いよいよ還暦一年目の終了 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

私が、この世に生まれて満六十年が過ぎ、新たな最初の一年がもうすぐ終る。
私は、六十年を悔いなく充実して生きたわけでは、けしてない。
私の、六十年が波乱に富んだものだと云う事だけは確かと言える。

七月十六日の午前四時が来れば、私の新たな二年目がスタートする。

人生は、一秒たりともやり直す事が出来無い。
当然の事である。
そんな事を殊更の様に綴っている私は、分別の在る大人とは言え無い。

私の周囲の同世代の人達には、こんな奴は居ない。

還暦まで生きた私に、次の還暦までの時間は在ろう筈も無い。
百%無いとは言えないが、まず無い。

私は、世間で云う中高年の括りの、高に近い立ち位置に居る。
孫の世話を楽しんでいる人も居る。
私には二人の子供が居るが、孫は居ない。
最近になって、若い時に流行っていた歌が無性に懐かしくなったりして来た。
テレビで時代劇の再放送などを観る様になった。

年相応になって来たのかと云えば、そうなのかも知れないが、服装などは若者達と大差の無いような物を着ている。

歳の取り方が判らない。
つまり、大人に成れずに年老いているのだ。

私がよく使う表現でいえば、中学校のグランドから家に帰ってみたら六十歳を過ぎていた様な人性を歩いて来た。

それでも、肉体的には充分に歳をとっている。
しゃがんだ態勢から立ち上がるのが辛い、膝が痛いからだ。
身体が硬い、速く走れない。

私は、見た目よりは、確実に老いている。

なのに、人生の終始決算がついていない。

未完成すぎる人生だ。

私の最後の十年計画の一年がもうすぐ終る。

残り九年間。

そのぐらいは時間も在るだろう。

生きた証を残す旅だ。

私の、髙田龍の最後の十年計画のフィニッシュまで、見ていて下さい、皆さん!
きっと面白いと思いますよ。