終戦記念日 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

高田龍の夢か現か-__.JPG





ここで話題にした我が家の朝顔。
こんなに成りました。
私の無二の友がいたら、どんな視線を小屋の中から送っただろうか。
彼が逝った日から、間も無く一年が経つ。
彼の慰霊の為に、細やかに何かをしようと思う。
愛するものや大切な人、尊敬や畏敬の思いを抱く人を喪ったとき、遺された私達は、生前のお業績や人格、またはこちら側の思いを形にする慰霊の為の行動をとる。
人間として、この至極当然の行為は、古今東西、あらゆる文化、思想を超えて共通の事と思う。
その心は誰人にも、何ら干渉為れるべきでもなく、ましてや妨害や中傷非難など論外である。
靖国神社への首相をはじめとする閣僚
、国会議員などの参拝が外交の舞台で取りざた為れる。
うんざりの感があるのが正直な気持ちだ。
何故に、他国、他民族に、我々の先祖を弔う権利を妨げられなければならないのだろうか。
凡愚の身には還暦を過ぎても理解する能力が育っていない。
あの戦争を惹き起こした当時の軍事政権の罪は重い。
アジア諸国、取り分け中国や韓国に塗炭の苦しみを与えた事は紛れもない事実である。
だがしかし、その時日本人はどうだったのか。
財産も供出され、労働を強いられ、子を奪われ、夫や愛しい人を奪われ、家を焼かれ、生まれ育った地を焦土とされ、海を隔てた異国の地で死ななくてはならなかった名もなき日本人の、その数たるや。
戦争は、始まってしまえば、勝利か敗北かの二つしかない。
そして、勝者が正義に成り、敗者は悪となる。
戦争が終結した時、勝者は正義の名の下に悪であると決めた敗者を裁く。

勝者が正義と云うなら、私は聴いてみたい。
戦争行為に何ら関わる事もなかった老人は、悪ですか?
母の背に負われながら、死んだ事すら解らなかったであろう乳飲み児は、悪ですか?
文学を、科学を、芸術を志し、未来を夢見、それを許されずに兵隊にさせられ、死んで逝った若者は悪ですか?

自分が命を捧げる事が正義だと教えられ、疑う事さえ知らなかった、母親に甘えたい思いも残っていただろう少年は、離陸する事を教えられ、着陸する事は教えられず、片道分の燃料を積んだ練習機に乗り、敵の戦艦に体当たりを試み、もちろん戦果も上げられずに海の藻屑となった。
悪ですか?

生きる意味も見出せないうちに死んで逝った、否、死なせられた彼等は悪ですか?
自由に青春を謳歌する事も無かった彼等は、死して尚、肩身の狭い思いをしなくてはならないのですか?

何故ですか?

彼等が悪だからですか?

彼等が敗者だからですか?

瀕死の国土に、雨霰と銃弾を撃ち込み
、それでも足りずに原子爆弾を二度も私の国に落とした貴方は、正義ですか?

貴方は、たしかに勝者かもしれない。

しかし、貴方は正義ではない。

私が何を叫んだところで、ゴマメの歯軋りでしかないけれど。

ヒクちゃんの居なくなった夏は寂しい