週末の午前中、近くの喫茶店で珈琲を啜りながら、これを書いている。
先週の、やはり週末だった。
私は、仕事で都内のホテルに滞在していた。
午前中の予定もなく部屋でくつろいでいた時、観るでもなく眼を向けていたテレビ、番組は週末にだけ放映している情報バラエティ。
各地の美味しいものや海外の風景、国内の観光地の穴場等をレギュラー出演者にゲストも加わり番組が進行して行く。
その日は、ゲストの俳優が十和田湖周辺を旅して冬のみちのくを紹介していた。
しばらくして、静かな十和田湖を行く遊覧船の舳先に立つ俳優の姿が映る。
遊覧船以外に船舶は、見当たらない。
続いて宿のシーンが、温泉の入浴、部屋で地元の食材を使った料理に舌鼓を打つゲストの俳優。
羨ましいなあ、などと思っているうちに、画面はスタジオの風景に変わり、レギュラー陣が俳優にあれこれと質問し話しは弾む。
話題が十和田湖の遊覧船の事になった時、私の耳目は、初めて画面に集中した。
遊覧船がガラガラだったと切り出す司会者。
歳を重ねる度に、存在感を増している俳優は、そのことに答える。
《ガラガラも何も乗って居たのは自分一人でした震災後、湖畔の旅館街も風評被害もあって旅行客は激減、旅館やホテルの中にも閉業を余儀なくされた処も数多い》要旨としては、このような答えの内容だった。
それでは、この日の遊覧船は撮影の為に特別に動かしたのだろうか。
俳優の答えの内容に私は小さな衝撃を受けた。
《あの遊覧船は例え客が居なくても、毎日出港準備を整えているんです。それは、あの遊覧船を所有している会社の社長の方針です。いつ観光客が来ても、今はこういう事情で遊覧船は休業中などと云う事は絶対に言うわけにはいかない。 十和田湖遊覧を楽しみにしている人が居る限り、それが一人だったとしても遊覧船は航行させるのだという考えだという。さらに、遊覧船の航行には、その最中に万が一の非常事態を想定してもう一隻の遊覧船を航行可能状態にして桟橋に常時待機させている。》
頭が下がるという様な賛辞では足りな過ぎるだろう。
遊覧船の会社の社長の覚悟には経営者のという括りを超えた、責任在る立場の人間の凄みを感じた。
こう在らねば為らない。
今の政府にもっとも不足しているものがこれではないだろうか。
『常在戦場』『いざ鎌倉』の言葉を、自身の決意の披瀝に使う人は多い。
しかし、遊覧船の社長の様に自らの立つ場所で、その覚悟を形にしている人は少ない。
口にする思いを、形に出来るか出来ないかの差は、そこに、人間としての尊厳なる誇りが有るか無いかではないだろうか。
爽やかな感動に包まれた私の頬に一筋、流れ落ちるものが在った。
日本人は、在野の人々は強く逞しく、震災後の世界を必ず復興させるだろうと確信した。
願わくば、政治が彼等の前進の妨げに為らない事を祈るばかりである。
