ぎ、仁和会本部では定例の幹部会が開かれる日を迎えた。
都心の一等地に仁和会本部は在る。
地上七階、地下ニ階のビルの最上階にある広間で、幹部会は行われている。
畳の数にして百畳あまりの部屋に傘下の組長、代行、若頭などが全国から集まって来ていた。
幹部達が集まった会場の中は、この世界に生きる人間達の熱気に充ちている。
進行役が開会を告げると。
場内は静まり返る。
会長室に繋がるドアが開いて佐々木鋼太郎会長が姿を現わす。
幹部全員が一斉に椅子から立ち上がる動作と巻き起こる音が会場に響きわたり佐々木を迎える。
中央の会長席に佐々木が着席すると、全幹部も続いて着席する。
定例の報告、検討事案、申し送りなどが告げられ会議は進行して行く。
会長佐々木鋼太郎の話が始まる。
これが終わると幹部会は終了となる。
色浅黒く、いくぶん長めの白髪を撫で付けた佐々木、任侠の道に進んで五十年の貫禄は、その場の空気に緊張感をもたせていた。
佐々木が会場を見渡し、遠方から参加している幹部達に労いの言葉をかけている時だった。
後方のドアの一つが静かに開き人が入って来る。
佐々木以下、数名の最高幹部は直ぐに気がついたが、背中を向けて座っている幹部達には誰が入って来たのかわからない。
正面の最高幹部達のざわつきに何ごとかと振り返る。
そこには出所後、所在の判らなかった小田尊の姿があった。
会場内に起きる騒めきは、やがて静粛にかわる。
小田尊は居並ぶ幹部達の視線を一身に浴びながら、深く一礼した後、通路を進み佐々木の前に向かう。
誰も声を発する者はいない。
佐々木の前に立った小田尊は改めて深く頭を下げた。
「会長、務めを終え出所して参りました。出所の日はお迎えを戴きながら不義理を致しました、申し訳ありません」
硬い表情のまま、言葉を続けようとする尊を佐々木は遮った。
「まあ、細かいことはいい、長いことご苦労さん、皆んな小田が戻った鳩が豆鉄砲を食ったような顔してんじゃないよ」
尊と縁の濃い古参の幹部から拍手が起こり、次第に会場全体が拍手に包まれていった。
彼の出所祝いの準備は、出所の日に合わせて整っていたが尊が姿を消したために実施されず、会を挙げての盛大な出所祝いが中止になり、実行委員になっていた組長達の反発は強かった。
「いくら掛かったと思ってんだ」
実行委員のひとりが吐いた言葉が大半の幹部達の思いだった。
小田尊は、仁和会にとって厄介な存在になろうとしていた。