八百長 | 高田龍の《夢の途中》

高田龍の《夢の途中》

気がついたら、72歳に成ってました。
今までずいぶんたくさんのことを書いて来ました。
あと何年生きられるのか判りませんが、書き続ける事が生存確認でも有りますし生存証明でもあります。
宜しくお願い致します。

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朝青龍、賭博、いろいろな問題に晒されてきた相撲協会。

浮かんでは消え、浮かんでは消えて来た『八百長』問題。
司法の場にも持ち込まれた事も、メディアが告発のキャンペーンを張ったこともあるが、現在まで真相は薮の中。

今回の、八百長問題は、物的証拠も在り、今までの様な訳には行かない。
私は、過去にプロレスの団体を経営したことが有るが、八百長なのかどうかと云えば、プロレス界の方が…である。

『ガチンコ』と云う言葉が存在するのだから、『八百長』が存在する訳である。

言って見れば、『ガチンコ』と云う言葉が、『八百長』の存在証明なのだ。
国技だろうと、格闘技だろうと、入場料、いわゆる興行収益で存在を成立させるものは、観客が何を望んでいるのかを掴み、その期待に応えていく事が宿命的な課題に成るのは致し方ない。

強い力士が登場する。
その力士が勝ち続ける。 番付が上がる。

観客は、その力士が綱を巻く日を夢見る。

勝ち続ける事を望む。

その力士は、負けないでほしい人から、負けてはいけない人に変わる。

期待を裏切ることは、自らの存在に関わって来る。

人気商売なのである。

贔屓の力士が大一番に結果が出なければ、それも一度や二度ならともかく、度重なる様ならば、ファンは、やがて遠ざかる。

勝ち負けを競う、それを見せることを商売にする者達は常に、『八百長』という悪魔の囁きを聴き続けなくてはならない。
名実ともに、今回で『八百長』体質を消すつもりで居るならば、観客の側にも、ある種の覚悟が要るだろう。

長い時間が必要だろう。
観客も待つしかない。

一つ許しがたいのは、協会の幹部が、初めて知ったような顔をしている事である。

今回、八百長を認めている力士達が、初めて考え出したとでも言いたげな理事長の発言や、過去に相撲協会が八百長を告発した出版社を告訴した事などが、最も八百長ではなかろうか。

仮に、今の理事長が現役時代、ガチンコで相撲を取り続けていたとしても、八百長が在った事を知らない訳が無い。

国技である、大相撲の、発祥に迄遡る程の、悪しき伝統が、八百長にも在るのだから。