最近の心模様 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

    季節を先取りした暑さの続いた五月が終わり、気がつけば梅雨が始まっている。

鬱陶しいとこの季節を嫌う人も多い。

実際、湿度の高い大気の中を歩く時の不快感はかなりのものだと思う。

仕事で関越道を都内へ向かう。

気候は乱れる、あまり暑くはならない。
午後遅くには雨もかなり降る等々。

天気予報に反して、正午過ぎの都内は暑い。

晴れ渡った空の青さは、真夏のそれだ。

その青空の見渡す限りに放牧された羊の群のように、雲が点在している。

やっぱり、天気は変わるのかな、などと思いながら仕事先に到着する。

天気の変化もさることながら、時代の流れの中で価値観も変化していく。

いや、変化しなくてはならないのだろう。

それが、進化であり、発展なのだと私は思う。

終戦とともに戦勝国の占領政策のさじ加減が見える憲法の下に日本は、日本人は戦後を生き、21世紀を迎えた。

日本人取り囲む世界の情勢は大きく変化した。

たとえ70年昔の優れた人間達の知性を結集して作成た憲法とは言え、生まれた赤児が老人になる程の長い時間が経った今、本当になんの手も加えないことが、正義なのだろうか。

戦後の焼け野原を見渡して、日本人が世界の至る処に進出することを思い描いた人はいても、現実的にイメージした人間がどれだけの数いたのだろう。

一般の電話さえ、ブラウン管のテレビでさえ庶民には縁遠かった頃。

携帯電話は空想科学小説の世界のものだった。

その携帯電話は今、小学生も使えるコンピューターに進化している。

もちろん、一国の憲法がコロコロと変化していい訳はない。

しかし、枝葉の部分には変更があってしかるべきではないだろうか。

平和を維持することは間違いなく正しいことだ。

その平和を維持するためには、戦わなくてはならないこともあるはずだ。

日本人が、憲法の改正により、再び侵略のための戦争を起こすことなどあろうはずもない。

日本人はそれほど愚かな民族ではない。
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