昔の話しだが、長男が保育園、娘はまだ赤ちゃんだった。
私は人生の大半をいわゆる自営業者、若しくは経営者として生きて来たが、
三十代の数年をサラリーマンとして過ごしたことがある。
与えられた業務をこなしていれば月に一度給料が貰えるという、システムは実に有難い事なのだと齢を重ねる毎に思う。
しかし、若い時はそういう意識は低かった。
感謝の無いことだ。
そんなある日の出来事を思い出した。
春の朝、『春眠暁を覚えず』とはよく言ったものである。
目覚めたものの布団の中から起き出せないでいる私。
外は清々しい晴天。
小鳥達の囀(さえず)りも喧(かまびす)しい。
早く起きなくてはという心に悪魔が囁く~今日はユックリしろ、また明日から頑張ればいいじゃないか、会社に休む言い訳を早く考えろ!~心の振子が堕落へと揺れ始める。
なんでも構わないから電話をしなくてはと思いながら寝返りを打つと、そこには、まだ言葉を話す事も出来な十ヶ月になったばかりの娘の満面の笑顔があった。(^_^)
~いけないいけない今日も頑張ろう~
私は慌てて蒲団を跳ね除け、大急ぎで支度を整えた事を憶えている。
この時だけで無く、二人の子供に励まされ、背中を押されて今日迄来たようなものだ。
彼らが滔々と何かを語った訳では無い。
子供のあどけない笑顔、つぶらな瞳、
自分を信頼し切った振る舞い。
そのひとつひとつが、いや存在それ自体が、私にとっては無言の激励だった
。
近年、子供の、特に幼児が犠牲になる悲惨な事件が多発している。
心臓が張り裂けそうな恐怖と悲しみの中で最期を迎えた彼等は、自分に対して残虐極まりない仕打ちをする鬼畜のような親の顔を、見知らぬ大人の顔をどんな思いで見たのだろう。
幼く、汚れない網膜はどんな映像をそこに焼き付けたのだろうか。
そして、つい先日、海を隔てた米国から評論のしようも無い、悲惨な事件の知らせが世界を駆け巡った。
幼い子供達には我々大人の保護が当然必要である。
しかし、子供達には私達を人間として成長させる事が出来るほどの、子供達にしか無い力が有る。
社会の荒浪に疲れた我々を癒し、明日えの活力を与えてくれる不思議な力を彼等は持っている。
何よりも、彼等には私達の生きた証として私達が育み、彼等を成長させ、彼等に多くのものを手渡さなくてはならない。
私達に有るのは、その責任と素晴らしき権利だ。
彼等の輝ける未来を踏み躙る権利など絶対に私達には無い‼