花嫁の特攻 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

終戦記念日が近いというわけでもないのだが、前回に続いて戦争の話題を。

特攻兵の夫と共に出撃した女性の話を私が知ったのは十年近く前のこと。
その話を聞いた当時は、軍律の厳しい日本軍にあって
女性を特攻機に同乗させるなどということはあり得ないと思った。
しかし、この話は実話だという。
にわかには信じがたい話だ。
しかも、二人が特攻を敢行したのは終戦の四日後。

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天皇陛下の玉音放送のあと、日本の国内が一時無政府状態になったのかどうかは知る由もないが、軍部の混乱が相当のものだったのだろうことは想像に難くない。
実際に天皇陛下の玉音放送を阻止しようとする青年将校達によるクーデター騒ぎも終戦前夜にはあったのだから。
上一人から下万民に至るまでが号令一下のもとに粛々として終戦を迎えようとした訳ではないらしい。

もちろん、一般庶民は疲れ切った心の底で終戦を熱望していたことだったろう。

しかし、軍部の、とくに上層部は違っていたのだろうと思う。
それに倍する指示命令系統の断裂は、江戸時代の赤穂城明け渡しのような訳にはいかなかったようだ。

全国のあちこちの基地から、終戦の当日だけに留まらず、翌日も、その翌日も特攻に出撃した者がいたことは記録に残っている。

国が敗れる~戦争に敗ける、ということはそういうことなのだろう。

私の父も、終戦の日を東京で迎えたにもかかわらず、南方の戦地に飛び立った。
もちろん、軍の命令ではない。

父個人の意志である。

理由は、もちろんあった。

戦地にはまだ残っている仲間がいた。

彼等が捕虜になるかどうかは、時間との勝負だったのだろう。

生前の父は、その仲間を迎えに行ったのだと、言葉少なく話してくれたことがあった。

父は仲間を終戦の静けさを取り戻した戦地から連れ出し日本に戻った。

そして仲間達それぞれの郷里の近くの飛行場に彼等を降ろし、自分は家族の疎開先だった小田原の海岸に不時着し、乗っていた飛行機に火を放った。

こうして二十九歳の私の父の戦争は終わった。