昭和世代が紡いだ平成プロレス〜哀悼 プロレスラー篠真一 4 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

年が明けて2018年が始まった。

新春にふさわしい、穏やかな元日の朝を迎えた。

昨年も世の中は、良いこと悪いこといろいろな事があった。

もちろん私の人生にもである。

    新年まで引きずっている大相撲のゴタゴタは、相撲が国技という立場から単なる相撲界のスキャンダルという訳にはいかないのかもしれない。

篠真一の訃報という悲しい出来事があった為に、書く機会を逸していたが、私は、私の経験した中でのプロレス界と大相撲の世界を重ねて見ようと思っていた。

日本のプロレス界は、その源を遡ると大相撲の社会にたどり着く。

それは、日本のプロレスの礎を築き、自らその頂点に君臨した力道山が、大相撲出身だったという事に起因することは、誰も異論を唱えることはないと思う。

そのせいもあり、日本のプロレス界は、大相撲出身の選手が多いという時代が永く続いた。

平成も終わる事が決定した現在、プロレス界の選手達がどういう背景からプロレス界へ参入しているのか、詳しいことを私は知らないが、昔と比べると多種多様の世界から集まっている事に違いはないだろう。

日本のプロレス界が大相撲の影響を強く受けているのは、出身の選手が多いという事だけではない。

大相撲のしきたりや習慣を踏襲していることもある。

むしろ、こちらの方がプロレス界に与えた影響は大きいのではないだろうか。

日本の野球界、ことにプロ野球の世界は、と言っても私は野球のことはあまり詳しくはないのだが。

まあ、それこそ新年早々の《ごまめの歯軋り》程度に聴き流していただこう。
{4C75237A-F444-418B-8077-AFD5E813AB78}



話を続けよう。


素人考えで言えば日本のプロ野球は米国からやって来た野球を、この国に根付かせ見事に開花させて今日に至っている。

米国野球界を教科書として追いつけ追い越せの情熱と努力のもとに進化して来た日本のプロ野球界。

草創期には想像することさえ出来なかったことだが、現在の日本のプロ野球界は米国プロ野球界に、毎年当たり前のように選手を送り出している。

それでは、日本のプロレスはどうなのだろう。

プロレスは米国から輸入されたという事は周知のことだが、日本のプロレスはリングの中の事は取り入れたが、システムは日本独自のスタイルを創り出して来た。
はじめに言ったように、その大半が大相撲の習慣やシステムを踏襲した。

道場の中での選手の摂る食事は《チャンコ》と呼ばれる。
相撲用語だ。

古参のレスラーは現金のことを《お米》という。

これも相撲界の隠語である。

さらに、《お米》は給料やギャラの意味も含まれる。

そして、小遣いが心細くなった選手が団体に前借りをすることを、《ハガミ》という。

これも、相撲界の隠語である。

些細な事と思われた人もいるとは思うが、習慣や風習が染みついているのは事実である。

ともあれ、私がプロレス界を去って15年は過ぎた。

終わりがはっきりしない部分があるが、プロレスの試合を会場で観た最後は、WJの会場だったと思うがはっきりしない。

プロレス界の風景も変わっているはずだと思う。

今書いている事は昔噺だと言ってもいい。


あくまでも、私の考えではあるが、スラングや隠語、独特の習慣を多く持つ組織や集団は、排他的である。

排他的だから、外部に内情を知らせたがらないという
癖がある。

極め付けの相撲界の隠語に《ヨカタ》という言葉がある。

《ヨカタ》の意味は外部の人間、力士に対してなら一般の人間。
相撲界に対しては異業種の人間。

2018年のプロレスには、もうこんな言葉は死語になっていて欲しいが、さてどうなのだろう。

私のプロレス界の時間は、ある意味この《ヨカタ》という目に見えない壁との戦いだった。

その事については、次回にしたい。

最後になってしまったが、拙いこのブログを読んで下さっている皆様、新年明けましておめでとうございます。
この一年が皆様にとって、幸多い一年になりますよう祈念させて頂きます。

今年も宜しくお願い致します。




未完の小説ですが、こちらも暇潰しに読んでみて下さい。