合掌!青柳正司 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。



まったく予期していなかった。
もちろん、我々には寿命がある。
その長さ短さは、個々に違いがある。
当たり前のことだが、自分自身で決めたりは出来ない。
出来るのは自身の生命を断つことだけだ。
延ばすための努力は出来るかも知れないが、直接的には寿命は延ばすことは出来ない。
 青柳館長と私の関係が始まったのは、《レッスル夢ファクトリー》を私がやっていた頃である。
何処かの団体に選手を出した時に青柳館長と知り合い、夢ファクトリーへのオファーをしたことが始まりだったような気がする。
そしていつの間にか我が団体の大切な仲間になってくれた。
集客に苦労していた夢ファクに参戦するのは条件的にはメジャー参戦もしていた館長にとってまったく面白味もないことだったと思う。
しかし館長は選手達に溶け込みムードメーカーになった。
あの大仁田厚のカンバックを支えその後、彼が今に至るレスリングスタイルを確立出来たのは、青柳正司を抜きには語ることは出来ないだろう。
その後は新日本で数々の名勝負を繰り返し、空手vsプロレスの異種格闘技路線は新日本プロレスの看板のひとつであった。
私の団体に来た頃には、新日本時代の怖い青柳正司ではなく、楽しい空手家だった。
彼は、新日本時代の活躍などを鼻にかけることもなく、養護施設慰問などにも愛知から駆けつけてくれた。
 彼は私にとって生命の恩人でもある。
団体運営に行き詰まった私が死ぬことばかりを考えていた頃、私の妻がパパを一人にさせるのは心配だと言っていた頃でもある。
私は、死のうか死ぬまいかではなく、いつ何処でどんな方法でという状態だった。
そんなある日、妻が仕事に出かけたあと、私は今日死ぬと決めていた。
最期のいっぷくのつもりで、電話器のそばにあるタバコを取るために、リビングを横切り電話器の近くに、
突然、タバコの傍で電話器が鳴った。
跳び上がるほど驚いた。
金絡みの電話しかかかって来ないような頃だった、私は電話が鳴っても取ることも無かった。

いつもなら。

この時は驚いたために受話器を手にしてしまった。
電話の相手は青柳正司だった。
彼は、開口一番『代表!死のうと思ってるでしょう』
この一言で私の身体はガタガタと震え出し、自分が長いこと死というものに取り憑かれていたことに気がついた。
そして『死ぬ時は一緒だよ』とも言った。

あれから24年。
その彼が逝ってしまった。
私を残して。
私は、あの時とは違うとは言え同じように苦しんでいる。
只、あの時の館長の一言が
今も私の耳の中に響いている。
お疲れ様でした館長❗️
        
         合掌