昨日のアクセス1位 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

    何気なく見ていたら、昨日のアクセス1位は2012年2月18日の『あゝバレンタインデー』という記事だった。
長いけれど、もう一度読んでいただこう。
午前六時まであと少し、気温は氷点下2℃…寒い。 
それでも、日の出の時刻はだいぶ早くなっている。 
春は、間違いなくやって来ている。 

話しは変わるが、私はあまりバレンタインデーの習慣が好きではない。 屁理屈を述べるつもりも無いが、若い頃に製菓会社の営業戦略から始まっている事を知り、余計にその気持ちが強くなった。 
キリスト教の記念日に何故チョコレート?と思っていた疑問は解けたが、別の思いが残った。 

さて、今年のバレンタインデー。 
私には、とんでもないプレゼントが届けられた。 
全く予想もしなかった物である。 

相手の有る事なので、詳しくは書かないつもりだが、腹が煮え繰り返ると言ったら、少し大袈裟だが、それに近い。 

何日か過ぎたが、まだ心の奥の方に、怒りの燻りは残っている。 

静かに沈黙出来たのは、年齢的な事と、妻の助言だった。 

『井の中の蛙、大海を知らず』と云う諺が有るが、本当にその通りだとつくづく知らされた。 

私は、井の中の、若い蛙が外の世界に憧れ、上を見上げて居るのを知り、外に行きたい気持ちの有る無しを確認した。 
蛙は、『是非とも』と答え、私は蛙の為に井の中に梯子を降ろした。 

チャンスと云うものは、誰にでも豊富に有る訳でもなければ、頻繁に訪れるものでも無い。 

才能が有っても、それを開花出来無い人、自身の才能に気付く事もなく人生を終わる人、数え切れないほどだろう。 

若い蛙は喜んだ、少なくとも、私に対してはそういう意思表示をしていた。
若い蛙が私に送って来たいくつかのメールの中に、期待と不安の入り混じった心情と、チャンスを与えてくれた私に対する感謝が綴られている。 

あとは、梯子を上り、大海を見ることが若い蛙のやるべき事なのだ。 
井の外が、思い描いたものと違えば、梯子で引き返す事も出来る。 

先ずは、前進しなければ何も始まらない。 

若い蛙は、臆病だった。 
そして、井の中に生き続ける老蛙に、助言を求めた。《これは、私の予測だが…》
狭いところに生き、狭い世界観しか持たない、小利口な蛙は、若い蛙の考えを否定する。 
『世の中、そんな甘いもんじゃない、上手い話しには用心、用心』したり顔の老蛙の顔が目に浮かぶ。 
私は、こういう若い芽を摘み取る大人が大嫌いだ、自分のちっぽけな経験を尺度にものを云う愚か者。 
若い蛙の事を本気で思うなら、飛び出した蛙が、大海での生活に挫折して傷付き、井の中に戻って来たときに、抱きしめて心の傷を癒し、その挫折が未来の自身の糧にもなりバネにもなり、次の成功の鍵に成ることを、諭してあげる可きではないか、人生の先輩なら、若者に対して『井の中は安全だから』的な事を云うよりも、勇気の灯を点して、そっと背中を押してあげる可きだと思うし、私は、そうして来た。 
老蛙には、大海に臨む勇気も無かったのだろうから、無理な事だろうが…。 
有能なプロダクションも知らず、自分で費用を用立て、宣材の写真を作り、夢への行き先も判らずに悶々とする若い蛙を不憫に思っている私を、この老蛙は、あろうことかストーカーか詐欺師の様に見たらしい。 
笑止千万である。 

今頃、沈黙している私を『私の思った通り』などと井の中で得意がって居るのだろう。 
自身の愚かさも醜さも知らずに。 

またまた、話しは変わるが、新聞に面白そうな本の広告が載っていた。 
『「しつこい怒りが」消えてなくなる本』というタイトルだ。 
買って読んで見ようかなと一瞬思ってしまった。 
さあ、我が春を目差して、私は大海を泳ぎつづけることにしよう。
彼女は、今どうしているのだろう。
喫茶店でコーヒーをすすりながら『直ぐに仕事があるなんて、簡単に考えないでよ』と言ったが、小さなグラビアの仕事とバリで撮影するイメージビデオの仕事を既に決めていた。
もったいない話だ。
心機一転した彼女に、何よりやる気を出させ、モチベーションを高めるのには、直ぐに仕事の現場に入ることだ。
笑顔のいい女性だった。
あれから三年近くが過ぎてしまった。
彼女が、活躍しているという話は聞かない。
まあ、他に幸せを掴んでくれていればそれでいい。
『勇気』は、何の業種であれ一番の武器なのだ。