連日、メディアを賑わしている都知事の金銭問題。
毎回、一般生活では使わないような丁寧で難解な言葉をちりばめた真摯な記者会見が行われている。
しかし、その内容は都知事の態度とは裏腹に陳腐と言えるほどのもの。
都民を含めて、観る者聴く者を愚弄していると言える。
そんな考えになるのは、私だけでは無いだろう。
都知事の説明で、納得した人は皆無に近いのでではないだろうか?
嘘と本当、などというシンプルな言葉で括れないと思うのは、政治家や有識者、社会的立場の高い人達、いわゆる《偉い人》。
この《偉い人》達は、なんでも難しく表現することが好きだ。
あちらこちらと言を動かして結論をぼやかす。
単刀直入という言葉を知らないかのようだ。
今回の問題は、そんなに長い時間をかける話ではない。
都民も国民も、都知事のいう《精査》など求めていない。
都知事が気にかけているのは、《物証》。
法的に罪にならない理由付けを一生懸命になって捜している。
そうとしか思えない。
しかしながら、庶民の生きる《社会》は《心証》が、事を左右する。
《心証》を判断基準の中心に据えることの是非は別として、社会生活を送る中で、《心証》で恨みを買ったり、被害を被ることは当たり前にある。
法の下では、物的な証拠の裏付けが大きく影響する。
それは、やっていても、やった証拠が不充分であれば、《黒》は《白》に変わってしまうことでもある。
しかし、《疑わしきは罰せず》でも《社会》は違う。
都知事がどれだけ策を弄して法的に自身の身の潔白?を立証したとしても、都民や国民の信頼を回復することは出来ない。
テレビをはじめ様々なメディアで辛口の評論家としてもて囃されていた頃、都知事自身が舌鋒鋭く政治家の金銭疑惑を叩き、自著では政治家の金銭感覚や、公私混同を戒めることも書いている。
語れば語るほどに馬脚を現していることがわからないほどの愚鈍な方ではないはず。
広島でオバマ大統領が、おそらくは歴史に残るであろう演説が行われたこの時に、世界の大都市東京の首長が、あまりに次元の低いことで渦中の人になっている。
恥ずかしい限りだ。
もうその辺で、矜持の欠片でも持っているならば、あとは何をか言わんやである。
今回の文字の色を灰色にしたのは、私の細やかな意志の表示である。